常軌を軌逸した無法国家・中国―略奪・殺戮を文化とし白を黒と
言いくるめるその手口  その十
 
シナ事変は誤解されてる その2
    

シナ事変とは、日本がシナ大陸に侵略戦争を起こしたのではなく、
中国共産党の毛沢東が挑発し日本軍を大陸に引っ張り込んだ
政略事変であった事実を知る事が大切である。

それを操ったのがスターリンで蒋介石と日本軍を戦わせて両方を消耗させ、
毛沢東の中共軍に漁夫の利を取らせる孫子の兵法を策謀したのである。
支那事変の発端となったのは昭和12年7月7日の盧溝橋事件であるが、
ここに北京南郊に駐屯していた日本軍と紹介石の陣地に、中共の便衣隊が夜陰に
乗じて両方に発砲して逃走、日本軍と国民軍を戦わせようと企んだものである。

当時のシナは、人民の排外思想を扇動し反日、抗日運動だけでなく、
欧米人に対してもゲリラ行動が絶えなかった。
列強各国は居留民保護の為に軍隊を派遣していた。
つまり今で言う国連のPKFのような治安部隊をシナ政府と契約の上に
公式に駐留させていたのである。

日本軍はシナを侵略する為に進駐していたのではない。

ここを確り認識さなくてはならない。

スターリンの命を受けた毛沢東は、命令を受けたのだ、
まず日本を狙い打ちにして、蒋介石国民軍と戦わせたのだ。

日本軍は、その挑発を察知し隠忍自重、不拡大方針ですませようとした。
日本軍が挑発に乗らぬと見て、共産党側は次々と日本人居留民を襲って残虐な
虐殺事件を起こしてきた。
中でも、通州事件は、日本人男女居留民260名が地元の保安隊と称する軍隊に
突如襲撃され、世にも凄惨な虐殺が行われた。

それでも日本政府は、不拡大方針を貫き自重していたが、
これら共産党によるゲリラ事件が済南から上海に及ぶにつれて居留民保護の為に
軍隊を投入せざるを得なくなった。
このようにして共産党は、所構わずゲリラ活動をして
日本軍を大陸に無理やり引っ張り込んだのだ。
つまりモグラ叩き作戦で日本軍を挑発してきた、と言うのが真相なのである。
当初、日本政府は北支の局地だけで解決しようと北支事変と呼んでいたが、
戦火が上海に飛び火するに及んて、これを支那事変と呼ぶ事にした。

決して日本から

宣戦布告した

日支戦争ではなかった!

処が敗戦後日本の左翼は

これを日本が大陸侵略の為の日中戦争であったと

事実を歪曲し続けたのである。