12月-今日の格言・箴言19マルクス・アウレリウス2
(神谷美恵子氏翻訳から)---余りに現代的でなく、苦しいという声があるが、12月中はご辛抱願いたい。----

12月1日 人生は一日一日と費やされて行き、あますところ次第に少なくなって行く。・・たとえ寿命が延びても、その人の智力が将来も変わりなく事物の理解に適し・・・観照に適するか不明である。
12月2日 なぜなら耄碌し始めると呼吸、消化、思考、衝動、その他ありとあらゆる類似の機能が失われないが、自分自身をうまく用いること、義務の一つ一つを明快に弁別すること、現状を分析することも既に人生を去るべき時ではないかどうかを判断すること、よく訓練された推理力を処理する能力は真っ先に消滅してしまう。従って我々は急がなくてはならない。単に時々刻々と死に近づくからだけではない、物事に対する洞察力や注意力が死ぬ前に既に働かなくなってくるからである。
12月3日 何かする時にいやいやながらするな。利己的な気持ちからするな、心にさからってするな。君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計な言葉や行いを慎め。また他人の与える平安を必要とせぬように心がけよ。
12月4日 ・・煩わしいのはただ内心の主観から来るものに過ぎないということ。もう一つは、すべて君の見る所のものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうと云う事。そして既にどれだけ多くの変化を君自身見届けたことか。日夜これに思いをひそめよ。「宇宙即変化。人生即主観」
12月5日 死は誕生と同様に自然の神秘である。同じ元素の結合、その元素への「分解」であり、恥ずべきものではない。なぜなら知的動物にふさわぬことではなく、また彼の構成素質の理法にもふさわぬことではないからである。
12月6日 君に害を与える人間が抱いている異見や、その人間が君に抱かせてたいと思っている意見を抱くな。あるがままの姿で物事を見よ。
12月7日 君は理性を持っているのか?「持っている」それならなぜそれを使わないのか。もしそれがその分を果たしているならば、その上に何を望むのか。
12月8日 隣人が何を云い、何を行い、何を考えているか覗き見ず、自分自身のなす事のみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮る者はなんと多くの余暇を獲ることであろう。他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしいことではない。目標に向かってまっしぐらに走り、脇見するな。
12月9日 死後の名声に胸をときめかす人間は次を考えない。即ち彼を覚えている人間各々もまた彼自身も間もなく死んでしまい、ついでその後継者も死んで行き、燃え上がって消え行く松明のごとく彼に関する記憶が次から次へ手渡され、遂にその記憶全体が消滅してしまうことを。
12月10日 然しまた記憶する人々が不死であり、その記憶も不朽であると仮定して見よ。一体それが君にとりなんであろうか。
12月11日 いうまでも無く、死人にとってはなにものでもない。また生きている人間にとっても、賞賛とはなんであろう。精々何かの便宜になるくらいが関の山だ。
12月12日 兎も角、君は現在自然の賜物をないがしろにして時機を逸し、将来他人が言うであろうことに執着しているのだ。
12月13日 もし、安らかに過ごしたいならば、多くのことをするな。或いは、必要なことのみせよ、といったほうがいいかも。
12月14日 すべてはかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も万物は変化により生ずるのを夜昼となく眺め、宇宙の自然は現在あるものを変化させ同じものを新しくすることを何よりも好むのだと、いう考えに馴れるがよい。
12月15日 宇宙は一つの生き物で、一つの物質と一つの魂を備えたものである。と云うことに絶えず思いをひそめよ。
12月16日 要するに人間に関することは全てかりそめでありつまらぬものであるかを絶えず注目することだ。
12月17日 昨日は少しばかりの粘液、明日はミイラか灰、だからこのほんの僅かの時間を自然に従ってのみ歩み、安らかに旅路を終えるがいい。
12月18日 常に近道を生け。近道とは自然に従う道だ。そうすれば全てをもっと健全に言ったり行ったりすることが出来るであろう。
12月19日 なぜならこの様な方針は、労苦や争いや、控えめにしておくとか、虚飾を避けるという全ての心遣いから、君を解放するのである。
12月20日 明け方に起きにくい時には、次の思いを念頭にしておくがいい。「人間の務めを果たす為に私は起きるのだ」と。
12月21日 すべて心を乱すような考えや親しみのうすい考えを追い払って抹殺し、ただちに完全な平安にはいるのはなんとたやすいことであろう。
12月22日 君の頭の鋭さは人が感心する程のものではない。宜しい、しかし「私は生れつきそんな才能を持ち合わせていない」と君が言うわけには行かないものが他に沢山ある。それを発揮せよ、なぜならそれは皆君次第なのだから、例えば誠実、謹厳、忍苦、享楽的でない事、運命に対して呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。今まで既に君がどれだけ沢山の徳を発揮し得るのかを自覚しないのか。
12月23日 こういう徳に関して生れつきそういう能力を持っていないとか、適していないとか言い逃れするわけにはいかない。それなのに君は生れつき能力が無いために、ブツブツ言ったり、ケチケチしたり、おべっかを言ったり自分の身体にあたりちらしたり、人に取り入ったり、ほらふいたり、そんなにも心を乱さねばならないのか。
12月24日 否、神々に誓って否。とうの昔に君はこういう悪い癖から足を洗ってしまう事が出来た筈だ。そして何か責められるとすれば、ただのろまで分かりが鈍いということだけ言われるので済んだ筈なのだ。しかもこの点についてもなお修養すべきであって、この愚鈍さを無視したり楽しんだりしてはならない。
12月25日 無知と自負のほうが知恵よりも力強いとは全く不思議なことだ。
12月26日 普遍的物質を記憶せよ。そのごく小さな一部が君なのだ。また普遍的な時を記憶せよ。そのごく短い、ほんの一瞬が君に割り当てられているのだ。更に運命を記憶せよ。そのどんな小さな部分が君であることか。
12月27日 感覚的なものは悉くうつろい易く動き易く、我々の感覚機能も鈍く欺かれやすく、魂それ自体も血から発散する煙にすぎない。
12月28日 正しい道を歩み、正しい道に従って考えたり行動したりする事が出来るならば、君の一生もつねに正しく流れさせる事ができる。
12月29日 神と人の魂、またすべての理性的動物の魂につぎの二つのことが共通である。すなわち他人から束縛を受けぬ事。また善とは正義にかなった態度と行動にありと考え、そこに自己の欲望をかぎること。
12月30日 感覚的な思念によって全心を奪われぬようにせよ。それよりも自分の力に従い、人の価値に応じて人を助けよ。
12月31日 「幸運な」とは自分自身にいい分前を与えてやったこと、いい分前とは、良い魂の傾向、よい衝動、よい行為のことである。

ご愛読ありがとうございました。皆様、よいお年をお迎え下さい。徳永圀典