銅山峰 愛媛県新居浜市から別子山村に至る広大な銅山の多くの遺跡

我々は、四国の法皇山脈、赤石山系に登山をすることとした。鳥取からでかけると当日は、どうしても山麓の山小屋となる。色々親友と協議した結果、西赤石山から東赤石山へ縦走するこことした。初日は、当然、山小屋である。「銅山峰ヒュッテ」に宿泊した。西赤石山の西方山麓北斜面にある。私の古巣・元禄時代の住友発祥の地であり感慨深いものがあった。別子銅山の遺跡一帯である。平成16年11月8日 月曜日 快晴

鳥取 am7:17 はくと号
佐用 am8:10 R179-R373-R2-備前 山陽自動車道-倉敷-瀬戸中央 高松自動車道・三島川之江IC-R11-R6
筏津 pm12:07 足谷川遡行、発pm12:30 ここに至る途中、法皇湖で昼食。 錦秋の秋と湖が美しい。筏津山荘に駐車、徒歩約1時間が登山口。
日浦登山口
海抜840米
pm12:45 ヒッチして便乗。 新居浜向け数少ない車に便乗。 大変助かる、1000円謝礼。
別子銅山の遺跡の数々。 1000人の劇場、小学校、郵便局跡等である。 住友病院跡もあり、レンガ塀や接待館跡もあり最盛時1万3千人の町に相応しく感慨深い。
ダイヤモンド水 pm13:30 自噴水の美味しい水、湧出。 命名の由来は本物のダイヤモンドが地中に残ったままの由。 ここで少し休憩し対岸の元の町の様子を忍ぶ。足谷川の底は美しい石で水が透き通りとてもきれい。だが元銅精錬に利用したのであろう。住友総理事・広瀬宰平翁を偲ぶ。財界に今猶慕われ幽翁の呼称がある。大人格者の経営者である。
歓喜抗 pm14:17 別子銅山最初の坑道である。 歓喜坑も並んでいる。 シーズンならツガザクラ・コメツツジが素晴らしいであろう。
銅山越海抜1300米 pm14:30 西赤石山展望抜群。発15:10 西は笹ガ峰、伊予富士も見渡せた。 西赤石山・東山が至近に見える。ここで紅茶する。
銅山峰ヒュッテ pm15:30 我々の足で20分で下山。 途中、多くの樹木に名札がある。 多分、ここのヒュッテの亡主人の手になるのであろうと親友と話す。ここで、一夜を過ごす、定住の家庭である。電気や水の大切さを痛感。親友によると、ここは角石原といい、昔は別子銅山の上部坑で精錬された粗銅が運ばれた停車場であった由。さらに上部鉄道や索道で端出場へ搬送されたという。

別子銅山について
元禄4年(1691年)に開かれ、昭和48年(1973年)まで283年間続いた日本有数の銅山。この間に約70万トンの銅を産出しました。江戸時代には外国貿易の重要な輸出品・銅(当時日本は世界有数の産銅国であった)を生産して経済を支え、明治以降は、江戸時代から続くわが国唯一の民間鉱山として産業の近代化、事業の多角化に貢献しました。
今日の住友各社の事業の源は、何らかの形で「別子銅山」に繋がり、住友の原点・源流とも言われています。
愛媛県新居浜市から別子山村に至る広大な銅山の多くの遺跡は、いまゆっくりと自然に還りつつありますが、近年わが国の代表的な近代化産業遺産として、注目されつつあります。なお、昭和50年(1975年)に開館した「別子銅山記念館」では、その歴史をわかりやすく展示しています。
ーー住友広報委員会より