安岡正篤先生「易と人生哲学」 

序めに 徳永圀典

古来日本では、一定年齢に達し人生経験が豊富になると、究極のものとして道元の「正法眼蔵」そして「易」に関心を抱くのが知性と志を持つ者の常である。

処が両者は極めて難解である。私も本ホームページで正法眼蔵は途中で休憩中である。易は安岡正篤先生のご講義であり、その厳粛な易の理法と、無限の創造変化を共に学びたい。 

安岡正篤先生講義 (昭和52年5月13日講) 

「序説」

昨今は非常に変化の激しい時代、世界的に大変化あるいは大転換の時代、The age of the great change に在る。

東洋では古来、易という学問があり、これが至れりつくせりにこの偉大な「変化の理法」を説いている。それはスタティックな学問でなく、ダイナミックな学問である。

トインビーの「歴史の研究」という書物は世界的に有名だが、第一次世界大戦の直前にドイツのシュペングラーという哲学者・歴史家が、「沈みゆく黄昏の国」、或いは「西洋の没落」という書物を著して一世を風靡した。

「人類の歴史は、一時見事に花を開いた民族の文明がやがて脆く散って行く、つまり文明ははかなく滅びる。世界の歴史というものは、幾度か文明の花を開かせた民族が、栄えては滅んでいった歴史である」ことを描写したのである。

シュペングラーはドイツ人であるから「我々が誇りにしておる近代ヨーロッパ文明も既に黄昏に達し、やがて太陽が沈むように滅び去るのだ」とした。

ヨーロッパ文明のことを「沈み行く黄昏の国」と名づけたので大変な刺激となり論議を呼びました。

「歴史の研究」と「易」

トインビーのこの書物も、シュペングラーに非常に影響を受けたものだが、彼が世界20有余のかって見事に開花し、やがて滅んでいった国々の文明を丹念に調査研究した結論はシュペングラーと同然であった。

そこで大変煩悶して「何とかこの行き詰まりを打開できないものりか」と考えていた時に、その道を開いてくれたのが、彼が不図(ふと)とした縁で知るに至った東洋の易学であった。これにより彼は窮地を脱したと申しますか、兎に角活眼を(ひら)くことができた。 

「易」とは

東洋において最も古い思想学問であると同時に、常に新しい思想学問でもある。要するに「易」とは、宇宙―人間の実体、本質、創造、変化というものを探究したもので、20世紀の今日にもその価値が再認識されたのは当然であります。

然し、西洋では、特に新しい興味を喚起したようであります。日本では易の研究が次第に民衆化すると共に、そり歴史的、学問的真義というものは専門家に蔵まつてしまって、当たるとか、当たらぬとか、専ら人間の運命、宿命というものを覗くものであるという具合に通俗化してしまい、シュペングラーとかトインビーのように苦心研究した学問に活路を拓いたというような意義価値等から遠ざかりました。易が民衆化するにつれて一つの脱線をして通俗化したのであるが、変態的問題である。本筋にかえりますと、千古不変の思想学問であります。従って中々難しいものであります。 

易の予備知識

第一に、易という字は一般に使われておる通り、()わるという意味、変化するという意味をもっております。世界は常に変化する。停滞したり固定しない。つまり維新であります。

易とは人間、人生、生命等に関する維新の研究・維新の学問であります。俗にいう運命を予言するというようなものでないことをまず自覚しておく必要があります。

思想とか学問は、民間に普及するに従って、それだけの効果もありますが、同時に弊害もあって、通俗化すると異端、邪説におちいりやすい。暦というものを通じて易というものが又通俗化し、例えば「大安は吉日であり、仏滅は凶日であるとか、丙午の年に生まれた女は男を食い殺す」というようなことが普及致しまして、その弊害たるや測り知れないものがあります。

大安の日を選んで婚礼―殆ど、これが世間の決まりのようであります。科学的ということを万能視しておるような人が、さて自分の息子だの娘だのの結婚式になると大安の日を選びます。やはり親の身になると弱いもので、俗説に従う。

暦の歴史から

大安のことですが、これはとんでもない間違いであります。暦の歴史を尋ねますと、その代表的なものの一つは安倍晴明(平安中期)で、中国唐で研鑽を重ね、帰国後宮中の陰陽寮の長官に就任して専ら暦の普及にあたりました。

またその子孫は代々、陰陽寮の長官に就任しましたので、この暦は主として皇室を中心に定着しました。また民間には加茂暦といい加茂氏が代々伝承して参りました暦、この二つが代表的であります。 

加茂暦による大安とは

加茂暦によりますと、大安とは一般に解釈されるような意味ではなく、「大いに安かれ、安んぜよ」、この日は安らかに居るがよい、静かにしておるのがよいというのが本当の意味であって、安泰を要する日で、何をしても大丈夫という意味ではなく、むしろ逆といって宜しい。

真理が世俗化すると、まるで正反対なことにもなりがちであります。大体、運命というものがそうでありまして、世間の人々の考える運命というものは、本当の運命とはおおよそ反対であります。

