外国から見た大東亜戦争の評価



1. ジョイス.C.レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)

 「日本の敗戦、それは勿論、東南アジア全域の独立運動には決定的
な意味を持っていた。今や真の独立が確固とした可能性となると同時に、
西洋の植民地支配の復活も許してはならない、もう一つの可能性として
浮かび上がってきたのである。

 民族主義者(*東南アジアの民族主義者)は、日本占領期間中に
(日本軍により)身に付けた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、
西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、
民族主義、独立要求は最早引き返せない所に迄進んでしまったと言う
事を、イギリス、オランダは、戦後になって思い知る事になるのである。
(中略) 更に、日本は独立運動を力づけ、民族主義者に武器を与えた。
日本軍敗走の後には、二度と外国支配を許すまいと言う自信と、その
自信を裏付ける手段とが残ったのである。東南アジアの人間は今や
武器を手にし、訓練を積んでおり、政治力、組織力を身に付け、独立を
求める牢固たる意思に支えられていた。」

(ジョイス.C.レブラ 『東南アジアの解放と日本の遺産』 秀英書房)


2. 米国戦略爆撃調査団の報告
  (1946年=昭和21年7月、米国戦略爆撃調査団団長ニッツから
   トルーマン米国大統領に提出された報告書)

 「日本の指導部が、国家の存亡に関わる利益の為にと固く信じて、
(今次の)戦争を始めた事は明らかである。これに対して、アメリカ合衆国
は、単に自分達の経済的優位と主義主張を押し付けようとしたのであって、
国家の存亡に関わる安全保障の為に戦ったのでは無いと、アメリカ合衆国
人は信じていた。」


3. サンティン(オランダのアムステルダム市市長・内務大臣)

 「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに
大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になり
ました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、
貧乏国になってしまいました。戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領
東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、
本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さ
の本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、「アジア各地で
侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、
自らを蔑(さげす)み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う
人類最高の良い事をしたのです。

 何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、
先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと
自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる
必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年
も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に
置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた
東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜
共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は
戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即(すなわ)ち、日本軍
は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア
諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して
戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止(や)めて、
堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

(*このアムステルダム市長の挨拶文を、現地で直接聞かれたのは、
元憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎氏(平成9年3月14日逝去)
です。(ゴジラズワイフは交流がありました。) そして文章は、(財)日本国防
協会理事の浅井啓之氏が1994年3月24日に作成したものです。)

(参照:http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/oranda.htm


4. ダクラス=マッカーサー米国陸軍元帥(連合国軍総司令部最高司令官)
  (1951年=昭和26年5月3日、米国議会上院軍事外交合同委員会に
   於けるマッカーサー証言)

[ 英文 ]

STRATEGY AGAINST JAPAN IN WORLD WAR ?U

 Senator HICKENLOOPER: Guestion No.5:Isn't your proposal for sea and
airblockade of Red China the same strategy by which Americans achieved
victoryover the Japanese in the Pacific?

 General MACARTHUR: Yes,sir.In the Pasific we bypassed them.We closed in.
Youmust understand that Japan had an enormous population of nearly 80
millionpeople,crowded into 4 islands.It was about half a farm population.
The otherhalf was engaged in industry.

 Potentially the labor pool in Japan,both in quantity and quality,is as
good as anything that I have ever known. Some place down the line they
have discovered what you might call the dignity of labor, that men are
happier when they are working and constructing than when they are idling.

 This enormous capacity for work meant that they had to have something
to work on.They built the factories, they had the labor,but they didn't have
the basic materials.

 There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm.

 They lack cotton,they lack wool,they lack petoroleum products,they lack
tin,they lack rubber,they lack a great many other things, all which was in
the Asiatic basin.

 They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to
12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going
to war was largely dictated by security.


