食欲と性欲

平成9年8月8日 日本海新聞 私の視点寄稿

人間と動物の共通事項は本能。食欲と性欲。どちらも根源的に備わっている。欲望は生を受けたものは如何とも致しがたく死ぬまで続く。宗教家はこれを煩悩と云う。然し、大衆レベルで宗教は未救済のままである。煩悩即ち、この二大本能により個体は維持発達し人類は営々連綿として続く。人間、否生きものは等しくそれらを飽く無く求める。

煩悩という欲望こそ人間を駆り立てている根源であろう。その善の一面で人類も文化文明もここ迄発展したのも事実。欲望の実在、善用これは認める。これを否定するのは死に外ならない。人間そのものの否定につながる。受け入れるしかない。両刃の剣のこの二大本能について動物は自然の自制力がある。人間のみ放縦になっている。コントロールの方法論が確立されていない。一定の歳を食うまで放任とは情けない。人間に最も遅れている分野である。賢いようで人間も大したことはない。それが人間なのかもしれないが。食欲は飽食の現代には成人病まで行き着く。性欲は言論と報道の自由と商売の自由とかで煽りたてて止まるところなし。本当に人間とは愚かなものでもある。自然体から度が過ぎている。子孫の為に生殖上最も保護が大切な母胎を持つ若い女性が喫煙とともにその影響を強く受けて援助交際と云う売春を、皆がするからと言って売春し外国から笑われている。それを買う教師も他の社会人もいるのだから人間とは実に情けない動物ではある。動物より劣る。私は矢張り現在の報道の自由とか商業に道徳律が欠けていることに起因すると思われて致し方ない。マスメディアの優秀なる人間がお金のために何でもするので決して報道の自由とか言論の自由という崇高な精神とは無関係と思う。それでも、それらの自由を守って行く必要があるのであろうか。それらの人権を守り社会全体の人権が蝕まれて行くのを傍観し社会的にひ弱な家庭とか個人的良心のみに依存してよいものであろうか。殺人者の人権のみ云われて被害者の人権無視が淳君事件で云われたが同じではあるまいか。子供は個人的な子供であると共に社会の子であり社会の強い影響を受けて育つ。個人と社会との相互関係が人間存在の本質を正しく理解した上で健全に発達する良い方法は無いものであろうか。犬は猫可愛いがりし厳しく躾けをしないと自分が人間より上と思い人間様に噛みつくようになる。同様な事情が人間にも蔓延している。それは親の情熱が欠けている?母性のみで父性に欠ける現代病?断固としたものが無い世相がここにも反映している。万物の霊長と云うならば生きとし生ける知恵ある人間が自ら解決しなくてはならぬぬ大問題である。  完