大阪市の橋下徹市長が米カリフォルニア州サンフランシスコ市議会に宛てて発送した公開書簡の全文     

2015年8月27日

サンフランシスコ市議会 様

 貴市議会で審議中の議案(慰安婦の碑または像の設置を支持する決議)について、拝見しております。

 未だ審議中の案件ではありますが、貴市議会では今後委員会審議に付して、公聴会を開くなど幅広い意見を聴取されようとしておられますので、姉妹都市の市長としての立場から、現段階で一つの意見として私の考えをお伝えしようとするものです。

 私の考えを広く貴市市民の皆さまにお伝えできますよう、貴市議会の決議案に対する公開書簡の形でご説明させていただきます。この議論についての一助となりますことを期待いたします。

 〈普遍的な価値を持つ女性の尊厳と人権が戦場においても守られる世界をめざして、そのための活動は大いに取り組むべき〉

 21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。

 しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。

そのために必要となるのは、過去と現在を直視することです。

 日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

 女性の尊厳と人権を守るための活動については大いに取り組むべきで、基本的に賛成です。ただし、女性の人権問題への取り組みが目的であるというのなら、そのための記念碑は、旧日本軍によって利用された慰安婦だけではなく、「世界各国の軍」によって、戦場において性の対象とされてきた全ての女性に対するそうした行為のすべてを二度と許さないと、世界に向けて宣言するものでなければなりません。

 戦時という環境において、日本を含む世界各国の兵士が女性の尊厳を蹂躙する行為を行ってきた、という許容できない「普遍的」構造自体をこそ、私達は問題にすべきなのです。

日本を含む世界各国は、戦場における性の問題について、自らの問題として過去を直視すべきです。過去、戦場において、日本だけでなく世界各国の軍によって、女性が性の対象とされてきたこともまた、厳然たる歴史的事実です。残念なことに今日においてもなお、戦場における女性、子供への性暴力が行われているとの報道が多くなされています。

 〈慰安婦問題の否定はしない、筆舌に尽くしがたい慰安婦の苦痛への理解と反省〉

 第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙する、決して許されないものであることはいうまでもありません。

 本人の意に反して、戦地で慰安婦として働かされた方々が被った苦痛、そして深く傷つけられたお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しています。ですから、私は、いかなる意味でも、慰安婦の問題を正当化する議論には与してきませんでしたし、これからも与しません。

 日本は過去の過ちを真摯に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。

全文和訳(2) 韓国側の態度の変更と、確たる事実と思わせる巧みな論理展開

 〈ただし日本の事例のみをとりあげることによる矮小化は、世界各国の問題解決につながらない〉

 一方で、戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。

 世界各国の軍でも同じ問題があったことを理由に旧日本兵の慰安婦問題を正当化しようというような意図は毛頭ありませんが、戦場の性の問題を旧日本兵のみに特有の問題であったかのように扱い、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざす限り、世界が直視しなければならない過去の過ちは正されず、今日においても世界の様々な地域において報告されている兵士による女性の尊厳の蹂躙問題は解決されないでしょう。そのことを私は何より懸念するのです。

 〈日本が特異であると言われていることへの反論〉

 日本が特異であると言われている理由として二つのことが考えられます。韓国側の態度の変更と、間違った認識をあたかも確たる事実と思わせる巧みな論理展開です。

 第一に特に韓国側の態度の変更があります。日本と韓国の間では、日韓基本条約と日韓請求権並びに経済協力協定で植民地時代のことをすべて解決したはずなのに、韓国側は最近になって慰安婦問題は協定に入っていないと言い出しました。

 日本政府の立場でいうと「筆舌に尽くしがたい苦痛は与えたが条約で解決済みであり、それ以上の法的責任は負わない」となりますが、韓国は「請求権問題は条約では未解決」との立場を主張し、双方の法的責任に対する認識の隔たりは大きいというのが現実です。

 国際社会において日本に道義的責任があることは間違いないと私も考えますが、とはいえ、日本政府の見解としても、国際法上の立場からも、条約が存在する以上、法的責任を持ち出すことはどう考えても不可能です。

 そのような中でも例外的に責任を問えるものが敢えてあるとすれば、いつまでも時効にかかることなく、永久的に戦争犯罪として個人の過去の罪を問うことが可能なホロコースト、ナチスなど、ジェノサイド的な犯罪や人道に対する罪など極めて「特異な」ものだけだと思います。

 ジェノサイドや人道に対する罪が「2000年国連安全保障理事会決議1325号11項」において、恩赦規定の適用除外とすることで時効や条約等に関係なく永久に責任を追及していくべきと謳われているのも同様の趣旨だと考えます。