[ 和訳文 ]

問: では五番目の質問です。
 中共(原文は赤化支那)に対し海と空とから閉鎖してしまへといふ貴官
の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際の
それと同じ戦略なのではありませんか。

答: その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は
包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの
島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなり
ません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐ
ました。

 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに
接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、
日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の
方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうな
ものを発見してゐたのです。

 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か
働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、
労働力を有してゐました。しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることが
できませんでした。

 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。
彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、
ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切
のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の
失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがつて彼ら
が戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られ
てのことだつたのです。

(* 1.東京裁判資料刊行会編『東京裁判却下未提出弁護側資料・全8巻』
(国書刊行会),2.小堀桂一郎編『東京裁判日本の弁明−「却下未提出弁護
側資料」抜粋』(講談社学術文庫)等に掲載されています。個人では後者が
入手に便利だと思います。)

(参照:http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/m_shougen.htm


5. エリック=ホプスバウ博士(英国ロンドン大学教授)

 「インドの独立は、ガンジーやネールが率いた国民会議派が展開した
非暴力の独立運動に依るものでは無く、日本軍とチャンドラ=ボースが
率いるインド国民軍(INA)が協同して、ビルマ(現ミャンマー)を経由し、
インドへ進攻したインパール作戦に依ってもたらされたものである。」

(エリック=ホプスバウ 『過激な世紀』)


6. ジョイス.C.レブラ博士(米国コロラド大学歴史学部教授)

 「東京で開かれた極東国際軍事裁判(*東京裁判)で、打ち出された
一つのイメージ、即ち、日本は世界で最も強欲な軍国主義国家の一つ
であったとする思想は、太平洋の西側(*つまり日本を含むアジア)で、
長い間再検討されないまま放置されていた。公私の資料の入手難が
解明を遅らせ、太平洋戦争(*大東亜戦争)の幾つかの局面を暗闇に
閉じているのが現状である。又、日本の歴史家達は、東南アジアに於いて
日本が大東亜共栄圏に託した理念、実現の方法等を吟味する事に、
今日迄消極的であった。

 ごく最近になって、アメリカ合衆国の学者は、日本の戦争目的を再検討
する事に着手し、これ迄の定説を修正し始めた。(中略) 再検討を志す
アメリカ合衆国の学者達の意見に依れば、太平洋戦争は、西欧資本主義
流の帝国主義の単なる日本版では無く、それにもまして西欧諸国の進出
によって脅威を受けた日本が、(自国の)存亡に関わる権益を防衛する為
の戦いであったのである。更にアジアを包含しようとする大日本帝国の
野望として従来は見なされていた、大東亜共栄圏の理念も又再検討されて
然るべきである。」

(ジョイス.C.レブラ 『チャンドラ・ボースと日本』 原書房 1969=昭和44年)


7. ジョージ.S.カナヘレ博士(ハワイ・日本経済協議会事務局長)

 「日本占領軍が、インドネシア民族主義の為に行った種々の訓練の中で、
最も重要なものの一つは、インドネシアに正規軍及び準軍事組織を創設
して(*PETA 参照:http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/peta.htm)、
それに訓練を与えた事であろう。この作業は、特にジャワ、バリ及びスマトラ
の各島で推し進められた。後に、インドネシア独立軍の将校や下士官と
なった者達は、殆ど全て、及び何万と言う兵士達は、この訓練を経て、
軍事技術を身に付け、日本の敗戦後に戻ってきたオランダ軍を相手に、
独立戦争を戦ったのであった。もし、この訓練が無かったなら、そして
日本の降伏後、インドネシア人の手に入った日本軍の武器や軍需資材が
無かったなら、インドネシア独立戦争の行方は違った方向に進んでいた
かも知れない。こうして、日本の占領は、インドネシアの民族主義勢力を、
権力の戸口まで導いた。(中略) (インドネシアの)民族主義者にとって、
日本の占領時代は、独立への、単なる序曲以上のものであったかも
知れない。」

(ジョージ.S.カナヘレ 『日本軍政とインドネシア独立』 鳳出版社 
 1977=昭和52年)