結局は武士道だ!!

   命を賭ける !

当時の国を思う人々は、ピーンと張り詰めた空気の中にいたのである。

「寄らば斬るぞ」という殺気ではないか。 

「命を懸ける」それが当時の指導的人物の元気の源である。

あの薩摩藩は、七つの海を支配する大英帝国と戦ったのである。

その元気の良さあったらばこそ大革新が成功したのである。

 元気のエッセンスは 命を懸けた使命感、一言で言えば、「サムライ精神」であり、

「武士の魂」であろう。 

「名でもない、 利でもない」、「自ら正しいと思う 志のために 命を懸けることであり、

 道義を第一と考える 思想」 なのである。 

命懸け!  

当時は、なにをやるにも命懸けであった。気に入らねば容赦なく斬り捨てる乱暴者が
あちこちにいた時代である。

責任の取り方も当然に命懸けであった。  間違えば切腹は当たり前。だから真剣勝負で
仕事に立向かう、

だから大胆なことも成功する。
現代の政治家は金まみれ!爪の垢を煎じて飲め。馬鹿野郎!!

 サムライ精神 それは日本人が長い間、育んできた徳目である。

新渡戸稲造はアメリカで自らのバックボーンとなっていたものは何かと自問して

「武士道」を書 いた。

岩倉使節団より30年後の明治32年出版だから武士道精神が尚生きていたのである。 

武士道の序には こう書かれている。新渡戸がベルギーの大学教授の頃、宗教の話題が出て

「あなたの国の学校では 宗教教育は無いと 仰るのですか」と詰問された。

新渡戸が
「ありません」と 答えると、教授は驚い て繰返し反問したのである。

新渡戸はとっさの質問にまごつき即答できなかったのである。

その後その事が忘れられず自問し続け、自分が学んできた道徳は武士道であると
気がついたのだ。

著書
「武士道の冒頭」 新渡戸の妻、メリー・エルキントンに説明すべく著作したと
いわれる。

その冒頭には下記のようにある。

「それ武士道は、今尚我々の間における力と美との生ける対象である。それは
なんら手に触れうべき形態をとらないけれども、それにもかかわらず

道徳的雰囲気を香らせ我々をして今なおその力強さの支配のもとに ある
を自覚せしめる。

それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。

然し、昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、

封建制度の子たる武士道の光は、その母たる制度の死したる後にも生き残って、
今なお我々の道徳の道を照らしている。」 

 武士道的な社会的取り決め 

サムライは金銭を卑しんだ。士農工商として商を最下位に置き金銭にまつわることは
サムライと最も遠いとこに置いたのである。

現代日本人は真の宗教も武士道も欠けた世界の識者や指導者から侮蔑される人間となった!

新渡戸はモンテスキューを引用
武士道的な社会的取り決め の智恵について次のように述べている。

「貴族を商業より遠ざくることは権力者の手へ富の集積を予防するものとして賞賛すべき
社会政策である」と。

サムライは精神的貴族

権力と富の分離は富の分配を公平ならしむる。そして
ローマ帝国衰亡の一因は貴族の商業に従事するを許し
その結果として少数元老の家族による富と権力の独占が生じたことにある。 

サムライは、あくまで精神的貴族であり、貧しさを寧ろ誇りとする君子であった。

生甲斐は

「義を為すにあり」その為に死することこそ本望と考えられたのである。

武士道の骨子とは何か 

仁であり、

義であり、

勇であり、

礼であり、

信であります。

仁とは慈愛であり、

義とは正しきこと であり、

勇とは

義をなすことであり、

礼とは思いやりであり、

信とは誠である。