潮流読者の反響-42. 平成17年10月

380. ブラックジャック(49歳男性)  投稿日:2005年10月01日(土)
正論談話室で鳥取木鶏研究会様の名前を拝見、さらに細木数子女史の名前を拝見し、なつかしさを覚えました。両者をつなぐものは安岡正篤師である。安岡師の人と業績については木鶏研究会様がより詳しいと思われますが、安岡師は河内・四条畷中学出身。河内といえば、楠木正成、正行親子の出身地で、さらに遡れば天皇家に近い古代有力豪族の血筋につながる(しかし、権力闘争に敗れて長らく歴史に埋もれた)。安岡師は戦前戦後を通じて国家指導層に最も近いところにいた教育者、東洋学の権威で、支那の学者も教えを乞うほどだったそうだ。終戦の詔勅に筆を入れたり、歴代宰相の指南役として、節目節目に助言されていたそうだ。沖縄返還交渉、日中平和友好交渉などでも活躍され、最後は平成という御世の名を残された。こうした助言の背後にあるものの一つが易学(占い)の知識で、細木女史も安岡師から伝授されたという。安岡師の著作は小生が学生時代からの密かな愛読書だったが(小生も時代の子で、当時は公言することがはばかられた)、細木女史の六星占術を知ったのは結婚してからで、それでも20年以上の付き合いになる。小生は、細木女史が安岡師の弟子だという、その一言で信用し、今日まで裏切られていない。それどころか、細木女史の分かりやすい教えには共鳴するところ多く、実践の場で大いに役立っており、密かに感謝している。
TO:鳥取木鶏研究会様
ご投稿、ご高説有難く拝読。ただし、若干のお願いと疑問があります。ご投稿の際は、ベタ打ちではなく、5,6行書いて1行空けて下さい(そうするとぐっと読みやすくなります)。


381. 正論談話室   
大いに勉強になります
投稿者:白雲(60歳男性)  投稿日:2005年10月03日(月)
今回のテーマは、身に余るのもがあり、もっぱら読む側に回りたい。とりわけ、ワシントンの日本人様、徳永圀典様、教育者様の論説は、この機会でないと拝読できない「ありがたみ」を感じている。

「教育は国家百年の大計」というが、江戸末期の日本人の識字率は、欧米をしのぐ世界一であったという。武家は藩校で学び、町民、百姓は寺子屋で学んだ。「読み、書き、そろばん」は普通のこととして、教えられた。明治の文明開化は、その高い国民のファンダメンタルズが、あったらこそ、成就できた。
福沢諭吉の書いた「福翁自伝」を読むと、当時のすさまじいほどの向学心に燃える姿に感動を覚える。この学びの伝統が、旧制中学の校風に引き継がれ、アジア一のノーベル賞受賞者を生んだ、と思われる。肝心なのは、やはり、向学心である。それをどう引き出すか、いまのように教育が自己目的化、私範囲に狭まれるかぎり、無理ではないのか。
「詰め込み教育」「ゆとり教育」は、教育と言う幹から言えば、枝葉の問題である。幹とは、どうすれば、花が咲き、結実して実がなるか、が問題である。それには、幹の存在するランド、それに関わる人々を、大切するという意識を教え込むことが大事ではないかと思う。

「靖国参拝違憲判決」について。
下世話に申して、「この判決を下した裁判官は、一体何様のつもりだろう」がまず第一の印象である。欧米のいう「政教分離」の教、宗教は絶対神の一神教を想定している。近世欧米の歴史は、まさに、この軋轢の歴史であった。やむなくそうしないといけない歴史的な背景があった。しかし、日本はどうか。神道(古代土着的)、仏教、儒教(大きな意味で)、因習(庶民信仰)など、様々な宗教的なものが混在している。それを総じて、作家山本七平は「日本教」と名づけた。強力なドグマ(教義)に束縛されない自由な宗教観を日本人は持っている。大晦日には除夜の鐘で煩悩を払い、正月初詣では神仏に「現世ご利益」を祈願し、法事、葬儀にはお経を唱え、子や孫のキリスト教結婚式に参列してミサを歌い、七五三、地鎮祭には神主のお払いを受ける。こんな寛容な宗教観を持つ民族は、世界にいない。これを、他人が「節操がない」「無宗教者だ」と批判しようが、もともと宗教とは、人間が考え出した方便である。そうゆう意味で、宗教を巨視的、先進的に理解しているのは日本人かもしれない。それを、「政教分離」と一方的に決め付けるのは、むしろ狭義的であり、後退的であると言わざるをえない。再度、裁判官に言う、「貴方は、何様もおつもりか?」。



