易と人生哲学 K 安岡正篤先生講義

平成19年11月度 第八回講義

1日 学問の要訣(ようけつ) 何時の間にか回を重ねて、第八回に到達致しました。易について、何も御存知なかった方々も、回を重ねるに従って妙なもので習うより慣れろという言葉がありますが本当に慣れてきますと何と なくわかってくるものであります。慣れますと、思い出してはやはり取り出して読んで考える、そうすると自然に理解ができるものでありまして、何より慣れる、習うということが、大事な学問の要訣(ようけつ)であります。
2日 習という文字は、何時かお話したと思いますが、大変よい文字でありまして、羽の下に白の字を書くと普通に思いますがこの白という字は、小鳥の胴体を表す象形文字で

ありまして羽の下の胴体であります。
つまり小鳥が巣から離れて飛ぶ稽古をしておるという姿を表した象形文字で習というのはつまり身体で稽古をする、修業をするということであります。
 

3日 頭の学問 学問を習うというのも頭でやっておる間はだめでありまして、羽と胴、つまり行動で言いかえると実践で習うということでなければ、本当の学問 、学習にならぬわけであります。易も単に知識的に取り扱っておったのでは中々ものになりません。やはり習うということが具体的に、従って行動的になりますと、段々わかって参ります。
4日 易は直感的学問 易の卦については前回講じました上経三十卦によって既に大分おわかりになったと思いますが、これは非常に原理的、具体的な人間の思索、行動 の範疇、規範というものであります。また大変、実践行動的でありますから、概念や論理ではなく身体で思索するという直感的な学問であります。
5日 上経と下経比較 それが下経になりますと一段とはっきりしてまいります。上経は幾らか理論的、抽象的でありますが、下経になりますと非常に具体的になり、従って実践的で易らしくと言いますか、我々に非常に親しくなって参ります。従って一段と面白くなってきます。 そこで上経をよく学んで、下経に入りますと易学が生きて参ります。いきなり下経に入りますと少し興味が俗になりますので、思索的、理論的の上経をよくこなしてやや実践的、行動的な特色ある下経に入るのがやはり正しい学習方法であります。下経は三十四卦から成り立っておりますから、本日はその三十四卦について大事な名称と内容の解説を致します。

下経

6日 (かん)
澤上(たくじょう)山下(さんか)
澤山咸(たくさんかん)

(かん)は感と同義で心のふれあいであります。感応、感受、感銘の感であります。私達の生活行動というものは複雑な感覚、感応から始まる。そこで(かん)の卦の()()二爻(にこう)三爻(さんこう)四爻(しこう)五爻(ごこう)を見ますと、下が風で上が天、−天風こうであります。

つまり(かん)の卦は、天風こう()()を持っておるのであります。こうは、あう、ゆきあうという文字でありますから、陰陽、男女が(あい)感応(かんのう)することで、従って澤山咸(たくさんかん)の卦は、夫婦の始まりであります。恋愛もこの卦であります。 

7日

(こう)
雷上(らいじょう)風下(ふうか)
雷風恆(らいふうこう)

(かん)が恋愛から始まり、夫婦となって結ばれ、永遠性、永久性を持つ、これが(こう)の卦であります。そこでこれをつね(○○)と読むわけであります。

新婚夫婦も数年経ち安定した生活をしておりますと、雷と風がこの二人に波乱をおこそうとしますが、何事も初心を忘れずに一貫性を守っていきますので、影響はありません。このように下経は、自然的よりも人間的であり、上経に比べると更にまた感興が豊かになります。
8日 (とん)
天上(てんじょう)山下(さんか)
画像:Gon.png
天山遯(てんざんとん)

(かん)(こう)は結びの卦でありますが、天山遯(てんざんとん)は解脱の卦であります。処が人間には、結びがあればこそ、そこに解脱というものがなければなりません。つまり男女、夫婦は結合だけではいけない、どこかに解脱するところ、

