中国の歴史教科書 B ここがおかしい

中国・韓国の歴史教科書は著しく客観性に欠けた反日教育で真実の歴史を教えていない。ウソを教育し愛国心のみ助長している。自国の都合のいいようなことばかり掲載しており、このまま推移すれば中・韓青少年が日本に牙を向けてくるのは当然である。中国共産党のこの卑劣な手法に断然抗議すると共に過去の日本政府・日本人の怠慢に警鐘を鳴らしたい。ここに、これを広く公開して認識を高めたい。平成1751日 徳永圀典
平成17年7月

       テーマ 中国教科書のウソ         真実の歴史
 1日 日本が登場するのは
「残虐」事件だけ

万人抗1
中国の石炭を最大限略奪する為に、日本の侵略者は「人をもって石炭に変える」という罪深い手段を惜しまずに採用し、銃剣や皮の鞭で抗譜夫を脅し、毎日15-6時間働かせた。立て抗には何の安全施設もなく、死傷事故が頻繁に発生し・・200トンの石炭が掘られる度に、一人の中国人抗夫が過労死した。

左記は、中国教科書の大ウソとデッチアゲである。
 2日 万人抗 万人抗2
更に日本の侵略者は、血や汗を絞り取られて労働力を失った抗夫を大量に荒野に放置し、彼らを無残にも餓死させて、白骨が累々と続く「万人抗」となった。大同炭鉱の付近には20余りの「万人抗」がある。
(第四冊51)
左記は、中国教科書の大ウソとデッチアゲである。
 3日 万人抗はデッチアゲ1. 「万人抗」は中国共産党らよる、全くの作り話である。既に田辺敏雄氏の研究と調査により、現在右記三点が明らかにされている。 @終戦後、満州はソ連軍、共産党八路軍、国民党軍が目まぐるしく入れ替わり進駐したが、今日に至るまでソ連、国民党が万人抗に言及した事実はない。
 4日 万人抗はデッチアゲ2 右記が真実。 また、撫順鉱山など当時満州にいた日本人に対する調査でも「万人抗を見た」「噂として聞いた」という日本人はただの一人もいない。(炭鉱職員等に対する田辺氏の聞き取り・対象約300人。炭鉱の職員で構成される東京撫順会のアンケート・対象1千人など)
 5日 万人抗はデッチアゲ3 右記が真実。

B更に、終戦時、日本経営の鉱山等には、現地人労働者が日本人職員の凡そ10倍も雇われていたが、日本人への報復殺害は皆無であった。田辺氏は「万人抗や現地人の虐待が事実なら日本人職員が無事で済むとは思えないと述べている。
つまり、終戦まで日本人は誰も見たことも聞いた事もないのであり、万人抗を主張しているのは中国だけで、何の信憑性は無く完全なデッチアゲである。

 6日 中国教科書の「ニセ写真1. 右記の画像は「日本侵略者が健康な中国人に細菌実験を行っているところ」と説明があるが、この写真が細菌実験などでないことは既に明らかである。昭和3年「済南事件」の際に虐殺された日本人居留民を済南医院で検視しているる写真と背景や人物が同一である事が、中村粲・独協大学教授により明らかにされている。(この写真は済南事件参戦者が持ち帰った写真の一枚)、つまり、これは中国人の生体実験どころか済南事件で虐殺された日本人の写真である。
 7日 中国教科書の「ニセ写真2. これは、「日本軍が南京に於いて中国人住民を生き埋めにしている」という説明がついているが、「南京事件(南京事件証拠写真を検証するー東中野修道亜細亜大学教授)によると、 この写真は国民党が宣伝のために作った「日寇暴行実録」が初出で、「生き埋め」を強制している兵士がいない事、また人数と穴の大きさが合わないなど矛盾点が多いと指摘している。
 8日 水増しの多い中国教科書1. 第十二課「抗日戦争の勝利」の最後の部分に、「抗日戦争中の中国人民」が滅ぼした敵や受けた「損失」という表がある。ここでは、「軍人と人民の死傷者」は「3500万人」、「経済的損失」は「5620億ドルである。 前日の数字は95年版教科書も同じであるが、実はそのパイロット版ともいうべき試用本(91年版)では、同じ部分は「2100万人」「戦費及び被害総額」は「1000億ドル」と書かれていた。
 9日 水増しの多い中国教科書2. 91年版から95年版に変る過程で、抗日戦争中の中国人の軍民死傷者は約1.5倍に増え、経済的損失というが。大嘘である。 (試用本では戦費及び被害総額)は実に5倍以上に水増しされていた。
10日 白髪三千丈の国 むろん、中国で新たな資料が発見されたとの報道はないから、別に根拠がある数次ではなく、この年に江沢民主席が「死傷者 3500万人」とぶち上げたことが、この「水増し」の背景にあると思われる。やはり、白髪三千丈の国である。
11日 水増しの多い中国教科書 では、元の「2100万人」が正しいのか、実は時間の経過とともに、この数字も増え続けてきたのである。1960年までは、「1000万人」、60年代終わりから70年代初めの文革の時期が「1800万人」、1985年にはこの 数字に「軍人の死傷者380万人」が加わり、゜2100万人」となった。然し、元々の「1000万人」は共産党が調査したものではなく、国民党が主張していた数字で、その中には「軍人の死傷者380万人」が含まれていたから、実にいい加減な話なのである。
12日 中国の行動は凡て平和的とご託宣のウソ 人民解放軍はチベットに進軍した。それと同時に中央人民政府はチベットの地方政府に、代表を北京に派遣し、チベットを平和的に解放する問題について交渉するよう通知した。然し、チベットの上層反動分子は帝国主義者と結託し、チベットの平和解放を拒否し、昌都にチベット軍主力を配置し、人民解放軍の進軍に抵抗した。195010月、人民解放軍は蜂起したチベット軍の協力のもと、チャムドを解放し、チベット反動勢力に大きな打撃を与えた。
(第四冊104)
よくも、これだけヌケヌケと大嘘が言えるものだ。軍事覇権主義・共産主義・中華たる所以である。
13日 侵略を進軍という中国

