成16年10月--今日の格言・箴言29 伝習録
1.王陽明と門弟達との問答を記録したもの。陽明学の入門書と言える。元々朱子学に対する批判から発生し孔子、孟子の教えを継承している。
2.  [伝習]とは論語の学而篇「曾子曰ク、吾、日ニ、三タビ吾ガ身ヲ省ル。人ノタメヲ謀リテ忠ナラザルカ。朋友ト交リテ信ナラザルカ。習ワザルヲ伝エシカ」による。
3.    陽明学は何よりも実践を重んずる。陽明は「心即理」、「省察克冶」「事上練磨」そして「知行合一」の真理を得たと言われる。主観の燃焼と実践重視である。
4.
「知行合一」とは「真知ハ即チ行ヲナス所以ナリ。行ナワズンバ、コレヲ知ト謂ウニ足ラズ」と厳しい。
私なりに、取捨選択し適宜に纏めてみた。平成16年10月1日 徳永圀典

1日 「心即理」 心をおいて、外にどんな事物があり、どんな理があるというのか。

理と言う物は全て心の中にあり心即理である。心が私欲に蔽われていない状態が天理であり、それ以上一つも外から付け加える必要はない。心から人欲を取りの除き天理を存するように努力しさえすれば、それでよいのである。

2日 「知行合一」

私欲により分断され、知と行の本来の在り方を見失っていると実行できない。知るということは必ず行うことに結びつく。

知っていながら行わないのは、まだ知っていないということである。

3日 「主一」 色とか財に心を集中するのは主一ではない。それはただ物を追っているだけである。

主一とはひたすら天理に心を集中することである。

4日 「立志」

普段から一念一念に天理を存するように努めること。これが志を立てること。

これを心がければ自然に天理が心の中に確固とした形をとって現れてくる。

5日 「処方箋」 通常の生活で、心に落ち着きの無い紛擾を覚えたら、静座するがよい。 書物を読むのが嫌になれば更に書物を読むがよい。
6日 「交友」 相手から学ぶように努めるとプラス、見下げるような態度ではマイナスしか得られない。

友人とは互いに切磋琢磨して人間形成をしている同志のことである。

7日 「病根を絶つ」 自負心、名誉欲の強い人間の病根を根治する。 個性の強い、癖の多い人間に対して陽明は、ぐうの音もない迄に門人を切り捨て除去を図った。
8日 「心鏡を磨く」 聖人の心は明鏡のようなもの。 聖人はその時々の時勢が必要とするものだけを必要に応じて処理しただけ。聖人が懸念したのは自分の鏡そのものの明るさであった。
9日

「事上練磨」

人間は日常生活の中で自分を磨かなくては生きた知恵は生れない。

静時であろうと、動中であろうと、いついかなる事態になっても冷静に対処することが出来るのはこの事上練磨に他ならない。

10日 「知は行の始め」 知は行の始め、行は知の成るなり。

知の実現が行にほかならない。

11日 「学問・修行」 根本を確実に把握する。 順序を正しく、着実に進む。
12日 「問題解決」 自分を鍛錬させるのは問題が発生した時である。

逆境にあり苦しい時、悲しい時こそ間違いなく自分を鍛えてくれる。

13日 「疑問を残さぬ」 道に終わりは無い。

探求すればする程、道は深い。それ故に問題は徹底的に究明し、僅かの疑問も残してはならない。

14日 「志を持つ」

善念が起これば、それを充実させる。悪念あれば察知して抑制する。

それが出来るのは志であり聡明な心である。
15日 「心を善に向ける」 修行するのは、ただ一つこの心をひたすら善に向わせるためである。 それが出来れば、善を見れば直ぐに遷り、過ちがあれば直ぐに改めるようになる。これが誠の修行で日増しに人欲は消えて天理が明らかとなる。
16日