超越するところがなければなりません。
遯という字は、普通はのがれる(○○○○)という意味に解釈します。勿論それも一つの意味ですが、この遯は非常な深い意味がありまして、消極的な意味ではありません。だから解脱と訳すのが一番ようと思います。遯の卦も互卦は天風こうであります。
9日 (とん) 2

古来から、雅号に遯の字をつけた人が多い。例えば、(しゅ)(かい)(あん)―朱子が(とん)(おう)と号しております。日本でも徳川時代の初期に宇都宮遯庵という人がありますが、非常が大学者で立派な人でありました。

政治家や、実業家等が、日曜になると、朝早く起きて、わざわざ遠い所まで行ってゴルフをやる、これもやはり遯の一つです。

易は創造―クリエーションの道であり、理論であり、学問でありますから、どこまでも積極的でなければならない。遯も消極的な隠遯(いんとん)でなく解脱であります。
10日 大壯(たいそう)
雷上(らいじょう)雷下(らいか)
画像:Ken.png
(らい)天大壯(てんたいそう)

大いに(さか)んなれ、というのが大の卦であります。つまり(とん)によって消極になっては駄目で大いに活動力を(さか)んにしなければならないということであります。大の卦の結論である大象(たいそう)を見ますと、非礼(ひれい)(ふつ)()

礼にあらざれば()まず、とあります。つまり礼法、礼儀に即しなければ実行しない。即ち(とん)する。解脱するとは、より真実の生活、正しい生活に入ることで、消極的萎縮的になるということではなく、それによって生命、人格、行動というものを一層壮んにするという意味をもっております。それによって始めて人間には進歩があるのであります。
11日 (しん)
火上(かじょう)地下(ちか)

火地晉(かちしん)

この卦は上卦が火で下卦が地であります。晉の卦と言っても分かりませんので上卦下卦を読んで、火地晉(かちしん)という。こいうふうに固有名詞で覚えますとすぐ卦が浮んできのすから、大変便利であります。大壮によって始めて進歩がありますからこ

の晉()すむ(○○)と読むわけであります。人の名前のときは大体すすむとよんでおります。その大象には、君子以自昭明徳―君子以って自ら明徳を昭かにすとあります。(とん)から大壮になり晉に至るということはみずから備えている明徳を発揮し天下万民を安んずるように努めること、これが本当の晉であるということであります。

12日 明夷(めいい)
地上(ちじょう)火下(かか)
()()明夷(めいい)

ところが、積極的に進歩、行動することは非常に大切なことであるが、同時に非常に警戒を必要とします。そこで易は明夷(めいい)の卦をおいております。この卦は地が上、火が下、即ち火が地の下に入るということは暗くなるということであります。そこで大象は、用晦而(ようかいし)(めい)(かい)を用いて(しこう)して明なり、とうまく表現しております。

火地晉(かちしん)で非常に進みますが、どうかするとそれで失敗する。進むという動作は陽の働きでありますから、必ずそれの裏打ち陰の働きが必要であります。例えば、この卦の形から言ってもわかりますが、火が地の下に入るわけですから夕暮れ、夜になります。私達は、夜になると、昼間の仕事を終わって家に帰る。家に帰って寝てしまっては駄目で、そこで学問するとか、何か楽しむとかしなければなりません。これが明夷(めいい)であります。
13日 ()(てき)(ばん)(じゅう) 

夷は普通えびす(○○○)と読みますが、つね(○○)という意味もあります。元来、大の字の中に()の字を入れた文字であります。これは弓を張って仁王立ちになっておるという文字であります。中国人―中華人は、自分を中華と称して自尊心を持っております。
そして、北の方を北狄(ほくてき)

