日本歴史ーー徳永圀典の近・現代史7平成15年12月1日--31日

12月1日 アメリカ占領軍の統治1. 敗戦し日本に現在のイラクのように占領軍が武器を持って支配したのである。イラクのフセインは雲隠れして今尚不明であり国内は不安定で国民生活は悲惨な様相が続いている。日本は、天皇陛下が自分の身がどうなってもいいから国民を飢え死にしないでと言われた。これに感動したマッカーサー総司令官命により確かに米国から食糧を供給されて国民は飢え死にを免れた。日本国民の天皇を尊敬する資質が占領を楽にさせたのでイラクと本質的に異なる。
12月2日 アメリカ占領軍の統治2.
占領軍の検閲実態1
1. 昭和20年9月連合国総司令部は、新聞・ラジオ・電話などの検閲を指令した。これにより占領行政を害する事項を報道したと新聞の発行停止処分が取られた。
2. 更に9月中に、「日本に与える新聞紙法」いわゆる「プレスコード」を発令した。
3. プレスコードにはこう規定されている。「この規定は新聞に対する制限でなく、自由な新聞の持つ責任とその意味を日本の新聞に教え込むためである。との趣旨で十項目の指針を出して連合国・占領軍への一切の批判を抑えた。米国のイラク占領の現状と著しく異なる。
12月3日 4.  続いて同様の内容のラジオ・コードを出した。又、映画・演劇にも仇討ち・封建的忠誠などのテーマを禁止したのだ。
5. 昭和20年末には、全国に四ヶ所の民間検閲支部隊地区が設置され30項目の検閲指針に基づき、出版・放送・映画の事前検閲や私信の検閲までされたのだ。事前検閲は昭和22年末から事後検閲に切り替えられ私信の検閲も停止された。要するに日本の武士道・神道・天皇を中心とした日本精神-大和魂を持つ日本人が優秀過ぎて怖い存在だから白人が世界支配上の禍根を徹底的に破壊しようとしたのである。これは米国支配層の本音である。現実に敗戦後40年で世界第二の経済大国になっている事で日本人の実力が理解できよう。
12月4日 ソ連の要求

連合国が日本を占領するに際してソ連はアメリカに、南樺太・千島・北海道の北半分を占領する事を要求した。ソ連は既に南樺太と千島列島を占領したままであった。米国がポツダムでどのような事をソ連に約束していたのか私には分からぬがアメリカは対日戦勝の為にいかがわしい事を約束していたのであろう。近年の米国の対イラン・対アフガニスタン・対イラク等のやり方はブザマで目先的である。然し、ソ連の北海道分割要求を拒否してくれた事に敗戦国日本は心から喜ばねばならない。イフがあればドイツ分断の悲劇が日本を襲っていたであろう、否、皮肉を言えば長いものに巻かれる不甲斐ない国民性があるからドイツと違った道を歩んだかも知れない。

12月5日

日本国憲法以上の法律

ポツダム宣言の占領方針を遂行する為に、最高司令官指令は日本国憲法を越える超法規であり決定的拘束力を有していた。

12月6日 日本の主権範囲1.

戦争に負けるとは実に悲しいものだ。先祖が営々として築き上げたものを凡て捨て去るのみか、人間的にも精神的にも屈辱を受けるからだ。平和ボケの平成の日本人には想像すら出来ないであろう。屈辱感の欠片もあるまい。戦後の親たちが教えていないからである。さて、敗戦して日本の主権の及ぶ範囲とはいかがなものであったか。

12月7日 日本の主権範囲2.

アメリカ統合参謀本部作成の日本分割占領計画では、北海道と東北地方がソ連占領地区に予定されていたと言う。ぞっとするではないか。敗戦とはかくも冷酷なものなのだ。主権の範囲は、本州・北海道・九州・四国と連合国の決定する諸小島に限定された。朝鮮は南北に分割され米国が南半分、ソ連が北側を占領した。ソ連の永年の野望がここに実現した。台湾と膨湖諸島は中華民国に返還され、中国共産党ではない。奄美諸島・沖縄・小笠原諸島は米国が管理し、南樺太と千島列島はソビエト軍が非合法に占領したままであった。その事態は21世紀の今日まで続いている。戦争に負けるとはこのような事である。

12月8日

占領軍の広宣活動

歴史の真実として戦争中に日本の軍人・政治家が国民に知らせなかった事を暴露すると称して占領軍は各新聞に「太平洋の真実」を強制連載させたり、ラジオ番組「真相はこうだ」を放送させた。この過程で「太平洋戦争」の呼称に強制的に誘導された。大東亜戦争とはアジアを侵略した白人を追放しようというアジア人の心意気がある。太平洋戦争を普及させる過程で、日本が侵略の意図を持ち太平洋で悪い事をしたという悪い意図が包含されている。今日まで無防備に使用し日本人の原罪のように心に染み付いてしまつている。一日も早くこの原罪意識から脱却が必要である。

12月9日

教科書

占領軍は日本を徹底的に破壊しようとした。地理は昭和21年6月、国史は10月に再開が認められたが国史には厳正な削除指導があった。現在の新聞紙より悪い紙の教科書に墨がベタベタと塗られた。