 このような流れを背景に、韓国側は慰安婦問題に対する態度を硬化させ、日本の慰安婦問題は人道に対する罪であると執拗に主張しているのです。

 これに関連しているのが第二の要因です。ジェノサイドでも人道に対する罪でもない慰安婦問題を、まるでそうであるかのように強調する巧みな論理展開です。実際に慰安婦問題をジェノサイドや人道に対する罪のように唱えている活動家や種々の報告書もあるようですが、これは正しくありません。

慰安婦問題がジェノサイドや人道に対する罪であるという主張に焦点をあてるのであれば、慰安婦像の碑文にある「日本帝国軍に拉致されて」「強制的に性的奴隷にされた」「20万人」といったキーワードの正確さが問題になります。問題の本質を見極めるために、日本が国家の意思として強制連行をしたのかどうかも含めて、慰安婦への非人道的対応の実態などについて、検証がなされることが必要です。最近明らかになったり、話題になった例をみるだけでもこれらのキーワードが正しくないことがわかります。

 少し具体的にお話しますと、例えば、いわゆるクマラスワミ報告(クマラスワミ氏による1996年の国連人権委員会特別報告)では「慰安婦」を「軍性奴隷」と断じています。その根拠の1つとして、「1000人もの女性を慰安婦として連行した奴隷狩りに加わった」という吉田清治氏の告白をあげていますが、吉田清治氏は、一方でこの告白が創作であることを認めており、従前から慰安婦問題を報道してきた朝日新聞も、2014年8月5日に、吉田清治氏の告白を虚偽と判断し、多くの朝鮮の女性を慰安婦として「暴行加え無理やり」「狩り出した」とする一連の記事を取り消し、日本国内でも衝撃的な大問題となったのは記憶に新しいところです。

全文和訳(3) クマラスワミ報告は実証性に乏しい著書に依拠

 これらを受けて、2014年10月に、日本政府はクマラスワミ報告の記述の一部撤回(旧日本軍が韓国から慰安婦を強制連行したとする吉田証言に拠った部分の撤回)を申し入れましたが、クマラスワミ氏ご自身はその報告書は吉田証言のみに拠って書いたものではないとして、撤回を拒否しています。他方で、クマラスワミ報告自体はジョージ・ヒックスというジャーナリストによる“The Comfort Women”という著作に多く依拠していますが、この著作は実証性に乏しいものであると複数の研究者から指摘されているものだということを、申し添えておきます。

 そもそもクマラスワミ報告は、今日の女性に対する暴力に関する50ページに及ぶ報告書であり、慰安婦問題はその報告書本体についた2つの付属文書のうちの1つ「戦時における軍の性奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書」において取り扱われたものです。国連人権委員会においては、クマラスワミ氏の特別報告を審議の材料とした上で「女性に対する暴力の撤廃」という6ページに及ぶ決議を採択しました。その決議の中で特別報告者の作業を「歓迎(welcome)」し、当該付属文書の報告内容に対しては「歓迎」よりも評価の低い「留意する(take note)」と触れただけにとどまります。このことが示すことはつまり、クマラスワミ報告本体が最も高く評価されたのであれば用いられたであろう「賛意(commend)」が示されたわけでもありません。よって国連人権委員会として、「慰安婦」を「軍性奴隷」と断定する内容を容認(endorse)したものでは決してないのです。

もうひとつの例として、アメリカの大手教育出版社であるマグロウヒル社の高校の世界史教科書「伝統と交流」では、第2次世界大戦を扱った章の中で、「日本軍は14歳から20歳までの20万人もの女性を強制的に連行・徴用し軍用売春施設で働かせた」、「逃げようとしたり性病にかかったりした者は日本兵に殺された」、「戦争が終わる頃には、慰安所でやっていたことを隠すために多数の慰安婦を虐殺した」など多数の虚偽の記述があり、事実とは全く異なる誤った認識に基づく内容があたかも史実であるかのように教育現場に持ち込まれています。日本政府が重大な事実誤認があるとして訂正を求めていることに対し、アメリカ国内ではこれを言論・出版の自由や学問の自由に干渉するものだとする批判がありますが、決してそうではありません。間違った事実の指摘を批判することこそが言論・出版の自由や学問の自由への干渉なのです。