チベットは云うまでも無く、文化も歴史も中国と異なり、共産中国が成立した1949年当時、独立状態にあった。処が、中国は国家成立と同時に「チベット解放」を宣言し、チベット側は中共に「独立の維持」を訴える為の代表団を送るなどしたが195010月突然、人民解放軍がチベットに侵攻、近代的装備を持たないチベット軍は降伏し、十一日間でチベットは占領された。

侵略しながら進軍、チベットは平和解放という欺瞞
14日 侵略を進軍という中国

中国の占領に対してチベットでは抵抗運動が起こり、それに対する弾圧が始まる。1957年からは中国は14個師団を投入して徹底した弾圧を加えた。老人と女子供しか残っていない村落への爆撃、何千もの公開処刑という大虐殺が各地で行われた。

中国のこのチベット大虐殺
15日 中国のこのチベット大虐殺 「チョンカ寺の中庭に無数にあるお堂を1万人以上の人々が埋め尽くした。男、女、子供、迫撃砲をもつたゲリラや何百人もの僧侶が、押し合いへしあい大混乱の中・・一心に祈りを捧げていた。22日の朝、夜が明けるとすぐ、人民解放軍がチョンカ 寺の砲撃を開始した。飾り立てられた屋根が、迫撃砲の攻撃にさらされ疱瘡面と化した。一方、南東の壁の前の四角い広場に野営していた何千という市民は、隣接した建物より機関銃の弾丸を雨あられと浴びせかけられた。
16日 自国の侵略は進軍、チベットは平和解放という欺瞞

この時以来、法王ダライ・ラマ14世しインドに亡命。チベット独立への弾圧は今も続いている。これが果たして「平和的」であるのか。チベット亡命政府は、1950年から1984年までの間、中国の支配による死亡者は約120万人と発表している。

中国のこのチベット大虐殺
17日 中国の教科書は「朝鮮戦争は米国の朝鮮侵略」と記述

抗米援朝
1950年、朝鮮内戦が勃発した。アメリカ帝国主義は、横暴にもいわゆる「国連軍」を指揮して、朝鮮を侵略した。彼らは「38度線」を越えて、まつすぐに中

国辺境まで攻め上がり、わが国の安全をひどく脅かした。・・・中国人民志願兵は朝鮮軍民と肩を並べて戦い、連続して5回の大規模な戦役を起こし、55勝した。(第四105)
18日 中国の教科書は「朝鮮戦争は米国の朝鮮侵略」と記述 真実は、朝鮮戦争は金日成が起こしたという事である。 朝鮮戦争が、北朝鮮の金日成により起こされたことは今や世界の常識である。又、当時から中国は北朝鮮と同盟関係にあり、毛沢東とスターリンが金日成の「南侵」計画を承認したことも周知の事実である。その意味では、中国自身が金日成の韓国侵略に荷担したのである。
19日 中国の教科書は「朝鮮戦争は米国の朝鮮侵略」と記述 処が、中国教科書では、「勃発した」と書き、朝鮮戦争とはアメリカの朝鮮侵略だと教えているのだ。これを読む限 り、北朝鮮が南進したのではなく、アメリカ軍が朝鮮戦争を起こしたとしか読めない記述である。
20日 朝鮮戦争は金日成が起こした事、連戦連勝の記述も大嘘。 また、中国歴史教科書には、中国軍が連戦連勝だったかのように書かれているが事実ではない。派遣された人民解放軍は翌514月のピーク時には57個師団に達した。一時は、国連軍を38度線以南に押し戻し、ソウルを奪ったのだが、 1952年春以降は38度線を挟んで一進一退が繰り返された。国連軍は人民解放軍の人海戦術に苦しんだのは事実だが、介入から537月の休戦までの間、中国側の被害は大きく、国連軍発表では戦死90万人という大きな損害を出している。
21日 外国人記者の見た
中国歴史教科書
1.

