歴史を動かした人達
 
平成9年12月21日 日本海新聞潮流に寄稿 


一]
去る十月ジェームス三木原作のNHKテレビドラマ夜会の果てを鑑賞した。野性味ある明治初期の元勲と言われた第二代総理黒田清隆の後妻に話題の人黒木瞳が扮する。政敵でも良い事は良いと断じて支援する豪快さ、現代政治家が忘れたかに見える国益を守ると言う逞しい筋金が一本貫いている。俳優達が大層年寄り臭く見えるが一体当時の政治家は何才位かと興味が湧き図書館で終日調査した。           

二]
明治十八年初代総理伊藤博文四十五才、大蔵松方正義五十一才、文部森有礼三十九才 、外務井上馨五十一才、内務山県有朋四十八才。若い彼等が国家を運営し西欧の列強に 対抗していたのだ。

明治初年民権運動家が自由民権運動を進めて国会設立の同意を得たのが明治十四年。彼等も随分若い。板垣退助四十五才、尾崎行雄二十三才、中江兆民三十五才、大隈重信 四十四才、犬養毅は二十七才だ。

三]
日本の動乱期戦国時代の武将はどおか。織田信長四十九才本能寺で死す。豊臣秀吉五十才で関白となる。彼は藤吉郎と言われた時代からの大活躍はご案内の通りだ。

では中世、源平の騒乱期をへて鎌倉幕府を設立した源頼朝はどおか。彼が平家打倒に立ち上がったのが三十三才、義経二十二才。驚くべき若さである。
更に遡りたい欲求に駆られた私は挑戦する。 飛鳥時代聖徳太子が推古天皇の摂政として政治を動かしたのが十九才だ。臣下で初めて関白職についた藤原基経は三十二才。此処まで調べた私は感動すら覚えた。人生五十 年と言われた時代であったとしても歴史を動かした人々は想像以上に若かった。何時の時代も若さは何物にも代え難い力を発揮する。現代でも数学とかコンピューターの分野では三十代半ば迄と言われている。三十代四十代、そして五十代六十代まして七十代では同じ事を決断するのに大変な違いが生まれよう。

四]
更に私はかねてから興味ある鎌倉仏教の創始者宗祖達の年令を調べた。千二百年前後に宗祖達が一派を開いた年令は浄土宗の法念四十三才、曹洞宗の道元二十 八才、日蓮三十二才、親鸞二十九才そして一遍は三十八才だ。空海は八百十六年高野山の金剛峰寺建設着手が四十三才とある。空海は八百六年三十三才の時に唐の長安から帰 国している。日本仏教の創始者達は二十ー三十才代に当時の社会と寝食を忘れて激しく戦い民衆の救済に身を捧げた。以来八百年今日迄宗教は眠ったままだ。オーム事件の時も遂に立ち上がらなかった。


五]
政治経済に到っては今日老害が跋扈し筋金入りの決断が出来ないでいる。国家の老化を思わせる。

以上列挙した日本の動乱期は若い人間が激しく動き乗り越えたのだ。敗戦直後は吉田茂が六十七才で総理となり戦後繁栄の基礎を作った。ドイツのアデナウアー氏と名前を忘れたがイタリアの首相共々敗戦三カ国は戦時中の暴政受難者が総理となり戦後の命運を委託されている。然し公職追放の為政財界とも一気に若返り寝食を忘れて発展に尽くし今日の成功を見た。

六]
さて、時代は今や平成の大動乱期を迎えようとしている。あらゆる戦後の仕組みが行き詰まり大手術以外に日本は立直れない。このままであれば玉砕型になる。これを打破して前に進むには容易ならざるエネルギーが必要。それを持つのは若さだ。二十一世紀に立ち向かうには若い人達の高い志と圧倒的な行動力しかない。

ここで私は明治の哲人財界人と言われた住友の幽翁伊庭貞剛の言葉を引用して終わりたい。

進歩発展に最も害をなすものは青年の過失ではなく老人の跋扈である。
                                    徳永圀典