12月10日 人間の基本的道徳である修身の再開は出来ずご法度であった。今日の頽廃の遠因がここにある。教育は占領軍の厳しい監督下におかれた。敗戦直後に作られた歴史教科書は民族伝来の伝統・習慣・風俗・宗教等を否定することから始まった。
12月11日

占領政策-五大改革指令

占領行政下の反日本的な教育を放置して60年に喃々としており教育の是正が最大の急務である。戦後のいいものは良いとして、日本伝来の素晴らしいものを復活して行かなくては日本の未来はない。

12月12日 マッカーサーは幣原総理との会談で、憲法の改正を示唆した。そして1婦人参政権2労働組合の結成助長3教育の自由化4圧性的な司法制度の廃止5経済の民主化の五大改革指令を出した。何れも日本弱体化が目的である。
12月13日 マッカーサー三原則 1.  天皇は国の元首の地位にあり、皇位は世襲とする。
2. 国家主権の発動としての戦争は廃止。紛争解決の手段としてのみでなく自衛の手段としても戦争を放棄する。
3.  貴族の権利は現存者一代限りとする。
と言うものである。2は国家として国民の安全を保障しないものであり占領中のみと解すべきであり、国民・国家の生存権放棄であり断じて受け入れられない。独立した時に法的対応策を作るべきであった。
12月14日 神道指令

軍国主義のイデオロギーとみなした日本の神道を国家から分離する政策、即ち神道指令を発し、日本人の国民意識を変革する政策に着手した。修身・国史・地理の授業の停止と教科書の回収も命じた。私が何度も論述したように、彼ら一神教のゴッドと日本の自然崇拝に過ぎない神様の理解がないし日本も徹底的に反論しない為に、民族の宗教が否定されてしまった。抵抗しない従順すぎる日本人であった。この問題は、靖国問題として今日まで尾を引いている。神道を利用した指導者が悪いのである。トインビー指摘のように神道は、森と緑と水の原理であり地球を救う宗教とも言える。21世紀の原理に相応しいと認識し確信を持って世界に主張すべきものである。占領軍は国家主義的教育を禁止し抵触する者を教職から追放指令を出した。

12月15日

公職追放令

各界の指導者21万人が公職から追放された。私の父なども昭和7年から戦争開始の昭和16年まで町長をしていたがこの追放令に遭遇した。私は公職追放の被害者の一人であるが、これにより指導階級が一挙に引退した為に人事の若返りとなり、経済界を初め活性化が起きて戦後の発展に素晴らしい効果を産んだのは事実である。現在80歳過ぎて各界に存在する現役長老達はもはや老害となっていることを知らぬのであろうか。

12月16日

日本国憲法発布の経緯

占領軍は日本が再びアメリカの脅威とならぬ為に憲法を改正させた。命令を受けた幣原内閣は改正案を提出したが不十分と拒否されマッカーサー三原則を盛り込んだ新憲法草案を短期間に作成させられた。それを政府案として、恰も日本国民の原案の形式を取らされた。

12月17日 憲法審議

審議の過程で第九条二項に「前項の目的を達するため」という一文が追加された為に、国際紛争を解決する手段としての武力は持たないとの限定解釈も可能で、自衛のための防衛力を保持する余地が残されたという説もある。政府は憲法制定後の公式見解として、第九条は完全な軍備撤廃であることを表明したが、昭和25年、マッカーサーは第九条が自衛権を否定したものではないと弁明し、翌年吉田総理も自衛権を持つのは当然との見解を示した。この様にマッカーサー次第の憲法である事は明白で後生大事に日本人が守る事自体全くおかしい。

12月18日 東京裁判

愚生の平成15年12月1日付日本海新聞潮流コラムを引用することで代用する。

子供達は東京裁判、正式には極東国際軍事裁判だが、言ってももう分からないだろうね。A級戦犯と関係がある裁判だね。その前にね、明治時代に世界の陸軍大国ロシアと日本が戦争して勝ったことがあったね。黄色人種は白人に劣るとされていた時代だから、世界中は大ショックと大喜びでもあったのだよ。戦争は中国東北部、勝った日本の陸軍大将は野木希典、敗軍のロシアの大将ステッセルが降参して対面した時に、野木大将はこう言った、「昨日の敵は今日の友」だとね。勝者や強い者は傲慢であってはならないのだよ、横綱の朝勝龍みたいではないね。これが日本のサムライ精神であり世界に冠たる武士道だね。

12月19日

日本が昭和20年に米国との戦争に負けたね、勝った国が裁判をして日本を裁いたのだよ。事後法で裁くなんて中世的暗黒裁判の国際法無視でね。負けた日本の大将たちは武士道的に慫慂として言い訳しなかったね。裁判官は戦勝国の米国・英国・フランス・オランダ・中国とソ連ほかだ。中国は分離して考えると分かり易い。日本とソ連は不可侵中立条約があったのだけどソ連は戦争が終わってから突如日本を侵略してきて日本人を数十万人拉致しシベリヤに連行したし千島列島を強奪した。だから私は泥棒が裁判官になったような感じをソ連に抱くよ。そして戦勝国は日本の将軍達を裁いて死刑を言い渡したのだ。これがA級戦犯だよ。武士道は名誉を重んずる、いい訳しない、だから黙って絞首台の露と消えられたのは、敗戦して申し訳なかったと日本国民へのお詫びだね、外国へではないよ。

