姫路城 兵庫県姫路市 天下の名城
平成18年2月28日
1333年 | (元弘3年) | 赤松則村(円心)、護良親王の命により挙兵。京に兵をすすめる途中、姫山に砦(とりで)を築く。 |
1346年 | (正平元年) | 赤松貞範、姫山に本格的な城を築く。 |
1441年 | (嘉吉元年) | 嘉吉の乱。赤松満祐父子、六代将軍足利義教を謀殺し、自害。山名持豊、姫路城を治める。 |
1467年 | (応仁元年) | 応仁の乱。赤松政則、姫路城を陥落し、領国を回復。本丸、鶴見丸を築く。後に一族の小寺氏、その重臣の黒田氏が城をあずかる。 |
1580年 | (天正8年) | 羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田孝高、城を秀吉に献上。秀吉、3層の天守閣を築く。翌年完成。 |
1585年 | (天正13年) | 木下家定、姫路城主となり16年間治める。 |
1600年 | (慶長5年) | 関が原の戦の後、池田輝政が姫路城主に。 |
1601年 | (慶長6年) | 池田輝政、城の大改築を始める。9年後完成。 |
1617年 | (元和3年) | 池田光政、鳥取城へ移る。本多忠政、姫路城主に。三の丸、西の丸、そのほかを増築。 |
1639年 | (寛永16年) | 松平忠明、姫路城主となる。 |
1649年 | (慶安2年) | 榊原忠次、姫路城主に。その後、松平、本多、榊原各氏が城主に。 |
1749年 | (寛延2年) | 酒井忠恭、前橋から姫路へ。明治維新まで酒井氏が城を治める。 |
1869年 | (明治2年) | 酒井忠邦、版籍を奉還し、姫路城は国有に。 |
1931年 | (昭和6年) | 姫路城天守閣、国宝に指定される。 |
1951年 | (昭和26年) | 新国宝に指定される。 |
1956年 | (昭和31年) | 天守閣、国費により8か年計画で解体修理着工(昭和の大修理)。 |
1964年 | (昭和39年) | 天守閣群の全工事完了。 |
1993年 | (平成5年) | ユネスコの世界文化遺産に登録される。 |
姫路城の規模
日本一の名城の理由として、次の3点。巧妙な螺旋(らせん)式縄張(なわばり)
1.「巧妙な螺旋式縄張り」
お城の要塞としての機能性は、縄張(設計、構成、仕組み)のよしあしで決まります。姫路城の縄張は、抵抗(防御)線が3重の螺旋形になった複雑巧妙なもの。これは江戸城と姫路城にしか類例のない形式。
2.「美しい連立式天守閣」
5重6階の大天守と3つの小天守が渡櫓(わたりやぐら)でつながり、幾重にも重なる屋根、千鳥破風(はふ)や唐(から)破風が、白漆喰総塗籠造(しろしっくいそうぬりごめつくり)の外装と相まって、華やかな構成美をつくっている。
3.「不戦・不焼の城」
姫路城はその400年の歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城です。その結果天守や櫓、門などの保存状態が非常によいうえ、ほかに類例のない遺構も多く、極めて貴重な文化遺産。
大天守の高さ 姫山(標高45.6m)、石垣が14.85m、建物が31.5mで合計海抜92m
心柱の大きさ東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm
面積内曲輪(うちくるわ)以内の面積は23ha(230,000m2)。また外曲輪(そとくるわ)以内の面積は233ha(2,330,000m2)。