日本の歌 9月 小倉百人一首
平成18年9月
1日 | 藤原道雅 |
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな |
今はもうあなたを思い諦めることだけを、人づてでなく直接言う方法が欲しい。 |
2日 | 藤原定頼 |
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木 |
明け方、宇治川に立ちこめて霧が少しづづ散って、浅瀬の網代木が姿を現してくる。 |
3日 | 相模 |
恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ |
人を恨む涙で袖も乾かぬうちに、恋のために朽ちてしまう私の名が口惜しい。 |
4日 | 行尊 |
もろともに哀れと思へ山桜花より外に知る人もなし |
互いに親しくしようではないか、山桜よ。ここにはお前以外に友とするものがない。 |
5日 | 周防内侍 |
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ |
春の夜の夢ほどはかない手枕のために、いわれない浮き名が立つのは悔しい。 |
6日 | 能因法師 |
あらし吹く三室の山のもみじ葉は竜田の川の錦なりけり |
嵐で散った三室山(奈良県)の紅葉は、竜田川に流れていって美しい錦を織っている。 |
7日 | 良暹法師 |
寂しさに宿を立ち出でて眺むればいづこも同じ秋の夕暮れ |
余りに寂しいので、家を出てあたりを眺めると、どこも同じくらいに寂しい秋の夕暮れだ。 |
8日 | 大江匡房 |
高砂の尾上の桜咲きにけり外山の霞立たずもあらなむ | 山の峰の桜が美しく咲いた。近くの山の霞よ、どうか立たないで欲しい。 1041〜1111 平安後期の代表的な文人官吏。父は大学頭成衡,母は橘孝親の娘。匡房の自伝『暮年記』などによれば,曽祖父匡衡よりも早く4歳で初めて書を読み,11歳で詩を賦して世に“神童”といわれ,文章得業生となって3年目に18歳で方略試に及第した。その後,東宮学士・蔵人・中務大輔・右小弁・美作守・左大弁・勘解中長宮・式部大輔などを経て,寛治2年(1088)48歳で参議に昇り,54歳で権中納言となった。57歳で大宰権帥を兼ねて筑紫に赴任し,その功により正二位に叙されたが,71歳で大蔵卿に任ぜられてまもなく薨じた。その間,とくに後三条天皇と白河上皇の信任をえて重く用いられ,また関白後二条師通にも信頼されて親交を結んだ。諸道に精通した博学者で,著作は『江家次第』をはじめ『江記』・『江都督納言願文集』・『本朝神仙伝』・『続本朝往生伝』・『扶桑明月集』および『朝野群載』所収「暮年記」・「詩境記」・「対島貢銀記」・「遊女記」・「傀儡子記」など頗る多い。また和歌にもすぐれ,家集『江帥集』があり,勅撰集に100首近く入っている。なお,『江談抄』は匡房の物語を藤原実兼が筆録したもので,その中に〈官爵と云ひ福禄と云ひ皆文道の徳を以て暦経する所なり〉と述べている。 |
紀伊 |
音にきく高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ |
評判の高師( |
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9日 | 源経信 |
夕されば門田の稲葉おとづれて芦のまろ屋に秋風ぞ吹く |
夕方になると、門先の田の稲の葉をそよそよと鳴らし、芦ぶきの田舎家に秋風が吹く。 1016〜1097(長和5〜承徳1)平安後期の公卿。宇多源氏敦実親王流,民部卿道方の子。母は歌人で琵琶の名手であった播磨守国盛の娘。1030年(長元3)従五位下に叙せられ,1067年(治暦3)任公卿,1091年(寛治5)大納言,1094年(嘉保1)大宰権帥を兼任,翌年老体を押して九州に下向し大宰府で没した。和漢の学に通じ,法令に明るく“朝家の重臣”と称された。白河帝が西川に行幸した際,詩・歌・管絃の三船にその道の達人を分乗させたところ,経信は管絃の船に乗って琵琶を弾じ詩歌を献じ,“三船の才”と言われた。書画・香道・蹴鞠にも秀で,その博識多才は藤原公任に比されている。世に帥大納言と呼ばれ,また桂の里に住んでいたところから桂大納言とも呼ばれた。日記の『帥記』(『経信卿記』『都記』とも言う)のほか詩文集に『都督亜相草』があり,『本朝無題詩』にも多くの詩が収録され,和歌には『大納言経信卿集』,評論には『難後拾遺』がある。桂流琵琶の創始者としても知られ『伏見宮御記録』には幾つかの自筆楽譜が今に伝えられている。 |
10日 | 源俊頼 |
憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを |
初瀬の山嵐よ、あの人の冷たい心を、おまえのように激しくなれとは祈らなかったのに。 |
11日 | 藤原基俊 |
契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋も去ぬめり |
約束のお言葉を命と頼みにしてきた方が、ああ今年の秋もむなしく過ぎていく。 |
12日 | 藤原忠道 |
わたの原こぎ出でて見れば久方の雲居にまがふ沖津白波 |