けものへんに火という字を使い、南の方は南蛮これは虫という字を使っております。又、西の方はこの二つより、ややよいとされる西戎(せいじゅう)これはチベットとかトルコとかウイグルという地域です。この地方の住民は馬に乗ること弓を射ることが大変上手でありまして中華人は歴史的にも随分これに悩まさされてきたわけです。又、この戎の字は手に武器を持っておるという字でありますから如何に西方の異民族から侵略を受けて苦しんだかということがこの文字でもわかります。
14日 ()(てき)(ばん)(じゅう) 2

処が、東の方には、一番尊敬する言葉を当てはめ、東夷(とうい)と言いました。これは主として山東地方であります。現在もそうでありますが、中国の地理、歴史を学びますと、中華人は、北狄(ほくてき)南蛮、

西戎(せいじゅう)よりも東夷を一番怖がり、又従って尊敬しておりました。
山東人は非常に武勇にすぐれ、斉魯(さいろ)という言葉があるように、斉がその代表でありまして、桓公とか名宰相の管仲などが出ました。
15日 ()の真意

我が国の荻生徂徠(おぎゅうそらい)東夷徂徠(とういそらい)と称したというので、漢学者はみな中国を崇拝して日本を軽蔑している、と文句を言いますが、これは間違いで、徂徠は自慢で東夷と言っておるのであります。中国人は文の民で武に弱い。処が山東人(さんとうじん)は皆武勇であり立派である。日本も中国から東に位置して武勇の国民である。そこで徂徠

は自ら東夷と称して文弱の民に非ず東方武勇の民であるという自慢の言葉であります。それをよく説明しないものだから誤解され攻撃されておりますが徂徠にとつては甚だ迷惑なことであります。一寸、皮肉な人ですから、そう言われると恐らく「こいつ、無学だなあ」と思って笑うだろうと思います。夷という字は、このように武勇を表す文字で敵を平らげるという意味があります。従って平和という意味もあります。昼働いて、夜になるとあかりをつけて勉強をする、これが本当の明夷(めいい)の意味であります。 

16日 家人(かじん)
風上(ふうじょう)火下(かか)
(ふう)()家人(かじん)

昼働き、夜明かりをつけて勉強をすると、そその熱意に始めて人が敬服します。これが家人の卦であります。そこで家人の卦の大象によりますと、君子以言有物、而行有恒−君子以って言に物有り、(おこない)(つね)有り、とありまして、(しん)から明夷(めいい)、即ち昼夜を通じて正しい生活をしたので、家人が敬服するのであります。大象のー言に()有り、というこの物の解釈に随分昔から学者が苦しみました。処が音を調べて始めてわかったのですが、同音の場合には色々の文字を仮借と言って仮に使っております。

そこで()をさかのぼって調べてみますと、()も意味も法と同じであります。つまり物有りは、言に法有り、ということだと考古学的研究、説文学的研究によってはっきり認識することができました。(しん)から明夷(めいい)と、このように修行、修養してまいりますと、でたらめなことは言えない。何故かというと、それにはちゃんと法がある。そして行動も、行きあたりばたりと欲望や感覚のままに動くのではなく、そこに一つの(こう)、即ち不変のものをもつ、これが家庭生活の原則であるということであります。従って家人の卦を玩味しますと、私達の家庭生活と、それから応用する集団生活、つまり一つの会社、一つの役所の中の共同生活も皆家人の卦でありまして、大変よい卦であります。

17日 (けい)
()上澤下(じょうたくか)
火澤けい(かたくけい)
家人は、親しい集まりでありますから、そこには厳とした法則がなければなりません。そうでないと融和も欠き、永続もしません。処が家人の次に(けい)の卦をおいております。けいという字は、目くじら立てる、にらみ合うという文字であります。従って背くという意味になります。兎角、人間は家庭でもそうですが、まして組織や団体となりますとも仲が悪くなり易く、睨み合い、いがみ合います。