「人欲を減らす」

聖人たる所以は天理そのままの心であって才能・力量の中には存在しない。 一分でも人欲を減らせばその分だけ天理を回復することが出来る。
17日 「善悪問答」

天理に従えは善、それから外れれば悪である。「気」に振り回されることが悪。

理とは万物を貫いている普遍的な原理、「気」とは感情欲望を呼び起こす生理的要素である。
18日 「急所の把握が肝要」 急所とは「格物致知」であり、「到良知」である。

これは人生のあらゆる問題に当て嵌まる鉄則である。

19日 「名声を求めるな」

名は実の反対である。実を求める心がすべてを占めるなら名を求める心はゼロになる。

陽明は実績の伴う名声を否定していない。名声それ自体を目的化する態度を戒めている。

20日 「後悔」 後悔することは病気を治す薬である。

肝腎なのは病を治すことである。いつまでもその事に囚われていては良知が曇り修行の妨げとなる。それでは変化する情勢に柔軟に対応できない。

21日

「専念」

種を撒いて樹を育てるには、余計な手を加えず、と言って忘れもせず、ひたすら育てるなら生気に満ち枝葉も繁る。その際、苗木の段階でムダな枝を切り落とせば根や幹ががっちりしたものとなる。

学び始める時も全く同様である。志を立てるときには、一つのことに専念する事が最も肝腎である。
22日 「生死の本質」 昼夜を知れば生死の本質も分かる。

ぼんやりと一日を過ごさないで、僅かの間でも心を養うように努め、澄み切った心でいつも天理と一体になってこそ昼夜の道を知ったこととなる。これを措いて外に、格別、生死の道などはない。

23日

「聖人の心」

聖人は天下万物を一体のものとみなす。全ての人間を分け隔てなく扱い、およそ生きとし生ける者に対して、みな兄弟親子同様の情愛をもって保護教導する。

このような心は一人一人が天性として備えており、外からの借り物ではない。だれでもそれを発現することが出来る。

24日 「真の学問」

聖人の学問は至って簡易で、知りやすく行いやすく、一度学べばメキメキ上達するという。

その根本は、心の本体に返ることであり、知識技能の類いは問題としないところにあった。
25日 「覇道が荒廃を招いた」 王道や聖人の学問が姿を消して異端邪説が横行し聖人や王道を顧みなくなり富強のため闘争に明け暮れるようになった。 闘争と富の強奪ばかりとなり行き着く先は禽獣や夷荻と同じとなり覇道そのものも行き詰った。
26日 「功利の学問」

功利の害毒が人々の心隋まで浸透、それが習性となってしまった。

人間の心にある天理はどんな時代であろうと不変。だが、これに期待できるのは、一切の権威を拒否し独力で立とうとする豪傑の士以外にない。
27日 「万物一体の仁」 易経に言う「人から認められなくても不満に思わない」の境地で、浅薄な人々の理解の及ばない。 これは、やむにやまれぬ気持からであり、人から信じられようが信じられまいが、そんなことは全く問題外である。
28日

「民の苦しみはわが苦しみ」

人間のそもそもは天地の心である。天地万物と人間は一体。だから民の苦しみや痛みはわが身にとってもそのまま切実な痛みである。

この痛みを持たない特に為政者は、是非の心を持たない者である。聖人の政治とはなんと簡易なものか。

29日 「良知の喪失」 後世になると良知の学がなおざりにされ天下の人々は私智を働かせて争い、バラバラの心となり、低俗な意見、陰険な術数が幅をきかせるようになった。

仁義を隠れ蓑にしながら私利私欲に走り、もっともらしい事を言い世俗に阿り評判だけ高めようとしている。

30日

「非難中傷は苦にならぬ」

孟子も憐れみの心を持たない者は人間でないと言った。

なんと非難されようが気にしている暇はない。人々のもがき苦しんでいるのを見て救済せずにおられようか。

31日

「昼を知れ」

生死の本質は、先ず昼夜を知ること。さすれば生死の本質も分かる。昼を十分知れば夜もわかる。ぼんやりしていては夢を見ているだけで昼も分からぬ。

澄み切った心で、いつも天理と一体となってこそ昼を知ったと言える。これを措いて格別生死の道などはない。