革新政党とは自民党のことであった

 

自民党の絶対的圧勝で総選挙が終わった。うべなるかなの結果である。
なぜか、戦後
60年、革新という言葉が専ら旧社会党共産党・労働組合等の左派集団に向けられていたと指摘したことがある。マスメディアの論調を観察すると、ここ10年前くらいから、革新という言葉が廃れ新聞テレビに見られなくなっていた。メディアも、最早や共産党・社会党・労組などを革新的なものと思わなくなつていたのであろう。
革新とは、組織とか社会の仕組み、旧習を変えて新しくすることである。その激烈で血を流してでもやるのが革命である。無血革命的なものが、あの明治維新であり、それは、武士の特権放棄と徳川慶喜による大政奉還により成功した。それ故、世界の奇跡として賞賛を浴び、近代国家日本として欧米に伍することなく今日までこられた。

敗戦後
60年の日本、米国に押し付けられた、占領軍命令の憲法すら独立国として自ら革新していない、それは世界の奇異でもある。それを頑強に反対しているのが前述の“革新系”である。その為、色んな矛盾やギャップが現実世界に肥大して社会的、政治的混乱の原因となり行詰り、それを正さなくては更なる発展を阻害する現状がある。

一方、保守とは何を意味するか、「自らの民族、国家の良い歴史、伝統を守りつつ時代の趨勢に賢く合わせて改革前進」する概念だと思っている。

こういう観点で戦後を見ると、革新系なる勢力は、全く逆であり頑迷固陋である。今回、小泉自民党総裁は、自民党の有力な政治基盤の一つであった特定郵便局長会の意向に逆らい、その政治的代表や、郵政関係国会議員の公認拒否までして、郵政改革断行の民意を問い圧勝した。

本来なら革新を掲げる野党が断然、本テーマを発議し本気で挑戦してこそ革新なのである。このままでは野党の存在感が消滅する。過去の利権を守ろうとすればする程、時代に取り残されてしまう。
これが出来ない民主党、この問題に関して、実に曖昧であった、労働組合の利益代表機関とも言えるような実質を抱えているから、問題の本質を糊塗していた。民主党が国民政党として脱皮するには労組との関係を越えなくてはならぬ。この辺の曖昧さを国民は見抜いていたのであろう。

大阪市のあの、いい加減な公労組、惨憺たる利権構造、組合員のあの利権的自己肥大、放置していた当局も労組に押し切られてナアナアでやってきだが、遂に背に腹は替えられない財政となり表面化した。
これが従来の「革新系」といわれる勢力の成れの果であった。憲法さえ、陳腐なものになり
21世紀の日本には内外の現実に適応不能なっているが、頑迷固陋な勢力が牢固と墨守しようとしている。革新なら先端的に改革し現実に合うようにしなくてはなるまい。これが戦後からの革新系といわれる勢力なのである。ここに日本の戦後の不幸が見て取れる、大メディアの一部も加担しているように思える。
国民は、今回の総選挙でものの見事に日本のこの問題を把握していた、賢明な日本の有権者だと言える。

それにしても、小泉自民党総裁は、あの派閥を解消してしまい若い、新進気鋭の政党へと脱皮させてしまった。大改革者である。世界で中国・韓国以外の諸国で大評価されるのは、日本型のナアナアのムラ社会的な自民党の旧体質を根本的に打ち破ったからである。これからは、知性と合理性、透明性や説得力のある政策活力が自民党に生まれてくるような予感がする。若い有権者も自民党の根本的変化を感じとつたのである。
これだけの経済大国になれば、国際社会に対し経済、政治の意思決定過程が透明でなくては国益に反する。その日本の、自民党の古い体質を決定的に打破したのが今回の選挙であろう。民主党が大敗したのには、ここら辺に厳然とした理由があった。小泉劇場とかのマスコミ用語で今回の政治変革の本質の洞察を誤まってはなるまい。自民党はこれからも変化して行くだろう、革新的政党とは自民党であったのだ。
平成17年9月15日 鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典