銀行最晩年  

企業秘密でもない私個人のこと、早や35年前の風化したこと、どなたにもご迷惑がかかるものではないと思いつつ回想している。

現役51才、支店長をしていた或る日、故・土田宏造業務部長・元専務が突然来店された、「徳永さん、あんたにもう一つ大きな店の支店長をして貰います」と、あっと思った。だが米国出張を終えて間もなく人事部審議役と発令された。人事部長は土田宏造氏、なぜ私が人事部かと不審であった。次長は奈良県顧問の栗山道義元副頭取・元住友カード社長、銀行首脳の立派なお方、今日まで心から尊敬申し上げている。着任した頃、廊下で偶然お会いした某・元専務は、徳永さん、あんたはずっと銀行にいたらいいのですと囁かれた、聞き流したが何故かと現在まで不審に思ったままだ。

当時、関西財界企業約3000社に中の島フェスティバルホールで講話をした事がある。事前に発言原稿を土田部長にお見せしたが何も言われない、改めて深く自覚した、私は担当部門の銀行最終責任者なのだと。

担当部門の最終者は巽副頭取、年一度は決済印を貰っていた。人事部では一室を与えられ時間はありよく勉強した。住友銀行は実に合理的、現実的だと感心したのは、会長や頭取が東京本部ご滞在中は、私如きが甲子園研修所へ講義に行く時にもそのプレジデントとかセンチュリーが総務部から配車され活用されることであった。

人事部は俊秀揃い、圧倒的責任感溢れる方々ばかり、銀行を背負っている自負と気概旺盛な方々ばかり、流石は銀行のエリートばかりだったと今日まで畏敬の念を持ち続けている。人事は小椋稀有丸元取締役、相京重信元副頭取・元SMBC日興証券会長、上田孝元常務・現サノヤス社長、中尾誠元取締役、企画は杉本和彦元取締役、黒瀬晃元取締役・東証一部アジアパイルホールデイング社長、養成は前田勝広元支配人、採用は竹之内一郎元支店長、勝川恒平元常務・元銀泉社長。着任一年半後、担当は異なるがお人柄の中川輝夫副審議役と同室になったのは幸せであった。お二人の人材開発室長、神戸以降尊敬する朝倉栄一元支配人、愚生をカントリージェントルと云われ友誼の深化した大杉耕一元支店長とも人事部で再会した。全ての方々には今日まで格別のご厚誼を賜わり心から御礼を申し上げる。

還暦引退後、パレスを常宿に各種セミナーに参加、折々に東京人事部に立ち寄り往時の方々と新橋駅前、西新宿、ニューオータニ、バレス、銀座、日比谷公園は松本楼等で懇親を深めたのも懐かしい。

土田常務時代、人事担当・百瀬専務が住友石炭社長に転出された送別会では私が代表してお餞別の品をお渡しした。才媛ばかりの女性部員、キビキビした執務ぶりには感動さえ覚えた。その企画によるクリスマスイヴ、京都嵐山・大堰川の夜船などセンス良き懇親会。上京時、よく訪問した人事部生き字引・聡明なる故・市川治子氏・元調査役の早逝は実に悲しく残念、ご冥福をお祈り申し上げる。

魅力溢れ、心底まだお仕えしたい思いであった尊敬する吉田博一部長、副頭取から住友リース社長、慶応大学教授を経て先端的リチューム蓄電池会社を創業されたのには驚嘆し感動した。当該部門は徳永路線を継承して行きますとのお言葉に感激して私は銀行を去った。出向3ケ月後の満55才、銀行最後の日、巽頭取より賜ったお言葉はこの上なき名誉ある宝物、心に奥深く蔵っている。

人事部在勤中、行友会・山岳会長を引き受け住友ハイキングクラブを発足させハイキングを勧奨した。住友登山バッジを作成し参加者に手交、大きなブルーの旗にフィトンチッドを浴びようと白で染め抜き六甲山を登ったのは懐かしい。神戸山手女子短大教授を奈良は山之辺の道古代史巡り解説に起用は竹之内一郎氏の助言、参加者70名、名秘書・客野政子氏のご参加は印象深い。男性的魅力溢れ敬愛する薩摩隼人・竹之内氏とは関係が深く色々とご教授頂いた、氏所管の採用女子職員出身校訪問、東京、九州各地へ業務出張、関連会社女子職員採用の連日面接は竹之内氏と私、次長時代の平野支店長であった尊敬する元オフィスサービス社長・故竹林克己氏(昨年弔問)の三人で行った。この頃邂逅した勝川元銀泉社長表敬訪問も快事であった。

年に一度、巽副頭取に人事部幹部が中華料理を馳走になり出席するが私は常に慎みモード。神戸時代以降しばしばお声をかけて頂き数年前まで文通した青木久夫元副頭取にはロイヤルホテルで吉田部長やら幹部と馳走になったが私は慎みモード。

周囲には銀行首脳、また未来の銀行首脳になられるお方ばかり。回顧すれば最晩年の人事部年、20代の外国部と本店営業部外国為替課年、30代は神戸支店と経営首脳になられる立派な方々が周囲には実に多く、色々と学ばせて頂き知見を磨かせて頂けたと感謝している。