ニューヨーク・タイムズ2004126日、ハワード・フレンチ記者からの抄訳。
中国の教科書は、歴史を曲げ、省く
1
「この国では、その隣国である日本を叩くことが国民的娯楽となっている。日本が、1930年代に中国を侵略したことについて、「正しい歴史認識」を教えていないと定期的に叱りつけて、アジアの最も

大きい力関係を制限しているのだ。然しながら、中国のある高校の授業を訪問して、最も広く使用されている教科書の幾つかを調べた処、多くの中国の教育専門家たちが言っていることは、かなり選別的であり、近代史の見解は広く歪められて使われている事が屡であるなど、歴史の詳細はもっと複雑であることが明らかになった。
22日 外国人記者の見た
中国歴史教科書2

「多くの中国人の生徒は高校を卒業する際に、中国が自衛の為にのみ戦い、決して攻撃や征服のために戦ったのではないーと確信している。二つ

の例をあげれば、中国人民軍が、1950年にチベットに侵攻したことや、1979年にベトナムと不孝な戦争をした事などがあったにもかかわらずである。」
23日 中国の教科書は、歴史を曲げ、省く 「共産党の創始者、毛沢東が1950年代に断行した「大躍進」の政策失敗のために、3千万人が餓死した事実は誰一人として学んでいない。どうして中国の教科書は、共産軍が侵攻してきた時にチベットが独 立を主張したことなどの事柄を記述しないのか尋ねたところ、西安にある歴史教育雑誌の編集者は「まだ論争すべき点はある。我々が子供達に授けているのは、論議が少なく説明しおすいものとなつている」と云った。
24日 中国の教科書は、歴史を曲げ、省く 「ある1998年の(高校)教科書は、(天安門事件について)、「ブルジョア自由主義」の蔓延を阻止するため、指導者の失敗が齎した「嵐」と称するデモについて言及し「中央委員会は適時に行動を起こして、落ち着いた状態を取り戻した 」と漠然と書いている。同じ教科書の最新版でも、依然として曖昧で、共産党の打倒を意図する少数野人間に煽られた思想について述べているのみで、その行動が死をもたらしたことに関しては言及していない。
25日 人類最大の餓死事件を教えない
中国の教科書
1
戦前・戦中の日本の行為は一方的にウソも含んだ「残虐行為」一色で描く中国教科書だが、では、戦後の共産中国の歴史はどのように描いているのか。共産中国の歴史は、建国直後の「粛清」や「反右派闘争」という名の知識人弾圧、また「大躍進」による千万 人単位の餓死事件、更に文化大革命、最近では89年天安門事件・・と、まさに血塗られた歴史である。然し、教科書には、そうした事件は書かれないか、書かれていても歪めて記述されている。ご都合主義が自国内なら良いが日本に実害があるから我々は許せない。
26日 人類最大の餓死事件を教えない
中国の教科書2.

「大躍進」、人民公社化運動と同じ時期、わが国の自然災害は連続3年間比較的深刻であり、それに加えて当時のソ連政府は信義に背いて契約を破

棄した。そのため、1959年から1961年まだ、国民経済には深刻な困難が生じ、国家と人民は重大な損害を受けた。(第四122)
27日 人類最大の餓死事件を教えない
中国の教科書3.

前日の教科書に関する事実と解説1
1958年、毛沢東は「総路線」「大躍進」「人民公社化」を打ち出した。「総路線」とは社会主義へと人民をイデオロギー的に動員することであり

「大躍進」とは猛烈な農・工業の大増産運動を推進することであり、「人民公社」とはその為に一切の私有を否定し農業の集団化と共同所有を計ることであった。

28日 中国の教科書に関する事実とその解説 それまで主要な工業製品で15年イギリスに追いつくことが国家目標とされていたのだが 、「大躍進」では、それが7年に改められ、さらに3年で追いつくとまで主張されるようになった。
29日 中国の教科書に関する事実とその解説2.

その為、「すべての農村が工場になる」ことが強調され、

全国の農村で「土法高炉」が作られ、鉄の生産量は一挙に増加した。
30日 中国の教科書に関する事実とその解説3. 一方、農村では、自然を無視した密植農法がとられ、破天荒な増産計画が作られた。 毛沢東は「大躍進をしない者は、すべて右派反動分子であると」と「大躍進」を煽り、誇大生産報告が横行した。
31日 中国の教科書に関する事実とその解説4.

然し、当然の結果として「土法高炉」が粗悪で役に立たない、しかも市場価格より高い鉄を作っただけに終わった。また食糧は誇大報告に基づき既に役人に徴発されてしまっていたし、農具は製鉄の為に既に溶かされていた。そして「大躍進」は「餓死」という実に悲惨な結果を招いた。し

かし、教科書は「史上最大」の大量餓死事件には触れていない。単に、「国民経済は深刻な困難が生じ、国家と人民は重大な損害を受けた」というだけである。(参考資料)大躍進期の餓死者数は、最低1300万人、最高3500万人、恐らく人類史上最大の、少なくとも20世紀最大であった。