韓国の歴史教科書@

平成17年9月

 1日 韓国の教科書

(百済は)仏教を奨励し、中国と文化交流を行うとともに、倭とも友好関係を持ち仏教などさまざまな文化を伝えてあげた

これは、古代の日本と百済との交流を描いた一節である。無論、古代朝鮮から仏教、儒教、漢字などが伝来したのは事実、そこに韓国が文化的優越を誇示するような物言いは無礼で事実に反する。(阿呆な韓国)

 2日

古代だけでなく、近世になっても、豊臣秀吉の朝鮮出兵(韓国教科書は「壬辰倭乱という」の結果、「朝鮮から色々な文化財と先進文明が伝えられ、日本文化の発展に寄与した」と朝鮮は「先進文明」だと記述する。

現在使用されている。第七次教育課程の教科書は、全体の記述が大幅に減ったからこんな記述は少なくなっている。
 3日 然も第六次教育課程の教科書では同じ百済と日本の交流に次ぎのように書かれていた。

噴飯ものの言い草には無教養の自大な半島人を感じ軽蔑感のみ残留する。反吐の出る思いである。

(百済は)近宵古王のとき、阿直岐と王仁は日本に渡り、漢文・論語・千字文を伝えてあげ、武寧王の時に、段陽爾と高安茂などが、漢学と儒教を教えてあげ、日本に政治思想を忠孝思想を普及させてあげた。続いて、聖王の時には仏教を教えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術を伝えてあげた。

 4日

「教えてあげた」「伝えてあげた」という言い方は「親が子に、先生が生徒に、目上の人が目下に使う表現」である。文化的優越感を誇示したのであるが立派な人物であればあるほど、こんな物言いはしないものだ。

現在の韓国教科書も、金ワンソプ氏によると、捏造そのものと書いている。朝鮮を文化的優越者とし、日本を劣等であるとの姿勢であるが、こんな韓国の姿勢は軽蔑の対象になるのが分からない成り上がり者、無視すればいい、韓流なんで、ナーーンセーーンス。下劣な品性の国。

 5日

侮蔑すべき韓国の姿勢

過去に朝鮮は日本を「島夷」と呼び、「人類に歯―かぞーうるに足らず」と(成宗実録)と認識し、また江戸時代でも通信使節は日本を「倭」と呼んでいたという。

韓国教科書は当時の認識がそうだというのではなく、現代の執筆者自身もそうした意味合いを含ませているのであるから問題である。
 6日 客観性に欠ける韓国教科書
ー頻発する
「征伐」「倭」

1274年、高麗・元 第一次日本征伐
これは元寇(文永の役)の年表での記述である。これた゜けでなく「1376年 催蔵、倭寇征伐」「1389年朴蔵、対馬征伐」と、朝鮮側が日本に侵攻したケースはすべて「征伐」と表現し歪めている。

当時の朝鮮人が「征伐」と呼んでいたというだけでなく、「元は日本征伐のために・・」(114)、「対馬を征伐した」(130)と現在の朝鮮の教科書記述として使用している。中国にマネている。尊大な夜郎自大。

 7日

言うまでもなく、「征伐」は「服従しない者を攻めうつ」という意味で「広辞苑」が「鬼を征伐する」という例文を掲げているように、悪者をやっつけるの意である。日本侮蔑教育を国家がしているのである。

また韓国教科書には「倭」いいう日本蔑称がよく登場する。古代中国が日本を「倭」と表記したことは知られているが、16世紀の出来事である豊臣秀吉の朝鮮出兵(韓国教科書では「壬辰倭乱」についても教科書執筆者は敢えて「倭軍と戦った」(148)と記述している。

 8日 中国へゴマする韓国

日本の行為はすべて「侵略」と表現しておりながら、中国の行為は「攻め込んだ」とか「内政干渉」程度でかませている。

矢張り韓国は中国の属国でありたいようである。ここまで中国のご機嫌を伺うとは、韓国は中国の茶坊主に過ぎない。こんな国はまともに相手にしないほうがよい。
 9日 韓国の教科書の欺瞞と嘘の記述1.

@豊臣秀吉は・・・朝鮮を侵略した。(147)
A清の太宗は10万余りの軍隊を動員してまた攻め込んできた。(153)

B清は軍隊を送って興宣大院君を拉致したため閔氏勢力がまた政権を握った。この時から、清が朝鮮に軍事顧問と外交顧問などを派遣し内政に干渉するようになった。(200)中国へのこの卑屈さ。
10日

C(甲牛改革には)日本の朝鮮侵略に有利な内容がふくまれていた。(212)

開港以後続いていた日本の経済的政治的侵略(223)
恩を仇で返す朝鮮人の本質。

11日 韓国の教科書の欺瞞と嘘の記述2.