これがけいであります。
この卦は上下とも女性の卦でありまして、女というものは兎角一つの家に入って数人おると睨み合う、嫁と姑のように目に角立てやすい、それではいけませんので大象には、君子以同而異―君子同を以て而して異なる、とありまして、これは、あらわれる所は異なるが、その根本、或いは本態において同和しなければならない、ということであります。つまり、家庭とか親戚、朋友の交わりに、よくありがちな仲違はよくない、仲良くしなければならないと、実によく教えている卦であります。

18日 (けん)
水上(すいじょう)山下(さんか)
水山蹇(すいざんけん)

一度睨み合いをすると、仲なおりするのに、なかなか時間がかかり、うまくいかないというのが(けん)の卦であります。上が水、水は(かん、あなの事)と言って悩みを表します。家人の卦から(けん)の卦となると兎角スムースにいきません。そこで(あしなえ)の字には、いざり(○○○)という意味があり歩行困難であります。つまりうまくいかないからそれをどうすればよいかという事をこの卦は

教えております。
そこで大象を見ますと、君子反身修徳−君子身に反って徳を修む、とありまして、睨み合いから始まって、ことごとにうまくいかないような時には、腹を立てていてもどうにもならない。その解決法は、我が身に反って徳を修めることだと教えます。うまく足並みが揃わない、ということは、家庭ばかりでなく、会社でも役所でも同じであります。社員、重役が夫々歩調が揃わず、びっこになり、人間同志の悩みが起こるというのがこの(けん)であります。これは反身修徳より他に解決方法がありません。
19日 (かい)
(らい)上水下(じょうすいか)
(らい)(すい)(かい)
ああだこうだと、我が侭言って、都合のよいことばかり主張し、いがみ合ってみたところで、どうにもならない。そういうことをやれば、結局解決することはできません。そこで解の卦の大象を見ますと、赦過宥(しゃかゆう)(ざい)―過ちを(ゆる)し罪を(ゆる)す、ということを説いております。

過失した者は無罪放免し、又罪を犯した者には、できるだけ寛大に扱い、その罪を軽減して人心が伸び伸びとするよう一新することだと説いております。実に頭がさがります。易がここまで丁寧に教えておるのかと思いますと、始めて易を学ぶ人は吃驚したり、しみじみと反省させられたりするのであります。赦過宥(しゃかゆう)(ざい)、それで始めて悩みが解けるのであります。

20日

(そん)
(さん)上澤下(じょうたくか)
山澤損(さんたくそん)

損の卦は次の益の卦とあわせて損益の卦と言い、上経の(たい)()の卦と(こう)一対(いっつい)の大切な卦であります。結局、人間は、人にばかり求めても仕方ない、己を修めなければいけないということであります。これが損であります。そこで損の卦の大象に、懲忿欲―忿(いか)りを()らし欲を(ふさ)、とあります。 つまり自分をおさえる、言いかえると克己(こっき)であります。自分、家庭、周囲をうまくやっていこうと思いますと、どうしても克己―己に()つということがなければなりません。その修業ができて始めて、人間は自由を得ることができるのであります。自己を抑損(よくそん)する。反省するという修業をしなければ自由は得られません。
21日


風上(ふうじょう)雷下(らいか)
(ふう)(らい)(えき)

益というものは、損即ち克己的精神、克己的生活という過程を経て、始めて得る自由を言います。余り知られていない有名人の事実を御紹介申しあげますと、貝原益軒という人は、誰知らぬ者のない、徳川時代後期の、非常に世に感化を広く及ぼしたすぐれた人であります。ところが、この貝原(かいばら)益軒(えっけん)先生を少し調べてみると八十四

才で亡くなっておりますが、死ぬ一年か二年前に始めて益軒を改め、殆どその最後まで損軒と言っておりました。
勿論、これは易からとった名であります。つまり貝原益軒先生は、ずっと貝原損軒(そんけん)先生であった。六十にして化すということがありますが、本当に八十という声のかかった時に始めて益軒に改めた。これは殆ど人の知らない事実でありますが、成る程と感心させられ、さすがは益軒先生だと思います。
22日 益その二