 米国の学者らは2015年5月5日の声明で「旧日本軍による慰安婦制度はその規模の大きさと、軍隊による組織的な管理が行われたという点において、そして日本の植民地と占領地から貧しく弱い立場にいた若い女性を搾取したという点において、特筆すべきもの」だと結論づけていますが、規模の大きさや組織的関与の有無が問題なのではありません。規模や軍の関与に関わらず、世界各国の軍によって引き起こされてきた「普遍的」な女性の人権問題と考えなければならないのです。自国の例を直視せず、日本の例を特異なものとしてそこだけを問題視する考え方は、世界各国で貧しく弱い立場にあった女性が受けた苦痛から目を背けることにも繋がってしまうのです。

 さらに、ジェノサイドであるナチスドイツのホロコーストと全く違った文脈で起こった「慰安婦」問題とを同列に扱おうとする動きもありますが、ホロコーストは一民族の抹殺であり、人類史上例を見ない犯罪です。「慰安婦」問題は女性の尊厳と人権を蹂躙する決して許されないものですが、戦時における兵士による女性の人権の蹂躙というある種の「普遍性」を持った問題と、民族の抹殺という人類史上極めて特異な人道的問題を同一視する論理は、理解し難いと言わざるを得ません。また1994年のルワンダ大虐殺の組織的レイプはルワンダ国際刑事裁判所でジェノサイドとされましたが、これはあるグループの殲滅を意図した組織的なレイプであり、日本軍によるいわゆる慰安を目的とした慰安婦制度とは目的も方法も違います。

 このように、慰安婦問題に関しては、現在までのところ、国家が組織をあげて人さらいのような強制連行を行なっていたというような確たる証拠は何も出てきておらず、そうである以上、日本の立場としては、法的責任はやはり認められないという結論にならざるを得ません。

 旧日本兵の慰安婦問題は「特異的である」「特筆すべき」などと表現されることがよくありますが、それは日本の謝罪や和解の取り組みを受け入れていない、また日本の取り組みをそもそも知らないということに止まらず、それどころか慰安婦問題がいつの間にか「確たるジェノサイド的な事実」として誤って国際社会に広まっているからではないでしょうか。

 不確かな一方的主張を歴史的事実と信じてしまうことが残念

 〈日本に法的責任があると言うなら、世界各国も同様のはず〉

 逆に、日本の「慰安婦」に対する責任問題が、条約や二国間取り決めで全て解決済みとは言い切れない、日本の慰安婦問題をジェノサイドや人道に対する罪のように言うのであれば、世界各国も同罪であることを国際社会は主張しなければなりません。

 戦場において、日本だけでなく世界各国の軍によって、女性が性の対象とされてきたこともまた、厳然たる歴史的事実です。軍の関与があったかどうかがよく議論の俎上に上りますが、どのような形態であれ、性の対象として女性を利用する行為そのものが女性の尊厳を蹂躙する行為なのです。

 重ねて申し上げますが、世界各国には、戦場の性の問題について、過去に日本という他国が起こした特異事例としてではなく、自らの問題であるとして過去を直視してもらいたいのです。そうでなければ、今なお続く兵士による女性の尊厳の蹂躙は根絶できません。

 〈貴市議会の決議案に関する懸念とグレンデール市の慰安婦像、碑文の問題点〉

 今回の決議案に関して懸念するのは、旧日本軍の行為の「特異性」という誤った事実認識に基づいて、碑文に間違った事実が刻まれるのではないかということです。

2013年7月にグレンデール市に設置された慰安婦像の石碑には「1932年から1945年の間に日本帝国軍によって強制的に性奴隷状態にされた20万人以上の(中略)アジアとオランダの女性を記念して。(以下略)」と刻まれていますが、これは歴史的事実として確認されていない言説です。慰安婦の数や募集における旧日本軍の関与について歴史研究者の間でも議論が分かれていることは2015年5月5日の『日本の歴史家を支持する声明』の中で米国を中心とする187名の歴史研究者らが自ら認めています。

 にもかかわらず、碑文に刻まれ、広く報道されることで、世界の多くの人々がこの不確かな一方的主張をそのまま歴史的事実と信じてしまうことが、残念でなりません。

 今回、貴市議会で審議されることになる決議案の文面を見る限り、具体的な碑文については触れていませんが、「日本帝国軍に拉致されて」「強制的に性的奴隷にされた」「20万人」といったキーワードが既に書かれており、同じような表現になるのではと懸念しています。

グレンデール市の石碑は「この不当な人権侵害が決して繰り返されないことが、私たちの偽らざる願いです」と締めくくられており、この部分に込められた思いには賛成です。ただ、そこに事実として何が刻まれるかが問題なのです。国連安保理決議1325号にもあるように、戦場、戦時における女性子供への暴力、性暴力は他の被害に比べて突出してきましたし、世界各地で「普遍的」に見られることが指摘されており、戦場における性暴力は世界全体が取り組まなければいけない問題と、私は認識しているのです。