@は豊臣秀吉の朝鮮出兵である。Aはその40年後の清国軍による「丙子胡乱」の記述、ほぼ同時期の出来事で、両方の戦乱で朝鮮は大きな被害を受けたと教科書は記述する。日本の場合は「侵略」であり、中国()の場合は「攻め込んできた」と表現を変えている。

BとCは朝鮮の開国後の出来事である。Bは朝鮮の開化政策に反対した軍人の反乱(壬午軍乱)のあと、清国は軍事介入した際の記述である。この時、清は軍隊を出し、国王(高宗)の実父で事実上の最高実力者だった興宣大院君を中国に拉致し外交も内政も支配下に置かれたのだが、韓国教科書はこれを「侵略」でなく「内政干渉」とするのである。
12日 韓国の教科書の欺瞞と嘘の記述3

Cは、ぼ同時期の日本の行動に対する記述である。韓国教科書が近代改革として高く評価する「甲午改革」も、日本と清国との戦争である「日清戦争」も日本の行動として表現する時は、朝鮮に対する「侵略」として記述している。

そればかりか「開港以後」は一貫して「日本の経済的政治的侵略」が続いていたと記述するのは、大嘘であり自分たちの恥ずかしい祖先が書けないから黙っている日本に責任転嫁する韓国のインチキでこの民族の伝統的資質を遺憾なく示している。
13日 国家樹立の根幹の虚偽はいずれ未来をあやまる

つまり清は「内政干渉」、日本は「侵略」と意図的に書き分けられている。中国に正面から言えない中国の恥の心を持たない属国根性なのである。

韓国の教科書は歴史的事実ではない。歴史的事実の検証をしていない。歴史の真実を誤魔化している
14日 朝鮮という国号は誰が名づけたか1.?

朝鮮を建国した勢力は、古朝鮮を継承するという意味で国名を「朝鮮」とし、都邑を韓陽に定めた。(1278)

これは李成桂が朝鮮を建国したときの記述である。
15日 朝鮮という国号は誰が名づけたか?2.

. 朝鮮は明と友好関係を維持し、使臣を頻繁に派遣した。明との親善関係を通じて朝鮮は経済的、文化的実利を得た。(129)

これは李氏朝鮮と中国()との関係を記述した箇所である。これらの記述は事実ではないのである。

16日

朝鮮という国号決定の経緯。

「李成桂は、中枢院使・趙琳を明に派遣して、新政権の樹立を知らせる一方、国号を改訂するという意思を伝えた。これに対して、明の太祖・朱元璋は新政権の樹立を承認し、国号改訂に対して迅速に報告するように要請した。

李成桂は元老たち百官を集めて、国号を論議するようにし、その結果、「朝鮮」と「和寧」という二つの国号が決まると、李成桂は139211月、芸文館学士・韓尚質を再び明に派遣し、朝鮮と和寧の二つの中から、一つを国号として採択することを請うた。(中略)13932月彼は「朝鮮」という国号を決めてもらいに、戻ってきた。(朴永圭、朝鮮王朝実録)
17日 朝鮮という国号決定の経緯

つまり、明(中国)が「朝鮮」という国号を決めたのであり、「朝鮮を建国した勢力」が「国名を朝鮮とした」というのは明白な嘘である。

朝鮮は、国号だけでなく、年号(元号)も明の元号を使用していた。又、国王継承の度に中国皇帝の承認を受けていたのである。こういう関係を「柵封」と言う。独立国ではないのである。
18日 柵封

柵封を受けた国からは「朝貢」が行われ、中国の王朝を宗主国としたこうした宗属関係からなる国際関係を「華夷秩序」という。ただ清が登場すると事情が複雑になる。それまでは「夷狄」として蔑視していた女真族(教科書では

本と同様に「征伐」の対象として表記している)が後金を建て、最後は中国大陸を支配する清帝国になったから、政治的には清への「事大」(大国に仕えること)、を続けながらも文化的には中国は夷狄化したと考えるようになり朝鮮を唯一の「小中華」とするのである。
19日

前述の「征伐」「倭」などの日本蔑視とも言える記述は、そうした「小中華思想」が背後に今尚あり自大的な非近代のアナクロニズムがある。韓国の後進性と言わずして何というべきか。

処が現在の韓国の教科書は、中国(明や清)を宗主国として仰ぎ「朝貢」していたクセに、明との関係は「親善関係」であるとし、「朝鮮は経済的、文化的実利を得た」としか書かないご都合主義がある。これは明白に朝鮮が中国を中心とした「華夷秩序」、中国を主人とする中に生存している朝鮮であることの告白である。
20日 天皇を日本国王と書く韓国教科書

「明治維新を通じて新しい国家体制を整えた日本も修好通商を要求してきたが、その外交文書に日本国王が朝鮮国王を低く見る表現と従来の外交慣習にはずれた内容があったため、朝鮮政府はこれを拒否した(194)

これは明治維新後の最初の外交交渉に関する記述だが、ここでは「日本国王が朝鮮国王を低く見る表現」と「従来の外交慣習にはずれた内容」があったと書いている。事実関係は明日説明。・・
21日

