鳥取木鶏研究会 例会 平成21年9月7日
安岡正篤先生「易と人生哲学」
学問の要訣
何時の間にか回を重ねて、第八回に到達致しました。易について、何も御存知なかった方々も、回を重ねるに従って妙なもので、習うより慣れろという言葉がありますが、本当に慣れてきますと何となくわかってくるものであります。
慣れますと、思い出してはやはり取り出して読んで考える、そうすると自然に理解ができるものでありまして、何より慣れる、習うということが、大事な学問の要訣であります。
習
習という文字は、何時かお話したと思いますが、大変よい文字でありまして、羽の下に白の字を書くと普通に思いますが、この白という字は、小鳥の胴体を表す象形文字でありまして、羽の下の胴体であります。
つまり小鳥が巣から離れて飛ぶ稽古をしておるという姿を表した象形文字で習というのはつまり身体で稽古をする、修業をするということであります。
頭の学問
学問を習うというのも、頭でやっておる間はだめでありまして、羽と胴、つまり行動で、言いかえると実践で習うということでなければ、本当の学問、学習にならぬわけであります。
易も単に知識的に取り扱っておったのでは中々ものになりません。やはり習うということが具体的に、従って行動的になりますと、段々わかって参ります。
易は直感的学問
易の卦については、前回講じました上経三十卦によって既に大分おわかりになったと思いますが、これは非常に原理的、具体的な人間の思索、行動の範疇、規範というものであります。
また大変、実践行動的でありますから、概念や論理ではなく、身体で思索するという直感的な学問であります。
上経と下経比較
それが下経になりますと一段とはっきりしてまいります。上経は幾らか理論的、抽象的でありますが、下経になりますと非常に具体的になり、従って実践的で易らしくと言いますか、我々に非常に親しくなって参ります。従って一段と面白くなってきます。
そこで上経をよく学んで、下経に入りますと易学が生きて参ります。いきなり下経に入りますと少し興味が俗になりますので、思索的、理論的の上経をよくこなしてやや実践的、行動的な特色ある下経に入るのがやはり正しい学習方法であります。下経は三十四卦から成り立っておりますから、本日はその三十四卦について大事な名称と内容の解説を致します。
下経
咸は感と同義で、心のふれあいであります。感応、感受、感銘の感であります。私達の生活行動というものは、複雑な感覚、感応から始まる。そこで咸の卦の互卦―二爻、三爻、四爻、五爻を見ますと、下が風で上が天、−天風?であります。
つまり咸の卦は、天風?の互卦を持っておるのであります。?は、あう、ゆきあうという文字でありますから、陰陽、男女が相感応することで、従って澤山咸の卦は、夫婦の始まりであります。恋愛もこの卦であります。
咸が恋愛から始まり、夫婦となって結ばれ、永遠性、永久性を持つ、これが恆の卦であります。そこでこれをつねと読むわけであります。
新婚夫婦も数年経ち安定した生活をしておりますと、雷と風がこの二人に波乱をおこそうとしますが、何事も初心を忘れずに一貫性を守っていきますので、影響はありません。このように下経は、自然的よりも人間的であり、上経に比べると更にまた感興が豊かになります。
咸と恆は結びの卦でありますが、天山遯は解脱の卦であります。処が人間には、結びがあればこそ、そこに解脱というものがなければなりません。つまり男女、夫婦は結合だけではいけない、どこかに解脱するところ、超越するところがなければなりません。
遯という字は、普通はのがれるという意味に解釈します。勿論それも一つの意味ですが、この遯は非常な深い意味がありまして、消極的な意味ではありません。だから解脱と訳すのが一番ようと思います。遯の卦も互卦は天風?であります。
古来から、雅号に遯の字をつけた人が多い。例えば、朱晦庵―朱子が遯翁と号しております。日本でも徳川時代の初期に宇都宮遯庵という人がありますが、非常が大学者で立派な人でありました。
政治家や、実業家等が、日曜になると、朝早く起きて、わざわざ遠い所まで行ってゴルフをやる、これもやはり遯の一つです。易は創造―クリエーションの道であり、理論であり、学問でありますから、どこまでも積極的でなければならない。遯も消極的な隠遯でなく解脱であります。
大いに壯んなれ、というのが大壯の卦であります。
つまり遯によって消極になっては駄目で大いに活動力を壯んにしなければならないということであります。大壯の卦の結論である大象を見ますと、非礼弗履礼にあらざれば履まず、とあります。
つまり礼法、礼儀に即しなければ実行しない。即ち遯する。解脱するとは、より真実の生活、正しい生活に入ることで、消極的萎縮的になるということではなく、それによって生命、人格、行動というものを一層壮んにするという意味をもっております。それによって始めて人間には進歩があるのであります。