95翁徳永圀典人生至言 その12
生きた学問
安岡正篤先生のお言葉を寸分違わず、ご披露する。
全て学問と言うものは
根から養分を吸収して、
幹が出て、枝が伸びて、
それが分かれて小枝、その先端に葉がつき実がなる。
そしてそれが又落ちて、肥料になって、新しく芽が吹いてゆく。
と、言うように自然に伸びてゆくべきもの。
自然に伸びて行ってそれが分裂せずに自ら一つの体系をなしてゆく。
これでなくては本当の学問ではない。
我々は先ず「大学」から始まって四書五経を終わった。
それがある年齢に達した頃に、
自ら面白いなあ〜、成る程なあ〜と考えるようになる。
最初は与えられたものだが、
だんだんそれが
生命化してきて、
よし、一つ儒教を勉強してみようと今度は自発的に読み出す。
孔子の伝記をやる中に
どうしても孟子をやらねばいかぬ。今度は荀子をやらねば気がすまぬ、と言うようにだんだん枝葉に分かれてくる。
そうすると孫子、呉子、韓非子
などと言うものまで関連してきて今度はそれに道楽する。
かように儒教を研究しながら、年季をかけて道楽していると自然とあらゆる教学に入ってくる。
桃栗三年柿八年と言うが、
人間の学問はやはり20年、30年と年季をかけて初めて生きた学問になる。