事実関係は、中国に隷属していた朝鮮が、日本からの国書にあった「天皇」の「皇」というのは、中国皇帝と同等の称号が使われているから許せないとして国書の受け取りを拒否したことである。

中国を主人とする秩序の中にいる朝鮮としては「皇」という字は中国皇帝以外は使用出来ないわけで、将に朝鮮が中国に服属隷属していた事を証明するものである。今日でもそれに拘る
22日

その事を「日本国王が朝鮮国王を低く見る表現」と言い換えるのは正確性の欠如である。更に、現在の教科書が天皇と書かないで「日本国王」とまだ書いているのは、一体全体大疑問である。

これでは日本に対しては明治初期に「皇」の字を拒否したのと変らない精神、つまり韓国自身が今尚「中国」の隷属意識をあることの証明である。小中華思想から抜けきらない中世のような時代錯誤にまだ浸かっているのである。
23日

同様な記述は大正12年、朴烈などが爆弾を準備していたとして逮捕された事件の記述にも見られる。「日本に住んでいた朴烈は、日本の王室の結婚式が行われた日に日本国王父子を除くための準備をしていたが発覚し・・」(276277)

こうしたテロリズムを評価する韓国の教科書は論外である。大正天皇を日本国王と書いているのだから、中国隷属意識の抜けきらない憐れで愚かな国民性だが彼等は気づかない。中国との隷属関係であったことを一切認めず書かないで、日本に対してだけ「小中華思想」を撒き散らす。
24日

当時から天皇は天皇である。国号も独自に「日本」と称していたのであり朝鮮のように中国皇帝につけて貰ったものではない。

ちなみに中国教科書では「明治天皇」と記述している。中国のほうが大人である。韓国はやはり幼稚であり軽蔑してやろう。
25日 中国と李朝鮮

呉善花氏

李朝朝鮮と中国との関係に関して、呉善花氏は「日帝」だけでは歴史は語れないの中で次のように述べている。

李朝朝鮮は、中国から王位と国号の証人を得て国を始め、毎年冬至の日に定められた朝貢を欠かすことなく、新たな国王の即位、立后、立太子があるたびに中国の承認を得、外交上の問題が発生すれば中国に意見を請うた。
26日

呉善花氏は続けて「中国人使節は朝鮮国王より上位の品階にあり、朝鮮国王は中国使節を迎える時にはソウル城外に出て、慎みを持って迎えなければならなかった。しかも、朝鮮国王は、使節が入城した

門を通ることを許されず、別の門を通ってソウル城内に入らなくてはならなかった。朝鮮国王には、中国皇帝が使用する色彩を使うこと、中国皇帝の冠に類似したものをかぶることなどが禁じられていた。
27日

公文書はもちろん、民間の文書でも、中国皇帝年号の日付で表わすことが義務づけられ、北京に事あるたびに朝鮮国王は、慰問使や慶弔使を派遣して礼を尽くした」と言う。これでは酷い隷属国ではないか。

又、原田環氏は「朝鮮の開国と近代化」で、清朝への朝貢も決して「儀礼的、形式的」なものではなく、費用に於いても朝鮮側の超過負担であり、政治的だけでなく、経済的にもかなりの負担となつていたと指摘している。要するに収奪されていたのだ。
28日 清と朝鮮との隷属関係を終わらせたのは日本

清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。よって右独立自主を損害すべは朝鮮国より清国に対する貢献典礼等は将来全く之を廃止すべし。(日清講和条約第一条)

韓国の教科書のような歪んだ歴史認識は事実と異なるのである。日本と朝鮮との関係を自ら悪くさせるものである。
29日 清と朝鮮との隷属関係を終わらせたのは日本2

中国との隷属関係を絶と、朝鮮の独立を推進したのは紛れも無く日本である。然し、朝鮮の教科書は触れていない。

典型的なものが日清戦争の講和条約である下関条約のケースである。この条約により朝鮮は完全に中国との隷属関係を絶って独立できたからである。
30日

清と朝鮮との隷属関係を終わらせたのは日本3.

それが証拠に、この講和条約の二年後に朝鮮は「大韓帝国」と国号を改め、朝鮮国王は「皇帝」を称することとなるのである。中国に遠慮していた皇帝の名称をである。然し、韓国の教科書にはその事を少しも触れていない。朝鮮を巡る紛争であった日清戦争について、「日本は・・・清・日戦争を起こした。このように日本軍の侵略行為が露骨化してくると・・・」の記述ていどで日本が独立を認めさせたとは書いていない妙な教科書である。

つまり韓国教科書は、明・清との関係を「親善関係」とし、宗属関係にあった事実を伏せ、いつ終了したかも書いていない欺瞞的なものである。

韓国はいろんな処で「自主」「自立」を強調しているが、歴史的事実を記述できない。