若い時は中々道楽者でもありまして、京都の島原あたりでよく遊びましたので、従っていも甘いもかみ分けた人であります。そこで益軒先生と色々書き遺されたものを、人生訓、処世訓、養生訓などで読みますと、実に至れり尽くせりでありますが、余程の苦労人でなければ書けない、言えないことを細かに書いております。
よく何も知らない人は

漢学者というものは余り人情に通じない形式道徳のかたまりみたいに思うことが多い。従って貝原益軒などは、こちこちの堅物と大抵思っておるのでありますが、(あに)はからんや若い時は中々の道楽者で遊んだ人でありまして、これではいけないと自覚して中年から勉強を始め、忿(いか)りを()らして欲を(ふさ)ぐ生活をした人であります。易は損の卦が先であります。自分であくまでも克己努力して、それから自由を得る。これが益であります。 

23日 (くわい)
澤上(たくじょう)天下(てんか)
澤天夬(たくてんくわい)

注意を怠りますと、益すれば又そこに失敗、災も生じます。折角到達して得た自由に伴う失敗、そこで又一つの注意を与えておるのが夬の卦であります。自由というものは無心でなければなりません。色んな引っかかりを持っておるといけません。どうかすると人格者、道徳家などには、よく神経のとげとげしい小うるさい人がおるものですが、そういうものを自ら

解脱するというか、忘れることを説いたのがこの卦であります。
大象に、居徳則忌―徳に居て則ち忌む、とあります。忌という字は、随分後世易学者の間に議論があった字であります。色々研究考証の結果、忌という字は間違いで、和するという文字を誤り伝えたものだという結論に達しました。徳に居て則ち和する。これは人間がくだらない欲望だとか、或いは警戒心だという窮屈なものを解脱して、こせこせしない、無心がよいのだということであります。
24日 (こう)
天上(てんじょう)風下(ふうか)
天風こう(てんぷうこう)

澤天(たくてん)(くわい)の卦初爻(しょこう)からずっと陽で上爻(じょうこう)だけが陰、つまり(いち)(いん)が上にとどまっておる卦であります。易は循環しますからその一陰が上から下へ回り、初爻(しょこう)が陰で上が全部陽の()陽一(よういち)(いん)の卦、これが天風こうの卦であります。これは地雷(ちらい)(ふく)の卦画像:Kon.png 画像:Shin.png (さく)()であります。

一陰が新たに下に生じて進んでいく、陰気上昇する卦でありますから、例えば内閣を組織した、会社を設立した、その為に有能活発な同志を集めた、というのが陽爻であります。そこへたまたま一人の変わったのがもぐり込んだ、というのが(こう)の卦であります。

必ずしも変な者に限りませんが、常ならぬ人間、陽性でなく陰性の人間が入ってきたというのがこの卦であります。これは余程注意しませんと、折角の組織、行動がこれによって乱れる、と教えておる卦であります。

25日 (すい)
澤上(たくじょう)地下(ちか)
澤地萃(たくちすい)

そこで大事なことは、人物を余程選んで、結束、組織しなければなりません。それを怠りますと色んな異変がおこる。それを明らかにしたのが(すい)の卦であります。

(すい)あつめる(○○○○)でありますから、どういう人物をあつめるとよいかという人材登用、抜擢(ばってき)、組織、行動の卦であります。抜粋(ばっすい)という言葉などは、私達の日常生活に使っている言葉です。
26日 (しょう)
地上(ちじょう)風下(ふうか)
地風(ちふう)(しょう)

人物を選んで組織し活動を始めますと、進歩向上というものがある。それが升の卦であります。升はのぼるでありますが、この進歩向上に大事なことは、組織の中にあって活躍する人達がつまらぬ利害打算を考えたり、

自分はこれだけ才智だの芸能がある等と言って自慢をしないことである。そして更に大切なことは、徳を養うことである。皆が本当に養った徳を発揮すると、会社も発展向上すると教えるのがこの升の卦であります。
27日 (こん)
(たく)上水下(じょうすいか)
澤水困(たくすいこん)

