重職心得箇条 十七ヶ条 佐藤一斎
一 重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、此重の字を取失い、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其職を得ずと申すべく候。先ず挙動言語より厚重にいたし、威厳を養うべし。重職は君に代るべき大臣なれば、大臣重うして百事挙るべく、物を鎮定する所ありて、人心をしつむ(収攬)べし。斯の如くして重職の名に叶うべし。又小事に区々たれば、大事に手抜きあるもの、瑣末を省く時は、自然と大事抜目あるべからず。斯の如くして大臣の名に叶うべし。凡そ政事は名を正すより始まる。今先ず重職大臣の名を正すを本始となすのみ。
二、大臣の心得は、先ず諸有司の了簡を尽さしめて、是を公平に裁決する所其職なるべし。もし有司の了簡より一層能き了簡有りとも、さして害なき事は、有司の議を用るにしかず。有司を引立て、気乗り能き様に駆使する事、要務にて候。又、些少の過失に目つきて、人を容れ用る事ならねば、取るべき人は一人も無之様になるべし。功を以て過を補わしむる事可也。
又賢才と云う程のものは無くても、其藩だけの相応のものは有るべし。人々に択り嫌なく愛憎の私心を去て、用ゆべし。自分流儀のものを取計るのは水へ水をさす類にて、塩梅を調和するに非ず。平生嫌いな人を能く用ると云う事こそ手際なり。此工夫あるべし。
三、家々に祖先の法あり、取失うべからず。又仕来仕癖の習あり、是は時に従て変易あるべし。兎角目の付け方間違うて、家法を古式と心得て除け置き、仕来仕癖を家法家格などと心得て守株せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。
四、先格古例に二つあり。家法の例格(例となる法則、きまり、格式)あり、仕癖の例格あり、先ず今此事を処するに、斯様斯様あるべしと自案を付け、時宜を考えて然る後例格を検し、今日に引合すべし。
仕癖の例格にても、其通りにて能き事は其の通りにし、時宜に叶わざる事は拘泥すべからず。
自案と云うもの無しに、先ず例格より入るは、当今役人の通病なり。
五、応機と云う事あり肝要也。物事何によらず後の機は前に見ゆるもの也。其機の動きを察して、是に従うべし。物に拘りたる時は、後に及んでとんと行き支えて難渋あるものなり。
六、公平を失うては、善き事も行なわれず。凡そ物事の内に入ては、大体の中すみ見えず、姑く引除て活眼にて惣体の体面を視て中を取るべし。
七、衆人の厭服する所を心掛べし、無利押付の事あるべからず。苛察を威厳と認め、又好む所に私するは皆少量の病なり。
八、重職たるもの、勤向繁多と云う口上は恥べき事なり。仮令世話敷とも世話敷とは云わぬが能きなり。随分手のすき、心に有余あるに非れば、大事に心付かぬもの也。重職小事を自らし、諸役に任使する事能わざる故に、諸役自然ともたれる所ありて、重職多事になる勢あり。
九、刑賞与奪の権は、人主のものにして、大臣是を預るべきなり、倒に有司に授くべからず、斯の如き大事に至ては、厳敷透間あるべからず。
十、政事は大小軽重の弁を失うべからず。緩急先後の序を誤るべからず。徐緩にても失し、火急にても過つ也、着眼を高くし、惣体を見廻し、両三年四五年乃至十年の内何々と、意中に成算を立て、手順を逐て施行すべし。 十一、胸中を豁大寛広にすべし。僅少の事を大造に心得て、狭迫なる振舞あるべからず。仮令才ありても其用を果さず。人を容るる気象と物を蓄る器量こそ誠に大臣の体と云うべし。
十二、大臣たるもの胸中に定見ありて、見込みたる事を貫き通すべき元より也。然れども又虚懐公平にし人言を採り、沛然と一時に転化すべき事もあり。此虚懐転化なきは我意の弊を免れがたし。能々視察あるべし。
十三、政事に抑揚の勢を取る事あり。有司上下に釣合を持事あり。能々弁うべし。此所に手を入て信を以て貫き義を以て裁する時は、成し難き事はなかるべし。
十四、政事と云えば、拵え事繕い事をする様にのみなるなり。何事も自然の顕れたるままにて参るを実政と云うべし。役人の仕組事皆虚政也。老臣など此風を始むべからず。大抵常事は成べきだけは簡単にすべし。手数を省く事肝要なり。
十五、風儀は上より起こるもの也。人を猜疑し、蔭事を発き、たとえば、誰は表向き斯様に申せ共、内心は斯様なりなどと、掘出す習いは甚あしし。上に此風あらば、下必其習となりて、人心に癖を持つ。上下とも表裡両般の心ありて納めにくし。何分此むつかしみを去り、其事の顕れたるままに公平の計いにし、其風へ挽回したきもの也。
十六、物事を隠す風儀甚あしし。機事は密なるべけれども、打出して能き事迄もつつみ隠す時は却て、衆人に探る心を持たせる様になるもの也。
十七、人君の初政は、年に春のある如きものなり。先人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至ても明白なるべし。財帑窮迫の処より、徒に剥落厳沍の令のみにては、終始行立ぬ事となるべし。此手心にて取扱あり度ものなり。
徳永圀典記