 なお、決議文の「数名の日本の軍事指導者のほとんどは起訴から逃れた」という記述も間違いです。

 戦後の軍事裁判では、戦争犯罪人として多くの関係者が処罰されています。バダビア臨時軍法会議において、インドネシアのジャワ島スマラン他の収容所に抑留されたオランダ人女性を慰安所に強制連行した日本軍将校らが裁かれ、その責任者のうち一人は死刑となっているように、慰安婦問題に関しても、処罰されるべき者は処罰されているのです。

次世代の若者がよりよい世界のために、いがみあわず協力を

 〈事実の正確な把握と認識こそが将来の過ちを防ぐ、石碑はその役割を担うからこそ不正確さを最大限排除した事実の提示が必要〉

 誤解のないように重ねて申し上げますが、私には旧日本兵の慰安婦問題を世界各国の軍でも同様のことが行なわれていたことを理由に正当化しようなどという意図は全くありません。日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければならないのです。

 慰安婦像や石碑を建てる意味があるとすれば、過去を直視し、世界各国が共有する普遍的価値の1つである女性の尊厳と人権を尊重する世界をめざしていくという宣言のためであり、あくまで碑文の中身はその観点から各国が共有できるものであるべきと考えます。

 他国の兵士がどうであろうとも、旧日本兵による女性の尊厳の蹂躙が決して許されるものではないことに変わりはないのです。それゆえに過去の直視とは別に、日本は独自に自らの問題について向き合い、問題解決の努力を謝罪と道義的償いとして行なってきました。

 〈日本政府の立場、元慰安婦の方々へのこれまでの誠実な対応、女性の尊厳と人権が守られる世界を創り上げていく決意〉

 現在、元慰安婦の一部の方は、日本政府に対して、国家補償を求めています。しかし、1965年の日韓基本条約と「日韓請求権並びに経済協力協定」において、日本と韓国の間の法的な請求権(個人的請求権も含めて)の問題は完全かつ最終的に解決されました。

また、中国は、1972年の日中共同声明において戦争賠償の請求を放棄したことを前提に、個人被害者へのいかなる支払いも必要ないという態度を日本の外務省に対してとっていたことからうかがえるように、日本と中国の間に法的な請求権の問題は存在していません。

 日本は、韓国や中国との間の法的請求権問題が最終解決した後においても、元慰安婦の方々への道義的責任を果たすために、国民からの寄付を募り1995年に「女性のためのアジア平和国民基金(略称アジア女性基金)」を設立しました。

 アジア女性基金は全ての国の慰安婦の方に向けてスタートし、それぞれの国の実情に応じたものとなるよう各国と話し合った結果、韓国だけでなくフィリピンやインドネシアなど4カ国1地域で償い事業が行なわれました。中国についても、元慰安婦の方々への償いの可能性を打診しましたが、基金関係者の話によりますと中国政府は断ったとのことです。

 元慰安婦の方々へ償い金をお渡しし、総理大臣の直筆署名入りのお詫びの手紙と日本国民からのメッセージを添えて、あらためてお詫び申し上げたほか、女性の尊厳を傷付けた過去の反省にたち、女性に対する暴力など今日的な問題に対処する事業を援助するなどの女性の尊厳事業を行なうことで、日本政府はアジア女性基金とともに、誠実に対応してきたのです。

 先日安倍首相が発表しました戦後70年談話においても、首相は戦時下に名誉と尊厳を深く傷つけられた女性がいた事実を直視し、今後はそうしたことのない世界を創り上げたいという希望とそうした世界を日本が率先して創り上げていくというリーダーシップの決意を示したのです。

 〈日系人への配慮を求める、姉妹都市への影響を懸念、次世代の若者がいがみあわず協力していける環境をつくることの責任〉

 過去の過ち悲劇を直視し、犠牲者に思いをはせることで同じ過ちを繰り返さないこと、被害者の痛みを和らげることは、今日に生きる我々の世代の国境を越えた責任ではありますが、それと同時に次世代の若者がよりよい世界のために、いがみあわず協力していける環境を作ることも我々の責任です。

 サンフランシスコには日本人、日系人が多く住んでおります。慰安婦像もしくは石碑の設置はコミュニティーに分断を持ち込みかねないものとして懸念しており、またよりよい日米関係のためにも、細心の注意を払っていただきたい旨、姉妹都市大阪市の市長として述べさせていただきました。

 サンフランシスコ市とは長年にわたって相築き上げてきた友好関係を礎に、更なる協力によって、ともによりよい未来を構築していけると考えており、それを強く望むものです。   大阪市長 橋下徹