安岡正篤先生の言葉 平成29年9月例会 徳永選
壁書 父母をいとほしみ、兄弟にむつまじきは、身を修むる本なり。本かたければ末しげし。
一、 老を敬ひ、幼をいつくしみ、有徳を貴び、無能をあはれむ。
二、 先祖の祭を慎み、子孫の教を忽せにせず。
三、 善を見ては法とし、不善を見ては戒とす。
四、 人の過はいわず。我が功にほこらず。
五、 施して報を願わず。受けて恩を忘れず。 中根東里
淡々たる中に滋味尽きぬ、さすがに達道者の言である。東里、通称は貞右衛門。伊豆下田の人。十三、父を喪い、母の命に依り、剃髪して郷里の禅寺に入り証園と呼ばれた、汎く仏典を読み、傍ら荻生徂徠に就いてその嘆賞する所となった。また室鳩巣の門を叩き一家を成したが、当時の諸儒と対抗して門を張るを潔しとせず、光を韜み迹を晦ましては、或は街に綿糸縫針の類を商い、或は竹の被膜を作って売ったりなどしながら、数日の糧を得れば門を杜じて書を読むを常とした。余の好きな学人である。 古典を読む
三宝
我に三宝あり。一に曰く慈。二に曰く倹。三に曰く敢て天下の先とならず。慈なり、故に能く勇。倹なり、故に能く広し。敢て天下の先とならず、故に能く器の長と成る。今慈を舎てて且勇に、倹を舎て且広く、後るを舎てて先んぜば、死せん。 老子
我に三宝あり。第一に慈。第二に倹。第三に人を先にやる。
世間の人間は先頭にならうとして争うが、そういうことをしない。慈愛があるから勇気が出る。倹、つまりくだらぬ私心私欲に関心がないから心が広い。愚人俗人と競争などしないから自然に大ものになる。(続く)
この通りですね。今日のような到るところ矛盾・衝突・混乱の社会になったというのも要するに人間が慈を捨て倹を捨て省を捨てて功利に走ったからでありまして、こういう社会に生きておると、本当に肉体的にも生命的にも、だんだん病的になって参ります。
東洋思想十講