犬鳴山
   七宝滝寺
灯明岳経塚権現山天狗岳ー大阪府泉佐野市大木 七宝滝寺

境内に七つの滝がある、大峯山より6年前に役の行者が開かれたという古刹の修験場で葛城修験の大本山、七宝滝寺を取り囲む、
巨大なブロンズの不動明王の像が睨んでいる。この異様な雰囲気は独特で、先ずは礼拝をという気持ちになる。奇岩・怪石が次々と現れて、最初の滝である両界の滝の落下する様も異様である。
この夜は犬鳴温泉に宿泊したが、付近の砂採取工場のホコリがこの谷やらトンネルに充満しており、犬鳴川渓谷の川原も荒れており、この温泉の未来を予感させるものがあった。

泉佐野の海岸から10kmの山間にある大阪府下きっての秘境だが、そのことを知る人は少ない。犬鳴山とは、ここの渓谷にある七宝滝寺の山号で、その奥ノ院たる経塚権現山、大天井ケ岳(612m)が登山の対象になる。川をはさんで表行場があり、登りつめれば、高城山や五本松(748m)に至る。高城山から水間にかけて、無数のハイキングコースがあるが、テープ頼りの探索ルートだ。

七宝滝寺
寺伝によれば、犬鳴山は斎明天王の七年(六六一)修験山伏道の開祖役ノ小角(一般には役の行者と呼んでいる、二十八才の開基、大和の大峰山より六年前に開山されたので元山上と称し、また葛城峯中の奥の院とも呼ばれ葛城二十八宿修験根本道場である。行者は当山で国家安穏、五穀豊穣、緒人快楽の柴燈大護摩供の密法を修せられた。本尊倶利伽羅大竜不動明王は役の行者の御自作で絶対秘仏である。倶利伽羅不動を本尊とする寺院は日本国内で類例がなく、その御姿は、利剣に龍が巻き附いた形像であって、古来より願望成就の守護(悉地明王とも云われる。悉地とは成就の義なり。)神であり、生命乞の不動明王として霊験あらたかである。又、弘法大師も役の行者の行跡を求めてこの山に登りたまい、倶利伽羅不動明王の本地大聖不動明王を御敬刻開眼し給い、本尊の宮殿に安置し奉り秘密護摩の御修行あり、この弘法不動は災難除、身代不動明王として崇信せられており犬鳴山の秘仏不動明王となっている。

山号を犬鳴山と称するのは、宇多帝(八八九〜八九八)の寛平二年三月、紀伊の猟師が犬を連れ当山の行場蛇腹附近に一匹の鹿を追いし時、傍の大樹に大蛇あり猟師を呑まんとした。猟人はそれに気づかず弓をつがえ、鹿にねらいを定めて射ようとしたとき猟夫の犬は愛犬は急にけたたましくほえ出した。犬の鳴声におどろいた鹿は忽ち姿を消して逃げ失せてしまった。獲物を失った猟師は怒り心頭に発し、腰の山刀を抜くが早いか、ほえつづける愛犬の首に切りつけた。犬は切られながらも大樹めがけてとびあがあり大蛇の頭にかみつき共にたおれた。事の意外さを知った猟師は頬に一杯の涙を流しつつ、愛犬の死骸をねんごろに葬り、この寺に入り永く愛犬の菩提を弔いつつ安らかに余生をすごしたと語り伝えられている。それより一乗鈴枠ヶ岳改め犬鳴山と時の天皇より勅号を賜うたのである