鳥取木鶏会9月例会「安岡正篤先生の言葉」徳永圀典

 

学ぶこと

我々がいかに不昧(ふまい)であるか、それとも、いかに不明であるかと言うことを考えますと、これは慄然(りつぜん)とすることが多い。やはり人間は学ばなければいかん。どんなに偉い人でも学ばなければ気がつかんのであります、学問することによって初めて気がつくのです。つまり不明が不昧になるのです。むしろ。出来れば出来るほど、経験を積めば積むほど、やはり学ばなければならない。処が人間は少し成長し、少し仕事をするようになると学ばなくなる。学ばなくなるから不明になる。              運命を開く

 

全てに学ぶ

我々は縁にしたがって学ぶ。おのづからなる所縁(しょえん)より人これを何と称するもまた争うことはない。我々の学は門戸を立てて他と競うべきではない。命を知り命を立つるにある。

 かくの如き人こそ(みこと)であり、(みこと)である。道を歩むにも自家門前の通路より出かけねばならぬように、縁のあるところから始めるほかない。さすればおのづから大道に通ずる。その(せい)(めい)縁故(えんこ)(すい)(ぜん)として発揮せねばならぬが、それをもって造化を凝滞(ぎょうたい)し、天地を狭溢(きょういつ)にすべきではない。専門的愚昧・党派的猜嫉(さいしつ)を戒めて、(えん)明通達(めいつうたつ)せねばならぬ。      東洋の心

危機克服の道

現代の危機を克服する者は結局、教育学問であります。徹底的に言

えば、我々が今日誇っておる科学や技術や産業の発達と匹敵する様

な道徳的精神的人格的発達が無ければ、この文明は救われないので

あります。教学の使命は厳として此処にあると信じます。即ち教育

者は真の人間を作る様に子弟を教え導かねばなりません。真の人間

とは、いかなる地位に置いても信用せられ、又いかなることでも、

容易に習熟する用意の出来ておる人々、苦悩しておる人類に敬意と

希望を与える人間のことであります。

淫乱は民族滅亡の近道

礼儀修まらず。礼儀は礼と義にわけると、礼とは調和で、つまり社会生活、国家生活における組織・秩序であり、その中にあって人間がいかになすべきかという思想・行動の原則が義であります。従って、礼儀修まらずとは私たちの国家生活、あるいは社会生活の組織・秩序とそれに即した思想・行動がおさまらないと言うことです。

男女淫乱。男女関係が乱れるということは民族滅亡の一番の近道です。処が昨今、日本もこれが非常に乱れまして、週刊誌等はこぞってこの種の記事を面白おかしく書いておりますが、大変なことになったものであります。          先哲講座

気力

 気力とは、身心一貫した生命力であります。事に当りますと、非常に粘り強い、忍耐力・実行力に富んだ人があります。こういうものは潜在エネルギーの問題でありまして、真の創造力です。この気力・生命力が養われておりませんと、事に耐えません。いくら思想や教養がありましても、単なる観念や感傷・気分、そういったものになってしまいまして、とかく人生の傍観主義・逃避主義者・妥協主義者といったような意気地のないものになってしまう他ありません。そもそも気力というものは、その人の人生を実現しようとする絶対者の創造的活動であります。      朝の論語

 

公共精神薄弱の日本人

 どうも日本人は概して公共精神、犠牲的精神、道徳的感激性の人材が少ない。頭が良いとか、才があるとか、世渡りが巧いとかいう、個人主義的に優秀な人物は多いのです。けれども、己れを抑え、そうして大義に生きる、公共に生きるというような感激的精神、そういう道義は衰えておる。これが現代人に人なしと謂われる真因であります。知識や技術、個人的な生活能力という点に於いては決して衰えておるのではない。人生とか国家とかの大義に--大事に感激する、それに身を挺して当るというような道義になってくると確かに衰えている。            日本の運命

全節とは

古来、節を(まっとう)うす、全節ということ、特に晩節を大切にすることを重んずるのは尤もなことである。仕事も出来、地位も上るにしたがって、人間は益々欲も出れば、誇りも生じ、執着も強くなって、その反対に後進を軽視し、不満が多くなり、また先輩を凌ぐ態度や行動も出勝ちである。これは叛逆にも通ずる。あさましいことである。                 東洋的学風