発展向上すると、注意しないとよく行き詰まる、困却し苦しむ。そこで困の卦をおいて、どういうふうにして初志をとげたらよいか、自分の運命をどうして聞くかを教えております。そこで大象には、致命遂志―命を致し志を遂ぐ、とあります。どのような小さい仕事、事業であっても、一命をなげ打って初志を貫き目的を達することだ。

これをやりませんと折角やった仕事、或いは発展させた事業も、ちょうど澤に水がなくなるように駄目になる。易は行き詰まるということがありません。どこまでもクリエート、リクリエートしてやみません。それは場合によっては循環であります。そこで升の卦の次に困の卦をおいて、好い気になり過ぎては駄目である、升ったら苦しむのであると戒めておるのであります。
28日 (せい)
水上(すいじょう)風下(ふうか)
水風(すいふう)(せい)

物事が行き詰まり苦しくなった場合は、どうすればよいかという答えが、この(せい)の卦であります。行き詰まって、どうにもならない時には、その事業、生活、人物そのものを掘り下げるより他によい方法がありません。例えば、井戸を掘りますと、始めは勿論泥でありますが、それを掘り進めますと泥水が湧き出します。

それを屈せず深く掘りさげると滾々(こんこん)として尽きない清水、水脈につきあたります。
これが井の卦であります。困った時には、幾ら条件を並べて、よい方法がないかと探しても無駄であります。自己を掘り下げるより他によい方法はありません。本当によく反省し、修養すれば必ず無限なもの、滾々として尽きない水脈につきあたる、そうなると無限にこれを汲み上げることが出来るのであります。
 

29日 (かく)
澤上(たくじょう)火下(かか)
(たく)()(かく)

個人でありますと、自己を掘り下げて解決を図ることができますが、それが一つの団体となり国家となり、或いは時局となりますと、行き詰まった場合の解決は、この革の卦であります。

この卦は、よく次の鼎の卦と間違えて、革命というとすぐ過去を破壊して新しい建設を考えるのでありますが、革の卦はまだその前段階でありまして、これは建設までいたりません。どちらかと言えば破壊し、捨てる、掃除するということであります。今までずるずると因習的にやってきたのを思い切って改める。そこで革の字をあらためる(○○○○○)とも読みます。 

30日


その2

そこで一番大事なことは、その中心人物代表人物が、思い切って古い因襲的態度、生活、思想、行動等を改める。そしてこの中心人物を補佐する者がそれに準じて新体制をとることであります。例えば内閣でいうと総理大臣、これは易の卦でいうと五爻(ごこう)にあたります。この革の卦の五爻(ごこう)に、大人(たいじん)()(へん)上爻(じょうこう)君子(くんし)豹変(ひょうへん)という言葉があります。大人(たいじん)()(へん)でありますから、総理大臣が思い切って、国民から、実に見事だ、あっと驚くような人達が「そうだ、しっかりやれ」とこれに応ずる。これが豹変です。

だから君子豹変ではなく大人虎変が本当です。それに伴うて同調するというのが豹変であります。だから虎変の方をむしろ多く使わなければならないのでありますが、豹変の方が多く使われるのは、虎は言葉としては平凡なせいかもしれません。事実これを動物学者に聞いてみましたところ、虎の方が実に見事だと申しておりました。九月か十月頃に毛が変るのだそうですが、本当に目をみはるようだそうです。豹はそれ程でもないと申しておりました。内閣ばかりではありません。会社も社長が「やるぞ」と、思い切って旧来のしきたりを改めて新体制をとる。そうすると会長とか、顧問とかいうような人達が「よかろう、しっかりやりなさい、俺も協力する」というのが豹変であります。結局、五爻(ごこう)、上爻におる者が、率先してやらなければ革命にはなりません。