徳永の「日本あれやこれや」
その一 消えた言葉「国史」
今春四月、ふと気づいたことがあった。本陣山を散策中、大宮池の緑陰のベンチで城北高校の少年二人がベンチで勉強していた。親近感を覚え、話しかけてみた、「城北高校は凄いね、活力がある、野球も相撲も」と。我々は談笑した。
処で君たちは国史の勉強してる? 二人とも怪訝な顔をする。通じないのだ。国史を知らぬのだ。
こんな事があってから私は、あらゆる年齢層、80才以下、10代まで、折々に質問した。国史の言葉を知らない、消えていた。
私は93才、戦中派である。小学校の通信簿を見ると科目に「国史」がある。旧制鳥取一中「鳥取西高校」になると外国の歴史も学ぶから科目は「歴史」となった。
世界的に有名な歴史家、哲学者アーノルド・トインビ―博士の言葉を想いだした。民族が滅亡する条件は三つあると。
1. 自分の国の歴史を忘れた国。
2. 民族が理想を失った時。
3. 物事を数量で見るようになった時。
おぞましくなるではないか。来年は敗戦80年、昭和100年。日本は敗戦し、米国占領軍により生殺与奪を奪われ国史の授業が廃止された。日本精神を恐れた米国は日本の精神文化の消滅を企図した。昭和27年講和条約締結しても日本人は放置したまま今日に至ったのだ。この影響は計り知れない。現在の一部為政者、財界トップなどの国家観喪失の原因であろう。外国人と交際すると自国の歴史を知らぬ或いは矜持無きは軽蔑の眼である。
日本二千年、最大の国難は元寇の役である。その時、東北などの青年が博多湾に集められ防波堤を建設し侵略に備えた。その防人も元寇の役も知らない一部現代人。
国あってこそ個人の幸せを忘れている。国民を守る為に、命懸けで戦った多くの我々の先祖の国史は忘却の彼方か。亡国現象と見る近隣諸国であろう。トインビーの言葉が眼に焼きついたままだ。