合理化・インネン・革新系

1.     
合理化という言葉で多くの日本人が連想するのは首切り即ち馘首の事ではないか。嫌な語感を持つ人が多いのではないか。然し、この正しい意味は、理にかなっている、論理的に必然性によって支配されている意である。


2.
次に因縁の語感である。インネン、インガ、これも陰気でオドロオドロシイ中世的印象のある言葉ではあるまいか。然し、因果因縁の理は凡ての事には原因があって結果がある事だ。ご縁即ち条件により結果が左右されると言う合理的な事だ。ご縁即ち条件が悪い事をインネンとかインガが悪いとして広く人口に膾炙されてしまったのであろう。凡ての結果は原因の上に環境条件がありそして人為的なものも加味されて結果が決まる。合理化とかインネンという言葉にはこのようなステレオタイプの悪い語感が確かに存在する。受けとめ方が情緒的なのであろうか。


3.
進歩的とか革新系という言葉は近年はさすがにマスコミも使用しなくなったが旧社会党とか一昔前の労組、日教組などをマスコミが革新系と言うのを私は不思議に思っていた。時代遅れの頑迷固陋、超保守的で思考の柔軟性に欠ける組織であるのにと。


4.  
さて、合理性に就いてである。資本というのは実に臆病なものである。資本が減少しない為に各企業は命懸けでその増殖を追求している。それが資本主義の原理である。その為に企業の営為は極力合理的なものにしなくてはならぬ。資本が、企業が生き残る為に企業活動を合理的に運営するのは経営の至上命題だ。その一環として無駄な人員を整理する。言いだしたのは誰か知らぬが合理化が首切りの代名詞となってしまったのはムラ社会の日本らしい。それも現今はリストラという言葉となり既に当然の事として受け入れられている。欧米では資本が生き残る為に当然の事として解雇する。バブル以前、わが国の企業は大家族的なムラ社会であり又、結果平等社会だから合理化は特段に悪い言葉として生きてきたのであろう。国際化が進み外資系の企業が増えてこの合理化という言葉がリストラとなり日本人も次第に慣れて合理化本来の意味が浸透してきた。和の論理を日本、合理性の論理は欧米とでも言えるのかもしれない。


5. 
 
政治の世界でも、政治家は国家国益の為に良い仕事をしてくれればいいのである。少しばかり異性問題があったとしても極端な不道徳とか法律違反でなければそれを上回る良い仕事をすれば大目に見てよいと思われる。大マスメディアが自分達の事をさしおいて面白可笑しくそれを話題にするのは苦々しい限りだ。国民もあの政治家は見かけが良いからと投票するのでは本当は良い結果を産まない。政策とか実績とかを積極的に調べたり合理性ある根拠で投票する努力をしないと国民にとり合理的な結果が得られない。マスコミがそのような観点で政治家を見て記事にすればいいのだがマスコミも極めて情緒的に取り上げ知的且つ論理的な追求を怠っていると私は見る。政治も、経済も物事は凡て因果の法則の必然性を伴ってこの世の中で動いている。知性に基づく合理性ある決断をしていくから良い結果が生ずる。経済の世界ではこれを経済合理性を求めると言い大変大切な事なのである。もとより経済合理性を無視し大局的観点から事を行なう場合も多々あるがそれも長く続けておれば破綻は必至である。処がわが国は特に政治とか公的部門でこの非合理的な事柄が多すぎる。だから今日の政治と公的部門が行き詰まっているのであろう。


6. 
   
民間の経済は、資本の論理に基づくので非合理的な事は必ず破綻を招く。トップであれば辞任、企業であれは倒産となり正常化されていく。経済と組織の合理性を求めなくては生き残れぬからである。

7.さて、日本人は均一的且つ閉鎖的な島国の隔離国家だから極めて情緒的でドライになれない歴史的、自然風土がある。故に知性と合理性を基に各種の営為が十分行なわれていない。経済でも経世済民の思想で平等な社会を実現したと言えるがそれが今や打ち破られつつある。欧米の経済思想、特に市場経済の論理が怒涛のように日本を席巻しつつある。好むと好まざるとに拘らず政治も官も民もマスコミも知性と合理性に依拠したものにしなくては国際的に負けてしまう。