日本海新聞潮流寄稿 平成17年11月 1日

        革新政党とは自民党のことであった

自民党の絶対的圧勝で総選挙が終わった。うべなるかなである。なぜか、戦後60年、革新とは専ら旧社会党・共産党・労働組合等の左派集団だとメディアに洗脳されてきた国民だが、メディアの論調を観察していると、ここ10年前くらいから革新という言葉が廃れて新聞テレビに見られなくなっていた。メディアも、最早や共産党・社民党・労組などを革新と思わなくなっていたのである。
革新とは、「組織とか社会の仕組み、旧習を変えて新しくすること」である。その激烈で血を流してやるのが革命である。フランス・ロシア革命がそれで、無血革命が日本の明治維新であり、それは武士の特権放棄と徳川慶喜将軍による大政奉還により成功した。それ故、世界の奇跡として賞賛を浴び、近代国家日本として欧米に後することなく今日までこられた。

敗戦後60年、独立国となって53年、米国押し付けの占領軍命令憲法を日本は自ら革新していない、それは世界の奇異でもある。それを、今なお頑強に反対しているのが前述の“戦後の革新系”なるものである。
日本の現況は色んな矛盾やギャップが現実世界に肥大して社会的、政治的混乱の原因となって行詰り、基幹法を正さなくては更なる発展が望めない現状にある。

一方、保守とは、「自らの民族、国家の良い歴史、伝統を守りつつ時代の趨勢に賢く合わせて改革前進」する概念である。

かかる観点で戦後の歩みを見ると、革新系なる勢力は全く逆の、頑迷固陋で占領軍指示を今なお守っているように見える。
今回、小泉総理は、自民党の有力政治基盤の一つであった特定郵便局長会の意向に逆らい、その政治的代表や、郵政関係族議員の公認拒否までして、改革断行の民意を問い圧勝した。
本来なら革新を掲げる野党こそ断然、本テーマを発議し本気で挑戦してこそ革新なのである。過去に固執し利権を守ろうとする程、時代に取り残されるのは衰滅した社会党が好事例。
これが出来ない民主党は実に曖昧であった。公労組の利益代表的な実質を越えられないから、問題の本質を糊塗していた。民主党が真の国民政党として脱皮するには労組との関係を越えなくてはならぬ。この辺の曖昧さを国民は見抜いていたのである。
大阪市の公労組、惨憺たる利権構造、組合員のあの利権的自己肥大、なれあい当局も労組に押し切られてナアナアでやってきたが、遂に背に腹は替えられない財政となり表面化した。これが従来の「革新系」といわれた労組の、あってはならない実態である。

憲法さえ、陳腐なものになり21世紀の日本には内外の現実に適応不能になっているが、革新なら先端的に改革し現実に合うようにしなくてはなるまい。これが戦後から革新系といわれた勢力なのである。大メディアの一部も加担しているが、ここに国民の戦後の不幸が見て取れる。

今回の総選挙は、ものの見事に日本の似て非なる似非(えせ)革新なるものの実体を洞察していた賢明な日本の有権者だと言える。小泉自民党総裁は派閥を解消してしまい、若い、新進気鋭の政党へと脱皮させてしまった。

世界で、中国・韓国以外の諸国で大評価されるのは、日本型のナアナアのムラ社会的な自民党の旧体質を根本的に打ち破ったからである。これからは、知性と合理性、透明性や説得力のある政策活力が自民党に生まれてくるような予感がする。若い有権者も自民党の根本的変化を予感したのであろう。これだけの経済大国になれば、国際社会に対し経済、政治の意思決定過程が透明でなくては国益に反する。その日本の、自民党の、古い体質を決定的に打破したのが今回の選挙であった。民主党大敗の主因はここらに厳然とした理由がありダイナミズムの欠如である。

小泉劇場とかのマスコミ用語で今回の政治変革の本質を誤認してはならない。自民党が倦むことなく邁進すれば、大きく変革して行く予感がする、革新政党とは自民党のことであった。
 (鳥取市) 鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典