恐るべき愚かな鳥取県人権条例

 

鳥取県の人権条例が全国的な波紋を広げ、拙速極まりないと非難に近い。私は、人権は人間存在、人類の普遍的原理であると思っている。

人権問題は聊か研究し、現役時代、住友銀行本店人事部審議役として職員採用に関係し住友銀行の人権問題教育責任者をしたことがある。関西財界を代表し大阪フェスティバルホールで3千人へ講話、東京の職業安定所で1千人の講話もするなど人権問題には関心は深い。

県の人権条例のことで、偶然入手した「真の人権を考えるインターネット有志の会」の抜粋を引用する。それによると県の人権条例は、人権侵害の概念が曖昧、人の自由・名誉・財産を侵害できる権限を創設している。一部勢力による公権私物化を許容するものも含まれ、被疑者の権利が保証されていない。人権侵害の恐れをも対象とし、また匿名の第三者通報と職権で事実上の捜査も可能。このような性質の法案は、県条例として相応しくない上に、県外の凡ての人間を対象に一方的に介入可能。人権侵害の定義が曖昧で、人民裁判たる「人権侵害救済推進委員裁判」を以って事実上、司法制度全体を蚕食する制度となっている。思想良心・信教・表現・集会・結社・学問の自由・裁判を受ける権利、住居不可侵・捜索・押収に関する保障・司法権の独立、といった憲法の諸条規に違反している憲法違反の条例である。人権救済に名を借りた私的糾弾の合法化と言えるとしている。

 

私は、この条例が、瞬く間に成立した背景に重大な疑問を抱くものである。政権与党内でさえ、猛烈な反対があり自民党の部会も断念した曰くつきの法案である。

ナゼかかる尖鋭的なものを、全国的に小県で地方の保守的な県民性の鳥取県なのか実に疑問である。果たして、県民を代表する県会議員諸氏は、真剣にこの法案を議論し、理解し、納得し、広く県民の理解を得る諸手段を講じたのであろうか。重大な疑問を抱くのは私だけではあるまい。

拙速というより愚に等しく県民は憤りを見せていると見るが、県民性から表に出さない。

あの、目立ちたがり屋で、小県でありながら、何でも全国一番でなくてはならないとの知事の県運営趣向が浮んでくる。私は日本海新聞に当初二度、片山知事を褒め称えたが、今回の条例をそのまま通したことで県民は失望を決定的にしたのではないかとさえ思える。

聞くところによると、県部長クラスは、知事を称して「社長」と仲間で呼んでいるらしい。想像できる事態である。矢張り、権力のもたらすものであり、サラリーマン公務員の周辺では、知事に異を唱えるのも憚るのであろう。それだけに、公的権力保有者であるだけに、県民に対し「戦々恐々として薄氷を踏む思い」の謙虚なものが求められる。

処が、日本海新聞の「記者の手帳」によると、片山知事は十一日の県市長会の要望会で、議員提案の人権条例案をめぐる動きについて「高みの見物」と発言。 県弁護士会が同条例案に反対する声明を出したことについては[提案者である議会で説明責任を果たされるべき]と、議会を突き放した。片山知事が自ら「あいまいな表記が多い。運用者が悪く運用したら人権侵害になる」と指摘する条例案は、知事直属の機関が運用することになる。 知事の無責任とも思える発言は条例への懸念を一層深刻なものにした。 (10月12日の日本海新聞)

 

もし、これが事実だとすれば軽薄、無責任で大都市であれば騒然たる動きとなる。鳥取県民はおとなしく騒がないが、これは鳥取県に相応しくない。運用して間違いを訂正すればいいとは無責任そのものだ。

この目立ち願望症、これが知事の特徴であり、いまや最大の欠陥である。地道な、地についたものでなく、かかる政治的に派手な言動は実に困った性質で危険と見る。国家・国民的観点の配慮の欠けたもので、一知事としてはやり過ぎに思う。既にネットでは鳥取県産物不買運動の声さえあがっており県民益に反する。県民は果たして、彼にここまでの行動を欲していたのか、無いと思われる。突如として、法案の成立、これは鳥取県民はおとなしく一々反応や発言はしないであろうが、多くの県民は不安を片山知事に抱いたであろう。純粋でないものを痛感しているのは、鳥取県民だけではない、読売新聞によると、宝塚市やら名古屋から、実に若いボランティアが鳥取駅前に集合して、人権法案反対の運動をしている。
鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典