岩手山 海抜2038米
盛岡市の北上川、開運橋から見上げてきた、あの秀麗で雄大なる岩手山に遂に登山した。親友と共に感慨無量である。つぶさに記録を留めたい。

平成16年5月27日快晴 
登山ルートは柳沢ルートである。馬返登山口は入山禁止とあった。出発午前9時10分。先ず、少し下りから始まる。新道と旧道とあるが、旧道は危険らしいので新道とした。新・旧別れの大きなブナの樹のある場所に午前9時38分着。途中で親友がとてつもない太い蛇に遭遇して驚く。熊に注意ともある。この新・旧道の別れがゼロ合目であった。ここで少し休み45分出発。次に
一合目は広場となっているがブナ樹林帯に囲まれている。午前9時55分。次第に高度を上げて行くのだが樹林帯が美しい。二合目に到着したのは午前10時8分、この山には・五合目があった。到着午前10時15分、なにせい、出発地点の馬返から1730米の新・旧道合流地点まで3時間半とガイドマップにある。こうして三合目に午前10時35分到着する。四合目は11時であった。視界も段々よくなるばかりか、ここら辺から岩手山を代表すると言われる花の歓迎攻めにあい、親友が感激する。シラネアオイである。残雪が消えるのを待つように次々と開花していた。日本特産種とされるこの花は、雨天時にこそ本当の良さを知ることが出来るらしい。辛い、長い登山道だが、このシラネアオイやら小ぶりの可愛い花びらの桜ーー友はミネ桜と言うーとかショウジョウバカマがまだ咲いていて我々を慰めてくれる。本当に当地はまだ早春である。他にもサンカヨウ黄スミレも咲いている。この辺から山頂方面を見上げると大きな雪渓が見え、我々には不安がよぎる。眼下は広大な岩手平野、対極の南方面には美しい姫神山が霞んで見える。雪渓を横断すること3回目、遂に我々は、どうやら道を失ってしまった。雪渓を慎重に上がると左前方に新・旧合流点らしき道標が見えた。だが、枯れ木と這い松で道が不明、這うような樹林帯横断に苦労する。擦り傷を数箇所受けて遂に新道を発見した、殆ど同時に合流点の1730ピーク、午前11時35分、馬返より2時間25分である。七合目は12時半、そして八合目避難小屋が12時55分。我々は馬返から3時間25分でガイドの3時間30分とほぼピッタリである。ここから見上げると岩手山の鳥居が見える。ここから左に迂回して不動平避難小屋を目指す。その避難小屋の左雪渓を登る一人の男を遠望して、我々はあの雪渓ルートを辿ればよいと思い込んだ。これが間違いの原因となる。山頂のお鉢はあの方面から廻ると判断してしまった。不動平避難小屋へはゴロゴロした石やら雪渓の中を進む。こうして九合目の1828ピークの不動平避難小屋到着午後13時10分。この右へと進むのが正解だが。我々はあの男を追うのである。そこは実に岩屏風のような尖った岩だけの場所であった。
再び不動平に下山しお鉢を目指す。振り返ると、北方の八幡平は全山が雪で覆われている。今日は岩手山登山に変更して実に良かったと喜びあう。ここからは、火山弾のゴロゴロ石と砂利と砂と埃のジクザグ道である。我々は左から廻ることとした。風と石ころ、砂と埃と、火山火口跡の異様な雰囲気はとても好きになれない。黙々と山頂を目指す。出発午後13時35分。
山頂・薬師岳到着は午後14時5分。参拝し写真とり雄大な風景の盛岡平野を撮影するも食事したい気持ちが湧かない。なぜか一刻も早く下山したい。時間も時間である。出発午後14時15分、こうしてお鉢を砂埃の中を廻りお鉢最終地点発午後14時30分、不動小屋14時45分、八合目避難小屋到着午後15時、ここでお握りを食べる。食欲は無かったが親友の薦めで食べて力が湧いてきた。やはり腹に入れておく必要性を痛感した。ここの出発は15時5分、流し込むような昼飯であったが、とても効果を発揮する。精神が安定するしスタミナ切れにならないのである。天気は良いがこれが曇りとかであったら遅い出発である。

下りも瓦礫と石砂利の道と雪渓を慎重に下りあの大きなブナの樹のゼロ合目に17時20分到着。ここから更に登山口へ25分かけて下山は17時45分。ここにこの山の湧水が大量にコンコンと噴水になっており
「鬼又清水」という、これを腹一杯飲んだが、その美味しいこと、美味しいこと、感激の登山であった。実に9時間を要した大登山であったが充足感、満足感、達成感が漲ってその夜の繋温泉では、かなり盛り上がった。乾杯。平成16.5月30日 徳永圀典