理趣経
十七清浄句
真言密教では、「自性清浄」という思想が根本にある。これは天台宗の本覚思想と対比、また同一視されるが、そもそも人間は生まれつき汚れた存在ではないというものである。『理趣経』は、この自性清浄に基づき人間の営みが本来は清浄なものであると述べているのが特徴である。
特に最初の部分である大楽の法門においては、「十七清浄句」といわれる17の句偈が説かれている。
1.
妙適C淨句是菩薩位
- 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である
2.
慾箭C淨句是菩薩位
- 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
3.
觸C淨句是菩薩位
- 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
4.
愛縛C淨句是菩薩位
- 異性を愛しかたく抱き合うのも清浄なる菩薩の境地である
5.
一切自在主C淨句是菩薩位
- 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
6.
見C淨句是菩薩位
- 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
7.
適スC淨句是菩薩位
- 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
8.
愛C淨句是菩薩位
- 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である
9.
慢C淨句是菩薩位
- 自慢する心も、清浄なる菩薩の境地である
10.
莊嚴C淨句是菩薩位
- ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である
11.
意滋澤C淨句是菩薩位
- 思うにまかせて心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である
12.
光明C淨句是菩薩位
- 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である
13.
身樂C淨句是菩薩位
- 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である
14.
色C淨句是菩薩位
- 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である
15.
聲C淨句是菩薩位
- 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である
16.
香C淨句是菩薩位
- この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である
17.
味C淨句是菩薩位
- 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である
このように、十七清浄句では男女の性行為や人間の行為を大胆に肯定している。
仏教において顕教では、男女の性行為はどちらかといえば否定される向きがある。これに対し『理趣経』では上記のように欲望を完全否定していないことから、「男女の交歓を肯定する経典」などと色眼鏡的な見方でこの経典を語られることもあるが、真言密教の自性清浄を端的に表した句偈であり、人間の行動や考え、営み自体は本来は不浄なものではないと述べていることがその肝要である。
十七清浄句は欲望の単なる肯定であると誤解されたり、また欲望肯定(或は男女性交)=即身成仏であると誤解されたりする向きも多い。
ちなみに、『理趣経』を使った『理趣経法』は、四度加行を実践して前行をしてからでないと伝授してはならないという厳しい規則がある。また『理趣経』の最後の十七段目は「百字の偈」と呼ばれ、一番中心となっている。真言僧は大欲を持ち、衆生の為に生死を尽くすまで生きることが大切であると説き、清浄な気持ちで汚泥に染まらず、大欲を持って衆生の利益を願うのが真言僧の務めであると説かれている。
このような思想は両部の大法の一である『大日経』の「受方便学処品」にも見られる。