日中外交の歴史から考えるポスト小泉 日本海新聞潮流寄稿 平成18年9月1日

聖徳太子が隋の煬帝(ようだい)に宛てた外交文書「日(いづ)る国から日歿する国へ」は中国と対等の気概を示す。(はく)村江(すきのえ)の戦、元寇(げんこう)の襲来も日本は中国に対し敢然と立ち向かった。
足利義満将軍が
(みん)から柵封を受ける朝貢の愚があったが、朝鮮のように柵封(さくほう)秩序にすがったわけではない。寧ろ、明にとり当時の日本は倭寇根拠地として恐しい存在だった。
秀吉の朝鮮出兵、実質は対
(みん)出兵である。明治時代の日清戦争、膺懲(ようちょう)と言った昭和の心意気も欧米侵略を防ぎ唯一独立を保持した国家として世界を視野に入れた気概溢れる精神。

かかる如く歴史を一
(べつ)すれば近年、日本が中国から受けている様々な内政干渉は我が国有史以来未曾有の屈辱・恥辱である。日中交渉の歴史上、様々な対立があったが今日ほど理不尽な内政干渉を受けたことは皆無。

平和条約で過去の国家関係は清算されたのを無視する無法中共。それは過去の政治家、外交官の命懸けの国益保全の不足に由来する。国益とか国家は命懸けで守るべきものであり、彼等にその覚悟が決定的に欠如していた。それは中国共産党の日本懐柔策の成功でもあるが、今なお
21世紀の朝貢のような国会議員の中国共産党参りは苦々しい。
彼等は国家・国益観、外交哲学に欠け無責任。外交は緻密な論理設計による言動が絶対必要であり国益を顧慮しない幼稚な自己益政治家が多過ぎる。
北条経済同友会長の如く村上並みに成り下がった輩あるも関西同友会の識見、御手洗経団連会長らは同慶に堪えないが大方は金権の媚中。

かかる意味で国家の矜持を守る小泉総理の対中態度は歴史的に正解。

ポスト小泉は、誰が総理かの国内問題ではなく、日本の未来を決断する国運の歴史的当事者となる。我が国には有史以来の危難が迫りつつあり極めて深刻だが政治家も外交官も財界も国民大多数も切迫感が無い。

それは何処から来るかと言えば、日本の自己喪失から来ている。これが消滅すれば国家そのものも解体するのは常識。日本は得体の知れない国になってしまった、日本人が自分自身も自分の国も見失っているからだ。

その核心的原因は戦後日本が米国により事実上動かされてきたことにある。ソ連崩壊後、激動する国際環境の中、自己喪失した日本はどうすべきか分からなくなっているのが現状。

要するに日本人や日本国は大人になりきれていない。大人の要件は、独立自尊である。米国への従属が国民の精神的成長を阻害し続けたのである。国家・国民の安全保障の基礎である国防をアメリカに依存してきたことの結果である。それが国民の潜在意識に根をおろし、為に国家観が鈍感になっている。

そのことに気づいた敗戦劣等感の無い青壮年の一部は現在猛烈に目覚めつつある。安全保障は、詰まる処、憲法という基幹法がおかしいことに尽きる。日本は去勢されて
60年経過したから自分自身を見失い、国家のなんたるかが肌身で分からない政治家・外交官・国民を育てた。

中国は一党独裁、軍事力で米国と世界覇権を争う姿勢、外貨準備も世界一となり地球の資源を覇権的に取り込もうとしている。

近隣には共産主義独裁の中国と北朝鮮、左傾した韓国、日本は史上最高の難局を迎えつつある。米国の軍事基地再編成もそれらを見越した東アジアからの後退やも知れぬ。

自らの安全は自らが守ると、当たり前の事を国民が決意しなくては日本は間違いなく衰亡に向かう。

(鳥取市)鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典