関西百名山 記録 46 吉野逍遥のくだり--釈迦岳敗退の記

              宮滝の断崖絶壁のにて泳ぐ

関西百名山登山記録 46   吉野逍遥のくだり--釈迦岳敗退の記

釈迦岳敗退の記とはオーバーであるが、大和上市駅に到着したら、今朝、大台ケ原への国道が土砂崩れで閉鎖したと掲示がある。迂回も不能で全くなすすべも無い有様。無念であったが、本日は吉野彷徨と決める。そこは、古代史学者の森川会長、近くの宮滝という史跡界隈で古代史を学ぶという、いわば古代史セミナーに変更した。

平成14年7月30日

参加者 森川、清水、繁益、安東、高橋、長戸、徳永

近鉄阿部野橋駅を8時発の特急に乗る。いつもの通り談論風発の知性的な会話は時の経過を忘れてアットと云う間に大和上市到着。

バス乗り場に掲示板あり、今朝道路の土砂崩れで交通不能、迂回路無く全く呆然自失の有様。拍子抜けしたが自然の偉大な力の前には無力な人間はなすすべもない。自然の命のままに従うしか人間には出来ないのだ。然し、ここからが我々の会は違う、古代史、わけても吉野に深い関心と現地探訪の実績も高いわが会長である。

喜佐谷のくだり象川のほとりにある桜木神社に向かう。この社の後ろは三船山、前には有名な象山がある。山辺赤人の歌碑があった。喜佐谷を遡行すると後醍醐陵とか如意輪堂、蔵王堂へと向かう。歴史の宝庫である。会長により谷崎淳一郎の、吉野葛、陰翳礼賛とか谷崎文学の情緒について侃侃諤諤の話題。

ここで、会長の心づくしの豊富な素材を有りがたくテンプラにして食欲を満たす。ビールと日本酒も瞬く間に--。桜木神社は中々、閑静な鄙びた境内で山紫水明のせいか、松原市の小学生百人も弁当を始めていた。我々は、風流をかいするものであり、食材として、自生のモミジの葉とかお茶などの葉を更にテンプラとして楽しむ。それからは、大和名所図誌にある遺跡、宮滝に行く。ここは天武、持統天皇が屡訪れた離宮跡でもあるらしい。会長によると縄文時代から、この吉野川の宮滝は吉野川随一の景勝であり奇岩、巨石が大きく聳えて川の水をたたえて淵をなしている。高さは約15メートルはあろうか、屹立した断崖絶壁から若い人達が清流に飛び込んでいる。この淵では森川、高橋、徳永が泳ぐ。清水、安東、長戸氏は上流で泳ぐ。快適であった。

その後、近くのまつやという宮滝温泉元湯で更にいい気分となり、自然の鮎とビールで祝杯。何か、飲んでばかりのようだが、万葉集も学んだ一日であった。お互いに、この年齢で、健康で素晴らしい一日に心から感謝して帰途に。

万葉集より宮滝に関する

柿本人麻呂

 山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に船出せすかも      (かむ かふち)

山辺赤人

 み吉野の象山の際の 木末にはここだもさわぐ 鳥の声かも     (きさやまのま こぬれ)

大伴旅人

 昔みし 象の小川を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも     (きさ さやけく)

弓削皇子

 滝の上の 三船の山に居る雲の 常にあらむと わが思はなく          (いる)     

                                                         (文責 徳永圀典)