常軌を軌逸した無法国家・中国
―略奪・殺戮を文化とし白を黒と言いくるめるその手口
  その四

日本人の中国幻想と実態との大きなギャプ

日本人は長く、シナは日本文明の育ての親で、先生で、孔子、孟子を生んだ
聖人君子の国だと洗脳され、憧れの国となっていた。
処が 実際のシナは聞くと見るとは大違いで、大虐殺を繰り返して血塗られた
歴史を持つ無法の国だったのだ。

なぜこのような錯覚が生じたのか。
それは江戸時代の儒学者と明治以後の漢学者、東洋史学者によるシナの理想化の
為である。
日本人がシナを歴史が古く文化の高い尊敬すべき巨人の国と誤解するようになった
原因は、論語、孟子や四書五経など沢山の漢籍が日本に輸入され秀れた漢学者に
よって日本に伝えられたからだ。とりわけ戦前の中学校では漢文が必修で識者は、
漢文の上だけでシナを理解していた。
処が本に書かれている事と実際のシナとはまるで違うのである。
この事に就いては最近になって岡田英弘教授や、杉山徹宗教授、
その他台湾人の黄文雄氏、連根藤氏、シナ人の金文学氏らのよって実態が明らかに
されてきて、国民の中国観に変化が見られるようになってきた。良い傾向である。
我々は、漢文をいくら読んでも生きたシナの本質には迫られないのだ。
漢籍に書かれていないことのほうが、実はシナ理解にとって本質的に重要なのである。

真にシナ人を知ろうと思うなら、まず洗脳のもととなっている、
「一衣帯水」、「同文同種」、「シナ四千年の歴史」
と言った幻想から自由となる必要がある。

地図を見ればシナは日本の一衣帯水の隣国ではない。
間には東シナ海900キロ、朝鮮海峡200キロの大海原があって日常往来のできる間柄
ではない。
したがって日本語も文化一般も大陸的と島嶼的とで全く異なり、シナは4000年どころか
二千年くらいの歴史で、その間、王朝が変わるたびに数千万人の民衆が逃走するか根絶
やしにされて決して日本のように民族の歴史が一貫していないのである。
確かに古代日本は、シナから漢字、仏教、儒教、律令制など学んだが、それは単に動機
づけの為で、その後、日本独自の文化に和風化して、数段高い段階に昇華してしまっている。

漢学、仏教にしても、日本のは元のものとは似ても似つかぬ独特の日本 に仕上がっている。
また日本に合わないと思うものは、例えば科挙、宦官 辮髪、纏足、人肉食、支那服
など、輸入を断固拒否してあるのである。
日本は決して、シナ文明の亜流、猿真似ではない。
逆に明治以後は、日本がシナの先生となり、多くの留学生を受け入れ、
シナの近代化に極めて大きな貢献をしているのである。
明治以降の日本は
西洋礼賛、西洋かぶれの西洋病に陥ったように、シナに対しても、シナ礼賛、
シナコンプレックス、シナかぶれのシナ病に陥っていたのである。

いずれも日本の伝統文化の大地に足を置かない、日本の学者、文化人の
「曲学阿世」の罪だったのである!
  続く