アジアの解放を一人妨害し続けたシナ その一

シナは長い間、中華思想の下 周辺諸国を
東夷 とおい 西戎 せいじゅう 南蛮 なんばん 北狄 ほくてき
などと言って植民地か属国並みに扱ってアジアの大国を誇っていた。

処が近世に入り
白人のアジア侵略期には極めて弱く
特に阿片戦争以後はマカオや香港だけでなくシナ平原の大半がヨーロッパ列国に
事実上分割支配されてしまった。
続く第二次世界大戦後のアジア植民地解放期に入って東南アジア諸国が次々に
完全独立する中にあってシナは香港、マカオの如く一番最後になって
やっと白人植民地支配の呪縛から解放された。

それは何故か。
アジア植民地解放戦争期においてシナは独り「遠交近攻政策」を採り、
白人に与して、この独立運動に反抗してきたからである。
日本が独りアジアを代表して西欧勢力と戦っている時、
その足を引っ張り続けたのはシナであった。