大海原に舟を漕ぎだしてみると、雲かと見誤るような沖の白波が見える。 |
13日 | 崇徳院 |
瀬を早み岩にせかかる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ |
瀬が速いために岩にせかれた急流のように、今は邪魔されても将来は必ず会おうと思う。 |
14日 | 堀河 |
長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ |
末永く変わらない心と思うが、今朝は寝乱れ髪のように心が乱れ思い悩む。 |
15日 | 藤原実定 |
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる |
ほととぎすが鳴いたので、そちらのほうを見たら、空にはただ有明の月だけが残っている。 |
16日 | 道因法師 |
思ひわびさても命はあるものを憂きに堪へぬは涙なりけり |
冷たい人と嘆いても何とか生きているが、涙だけはこらえきれずに流れ落ちている。 |
17日 | 藤原俊成 |
世の中よ道こそ無けれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる |
この世の中に逃れる道はない。思いつめ入った山奥にも妻を慕う鹿が悲しい声で鳴いている。 |
18日 | 藤原清輔 |
ながらへばまたこのごろや忍ばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき | 生き長らえば、この今を懐かしむだろう。辛いと思った昔も今は恋しいのだから。 |
19日 | 恵法師 |
よもすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり |
一晩中恋に悩むこの頃は夜明けが遅く、寝室の隙間さえもつれなく思われる。 |
20日 | 西行法師 |
嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな |
嘆け、と月が物思いを勧めるわけもないのに、まるで月のせいのように涙が溢れてくる。 |
21日 | 寂蓮法師 | 村雨の露もまだ干ぬ槙の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ |
時雨のような雨に濡れた槙の葉が乾かぬうちに霧が立ちのぼる寂しい秋の夕暮れよ。 |
22日 | 別当 |
難波江の芦の仮寝の一夜ゆえ身をつくしてや恋ひ渡るべき |
難波江( |
23日 | 式子内親王 |
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする |
わが命よ、絶えるなら絶えよ。生き長らえて恋を忍ぶ心が弱まっては困るから。 |
24日 | 大輔 |
見せばやな雄島のあまの袖だにもぬれにぞぬれし色は変はらず |
雄島の漁夫の袖さえ、ひどくぬれても変色しないのに、涙で変色した袖を見せたい。 |
25日 | 藤原良経 |
きりぎりす鳴くや霜夜のさ筵に衣片敷ひとりかも寝む |
こおろぎが寂しげに鳴くこの寒い霜の夜、むしろの上に片袖を敷いて一人寝るのか。 |
26日 | 讃岐 |
我が袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らぬ乾く間もなし |
私の袖は潮干にも姿の見えない沖の石のように人には知れないが涙で乾くひまもない。 |
27日 | 源実朝 |
世の中は常にもがもな渚こぐあまの小舟の綱手かなしも |
世の中は不変であってほしい。漁夫が引く舟の引綱のさまは、なんと趣のあることか。 |
28日 | 藤原雅経 |
み吉野の山の秋風さ夜更けてふるさと寒く衣うつなり |
吉野山から秋風が吹き渡る夜が更け、里で寒々と砧で衣を打つ音が聞こえる。 |
29日 | 慈円 |
おほけなく憂き世の民におほふかな我がたつ杣に墨染の袖 |
身分不相応であるが、私は世の人々に仏の慈悲を覆いかける。比叡山に入り墨染めの衣で。 |
藤原家隆 |
風そよぐなら小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける |
楢の葉が涼しく風にそよぐならの小川の夕暮れは既に秋だが、みそぎだけが夏の証拠だ。 | |
後鳥羽院 |
人をもし人を恨めし味気なく 世を思ふゆえに物思ふ身は |
人がいとおしくも恨めしくも思える。この世をつまらなく思って悩んでいる身には。 |
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30日 | 順徳院 |
百敷ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり |
宮中の古い軒端に生える忍草を見るにつけても、しのびきれない昔が恋しくなることよ。(百人一首完了) |
歌かるたの遊び方 |
かるたの札は、読み札と取り札、各百枚ある。 |
源平、二組に分かれ、各五十枚の持ち札を取り合う。(持ち札が早くなくなった方が勝ち) 個人戦、一対一の対戦で、正式競技の方法。勝敗のつけ方は「源平」と同じ。 |