源光庵京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町
光悦寺付近の散策中に、余りにも杉木立が美しいので立ち寄った。偶然である。やはり京都は千年の都であり、歴史の都であり名勝は至る所にある。情緒が漂う古都ならではである。
貞和2年(1346)、臨済宗大本山大徳寺の高僧、徹翁国師(てつおう)により隠居所として開創されたものらしい。元禄7年(1694)加賀国大乗寺二十七代曹洞宗復古道人の卍山道白禅師(まんざん)が曹洞宗に改宗し、再興した。現在の本堂は元禄7年の創建。
本堂右手に「悟りの窓」という丸窓と、「迷いの窓」という四角い窓があり、2つの窓越しに庭園を望める。また本堂廊下の天井は伏見城の遺構と伝わる血天井で、徳川家康の忠臣、鳥居元忠が自刃した時のもののようだ。平成15年12月9日

貞和2年(1346)、臨済宗大本山大徳寺の高僧、徹翁国師(てつおう)により隠居所として開創されたもの。元禄7年(1694)加賀国大乗寺二十七代曹洞宗復古道人の卍山道白禅師(まんざん)が曹洞宗に改宗し、再興された。現在の本堂は元禄7年の創建、加賀の住人静家居士の建立によるもの。
本堂右手には「悟りの窓」という丸窓と、「迷いの窓」という四角い窓があり、2つの窓越しに庭園を望める。本堂廊下の天井は伏見城の遺構と伝わる血天井で、徳川方の鳥居元忠らが自刃した時のものです。
本堂裏の西の谷にある「稚児井」という井戸には六百三十余年前より伝説があって、水飢饉で困っていた時、一人の子供が現われ、この井戸のことを教えてくれ人々を救ったと言われる。

※市バス源光庵前から徒歩すぐ