日本海新聞 潮流気候 平成17年 4月1 日

禍福終始を知る

私の座有銘の一つ、「ソレ学ハ通ノタメニアラザルナリ。窮シテ困(クル)シマズ憂エテ意(ココロ)衰ザルガタメナリ。禍福終始ヲ知ッテ惑ハザルガタメナリ」荀子の言葉である。

人間の能力で知能は最も大切だが学ぶのは通ぶる為ではない。こうすれば、こうなる、ああすればああなるの古今の栄枯盛衰の理法を歴史や人物に学び、苦しい時に憂うばかりで心の力を衰えないようし、惑うことのないようにする。私はこのように自戒し学問は歴史に極まると思っている。人間の本質とは何かも考え抜いた。

現役時代は地位学歴が気がかりだが、人間本来から洞察すると所詮、それらは本質的なものではなく、仮りの姿に過ぎないと分かる。お金があっても、地位が高くても、立派な学歴があっても、バブル崩壊時、人間の表皮に過ぎない、これら仮りのものが崩れ落ちた高位高官・政治家・財界人を数多く見てきた。その人達は表皮が剥がれてみて、人間の本質を痛いほど知り、本当の人間とは、と噛みしめたに違いない。

学ぶとは単なる「知識や学歴・資格を獲得すること」だと思っては大間違いではあるまいか。現代は資格社会であり、それらは経済的に大いに役立つ。然し、幾ら表皮を厚くしても、人間本質の自覚が薄いと上述のようなことになる。

享楽が手を変え品を変えて我々に迫っている現代、更に表皮ばかり追及して行くと、人間は幸福となるのか。それは極めて明白で、毎日、報道される殺人事件は、表皮のみ追い続けた結果であることを如実に証明している。生活が享楽、安易になれば人間は次第に頽廃し堕落し遂にものを考えなくなって行く。ただ目先の利便、安易、快楽を追っかける。
わが国の経済が発展し、世紀の奇跡とか言われていたが、いつの間にか危殆に瀕し、漸く立ち直ったと思いきや、
2007年以降の人口減少による国力下降の大転機が迫っている。

経済的繁栄というものは曲者で、精神、道徳を伴わない繁栄は、必ず大きな失敗堕落を招いている。経済繁栄を自慢した日本人が、いつの頃からかエコノミック・アニマルなどと軽蔑され、やがてエロチック・アニマルになった。最近は社会の指導的立場の人々にその多発が出現した。

これらの人間劣化を乗り越えるには、どうするか。一つのことが抜けているからどうにもならない。それは、良心であり、正義というものではないか。日本人として、或いは一社会人として、良心を持つ、正義を持つ。こういう精神奮起がなければ個人も社会も自滅を免れまい。

いま日本人には良心・正義が歴史に見ないような頽廃に直面しており、特に正義の感動が失せてしまっている。だから日本の未来は重苦しい。

内に享楽社会特有の現象が多発し、暗澹たる雰囲気がたちこめてきた。我々は未来に対して進んで有責でなくてはなるまい。背骨をピンとして、下品になった政治の革新を要求し、みんなが最大公約数的希望の持てるようになれないものか。
進歩したが純朴さも失わぬ地方、品性ある溌剌たる生徒や教員、ゆかしい国史や伝統を大切にする、健康で清潔な大都市、親愛に溢れる行政府・議員、このような日本に戻れないものか。

それには、人間の本質的なものは何かということを、家庭も社会もしっかりと自覚することからではないか。

その人間の本質とは、「明朗・清潔・正直・同情・勇気・義侠・反省・忍耐等の徳性、これらが人間の本質」だと自覚することからではないか。能力のうち最も大切なものは知能だが、これらの徳性に比べると枝葉である。理解、推理、記憶、想像、注意力等は幼児の初期から発達するが、鍛錬しないと早くから停滞するのは明白だのに、ゆとり教育をする。

人生は習慣の織物、躾の意義はこの良い習慣を幼児の時から養うことであろう。型の鋳込みが伝統的な近道である。そこから個性あるヒラメキが生ずる。徳性と知能、そして良い習慣で自己を確立し禍福終始を知ることができるのではあるまいか、時既に遅く、わが身を顧みて恥入るばかりだが。
(鳥取市)

鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典