運命

(めい)というものは、これは必然の作用を表すわけで、何の為にとか、何の目的で、というようなものではありません。そのもの自体絶対のものであります。また私達の生活、あるいは人生というものは、これは大きく言いますと大自然の創造、進化の一つの典型でありまして、創造、進化してやまないというので、動くめぐるという運の字がついております。

そこで運命という以上は、動いてやまないという意味を自ずから含んでおるわけであります。世間では反対に決まりきった機械的、固定的な意味にとっております。それは運命と言わず、宿命というべきです。

偉大な統計的研究

宿―やどるーというので宿命。丙午の年に生まれた者、特に女は、どうも縁組みが悪いというようなことは、とんでもない間違いであります。一体、易というものは、その根源に遡って考えますと、人間世界の偉大なる統計的研究ということができます。

はっきりわかっておるのは周代から発達し、漢の時代に一応まとまったと思われます。また一説には(いん)の時代に作られたとも申しますが、殷時代は文献がありませんから明確ではありません。

易の発生

中国古代の民族が周の時代に黄河の流域に落ち着き農耕生活を始めるようになって、色んな学問が進歩し、文明が発達した。それまでの漢民族は遊牧民族です。黄河の流域に定着して農耕生活に従事すると、その生産、労働は、自然の変化に制約を受けますから、どうしても春夏秋冬の変化、これに適応する手段、方法というものを研究しなければなりません。

そこで過去に遡って統計を取るというような事から始まり、長い長い生活体験に基づく研究調査によって、統計学的結論をだし、これにのっとり政府は年の初めに、本年はこのようになるだろうと、天地の変化、およびこれに伴う生産活動等を割り出して予告する、参考に供することが定着するようになりました。そこで暦のことを正朔(せいさく)と言います。正朔とは正月一日という文字であります。この正朔を頼りにして生活を営むものですから、正朔を奉ずと言えば、その国の政府に従うことであって、その領土あるいは、属国になるという意味であります。   

易の三義

第一義の原理は「変わる」

そこで易というものは、民族が極めて長い年月を通じて得た統計学的研究とその解説と申して間違いありません。そして自然も人生も絶えず変化してやまない。西洋の言葉でいうならば「創造的進化」であります。

そこで易という文字の第一義は「変わる」ということであります。一般に易をみてもらうということは変らない原則をいうように思いますが、第一義は「変わる」、「変化してやまない」ということであります。その「変わる、変転してやまない」というそのものを「化」という。「自然と人生は大いなる化」であります。 

大化

そこで化に大の字をつけて大化という言葉があります。自然も人生も大化であります。日本の歴史でも、元号になっておる大化の改新というのはこの思想であります。
また化の根底は不変でなければなりません。不変がなければ変化という意識が生じないわけであります。そそこで易の第二の意味は「不変」の原理です。
 

第二の原理は「不変

第二の原理は「不変」、この原則に基づいて変る、変化を自覚し意識することであります。人間の知恵が発達するにつれて、変化のうちに、不変の真理、法則を探求し、それに基づいて変化を意識的、積極的に参じていく。

つまり超人間的、従って無意識的変化にとどめないで、変化を考察し、変化の原則に従って自ら変化していく、という意味が出てきます。 

第三の原理は「化成

そこで易の第三の意味は、創造的進化の原理に基づいて、変化してやまない中に、変化の原理、原則を探求し、それに基づいて、人間が意識的、自主的、積極的に変化していく、これを化成といって、人間が創造主となって創造していくことであります。

詳しく言えば五義、六義もありますが、取り敢えずこれが「易の三義」であります。 

運命と宿命

だから運命、運命とよく申しますが、運命とは動いてやまない自然と人生のことであります。そこで運命を誤ってこれを他律的、予定的なものと誤解、あるいは浅解−浅く考えてしまうと、動きがつかなくなる。人間は初めから自然あるいは遺伝に従ってきまりきった存在で、泣いても笑っても運命はどうにもならぬというような予定的、固定的に考えるのを宿命と言います。

運命という時には動いてやまぬということであります。それを生まれた時から決まりきっておる、どうにもならぬという考え方が運命の中の宿命観であります。然し、これでは人間として折角心というものを与えられ、意識し思考する意義がありません。 

宿命観・立命観

そこで更に進んで、この動いてやまない創造―クリエーション、進化、これを法則に支配されて動きの取れぬという宿命観に陥れずに、この「運命の理法」を探求して原理を解明し、大自然あるいは、宇宙、神、そして人間の思考や意思に基づいて、自分の存在、自分の生活、自分の仕事というものを創造していくことを「立命」と申します。同じく、運命と言いますけれども、大きく分けると宿命観と立命観があるわけであります。

易には変わるという意味がある。変わるのは本体に変わらないものがあるから変わるのである。運命を宿命にすることなく、立命にもっていくこと、これが本当の「易」であります。この根本の意義を意識して、はっきり頭に入れておきませぬと、巷間に流布される迷信的な易になってしまって有害であります。然し、これは恐ろしいほど誤られて、つまり通俗化するに従って誤解、あるいは誤用されております。先程、申しました丙午―ひのえうま等はその一例で、最も弊害の多い例であります。  

平成1993日 例会                     徳永圀典