382.
10月4日付、日本海新聞潮流「風土」を拝見、徳永様は、文化人類学までもされるのですか。大変幅の広いお方だなと痛感しております。そして、風土は、とても面白い内容の論述であり、感心して読ませて頂きました。欧米人の経済は、全く、掠め取りのように思うものです。カストリのような経済に思えて仕方ありません。やはり、御説のように風土から生れた産物なのでしょうか。
平成17年10月5日 鳥取県 某


383
徳永先生、日本海新聞にご寄稿の(潮流)の記事、いつも欠かさず切り取って保存しております。御高説に深く共鳴を覚えておる次第、常に御高教を賜り厚く御礼申し上げます。ー中略ー鳥取木鶏研究会とはどんなご活躍をされているのかと思っております。徳永先生にはお元気ですから今後も一層、警世の大文章を発表し続けて下さい。−後略ー
平成17年10月7日 鳥取市内 某

384
去る4日(火曜日)付日本海新聞の潮流コラム
「風土」、文筆も爽やかに、お考えも変わらず、ご活躍の段、嬉しく病床にて拝見し喜んでおります。今年は日露戦争百年ですね、日本は戦争というと「軍国主義者」かと思われるんですよね、いいことはいいと評価しなければ、いけないと思います。−後略ー
平成17年10月8日 鳥取県西伯郡 某

385
投稿者: ふらくたる  投稿日:10月15日(土)14時55分22秒

ふらくたる と申します。以後よろしくお願いします。徳永様のご意見はあちこちで拝見しております。堂々としたごもっともなご意見で、いつも感服しております。

386
はじめまして  投稿者: 大和撫子  投稿日:10月21日(金)01時39分32秒

日本海新聞の投稿記事に感銘を受けています。今の教育に欠けているのは教育勅語に書かれている思想だと思います。教育勅語を再評価して現代の道徳教育に取り入れてほしいと考えます。

387
今朝の日本海新聞で
寄稿を拝見、小泉劇場というマスコミの扇情的な、他愛ない、茶化した程度しか書けない新聞・テレビにウンザリしていました。徳永様の意見に賛成します。また、戦後左翼の頭脳硬直の指摘に拍手喝采します。平成17年11月1日 松江市 某

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日本海新聞の潮流欄にいつも、徳永様の御論説を待ち拝読しては勇気づけられて居りますところの一人でございます。本日は、「
革新政党は自民党であった」を拝読して何という御正論、御卓見であろうかと感動しながら拝読致しました。徳永様のような御考えは戦後の日本人の心から無くなってしまつた誠に得がたい御意見です。
どんな学習をすれば、徳永様のような御意見が生れてくるのであろうかと不思議にさえ思います。昭和20年8月15日以降、憲法も新聞も学校教科書も社会論調からも生まれてこない、憂国の御論説です。
どうか、徳永様、これからも日本海新聞紙にて県民や読者を御指導下さいませ。
徳永様、どうかお元気で、私ども御指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
有難うございました。有難うございました。
平成17年11月1日 夜 鳥取県東伯郡 某

389
日本海新聞に毎月掲載されます徳永様の寄稿を楽しみにして読んでおります。とても幅広い分野でのご見識には感銘を受け、そうとうな学者先生だと実感しております。憂うべき日本の現状、大いにご活躍されますことを心底より祈念しております。
平成17年11月4日 鳥取県八頭町 元教員