12月20日

インドの裁判官、パール判事は国際法の権威なのだが、この時こう発言したのだよ。「この裁判は国際法に違反しているのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判にすぎない。従って全員無罪である」とね。フランスのベルナール判事はね、「この裁判は法の適用及びその手続きにおいても誤りがある」と裁判の不当性を指摘した上に、11人の裁判官が一堂に集まって協議した事は一度も無い」と内部告発さえしたのだよ。

12月21日

当時の日本人は開国以来始めての敗戦で占領軍は剣と銃で国内をウロウロしているし食料は無く茫然自失だったのだよ。戦争犯罪とは、捕虜の虐待、民間人の殺戮、放火、略奪などを言うんだよ。米国の広島原爆、東京大空襲などは民間人大量殺人だね。残虐な事は日本も戦争だから無かったわけではないが、「平和とか人道に対する罪」など国際法には存在していない。この件に関して、米国の知識人の中でも日本は米国に報復する権利があるとさえ言っているんだよ。東京裁判は、このように文明社会では裁くことが許されない事後法でしかも死刑にされたのだよ。裁判長やソ連の判事も不適格だった論外な裁判だったんだ。

12月22日

更に判決は裁判の前から決まっていた。パール判事のご子息プロサント氏は父の言として聞いている。「裁判所が判事団に指令して、あらかじめ決めている多数意見と称する判決内容への同意を迫った。さらにそのような事実があったことを極秘にする為に誓約書への署名を強要された」と語り残しているんだ。

12月23日

これが極東国際軍事裁判の実態だよ。いい加減なものだね、どうしてこんな裁判の判決を日本人は後生大事にして戦犯とされて処刑された人達の名誉の回復に政府も国民も立ち上がらないのかね。

12月24日

しかも、12月がくるといつも思いだすのだけどね、処刑されたのは、現天皇陛下、当時は皇太子であられたが、その誕生日の日に処刑したのだよ。未来の国民の象徴になられるお方の誕生日にだよ。この嫌がらせは、とても忘れてはならない民族の屈辱だと思うよ。負けたが故の罪悪ということには組することはできないよ。

12月25日

だからこの裁判はデタラメそのものなんだよ。それを今なお信じて名誉を晴らそうとしないとは実に残念ではないかなあ。この裁判は国際的にも評判が悪いんだ、知らないのは日本人だけ。日本だけが後生大事に守る必要なんかサラサラないと思うよ。当時の絶対権力者マッカーサーさえ、トルーマン大統領と昭和251015日、ウエーキ島で会見した時、東京裁判は誤りだったとの趣旨の告白をしていたのだよ。

12月26日

講和条約時の為政者の失敗

為政者の歴史認識の無さか、エコノミックアニマルの結果か、占領ボケであろうか、日本は大切なものを忘れていた。それは、このとき独立記念日を作り、占領軍による押し付けの憲法から教育基本法から古来の民族の伝統を凡て復活すべきてあった。ケジメであり、国民の意識の覚醒の為である。これは真正保守政治の、戦後政治の完全なる大失敗である。一自民党だけではなく特に当時の保守の歴史的、民族的大失政であり痛恨の悲劇と言っていいだろう。

12月27日

日本の政党

国家、国民にとり民主主義は優れたものと思う。ただ優れたリーダーシップを持つ指導者がいればの前提である。昨今の我が国の現実は憂慮を超える指導者の資質の低下である。民主主義は野党の存在が不可欠である。戦後の政党は先ず昭和20年10月に日本共産党が遂に合法政党としてアメリカ占領軍の政治的支援があり活動を始めた。

12月28日

その後、アメリカも修正したが敗戦直後、総司令部の一部に急進的な指導があった。続いて日本社会党が結成された。戦前の反動から社会主義勢力が大いに沸き立ち昭和22年の総選挙では我が国始まって以来初めて社会党が第一党となり片山哲内閣が発足した、今日まで唯一の社会党内閣である。そして、その流れを汲む土井社民党は遂に歴史の中に埋没して消えようとしているが遅きに失したきらいがある。

12月29日

社会党-社民党

平成15年秋の選挙で遂に土井党首が小選挙区で落選し同党の消滅は時間の問題であろう。又、共産党も議員半減となった。この両党を見ると戦後の政党の推移を顧みる必要は全くない。それは戦後60年経過して、大変遅まきであるが彼らの主義主張が完全に間違いであり破綻したと云えるからだ。

12月30日

彼らが戦後行ったことは、日本国も国民も未来の国民である子弟も徹底的に駄目にした事であり、戦後最大の諸悪の元凶である。勿論、保守勢力のダラシナサもあるが、大マスメディアの左派誘導煽動もあって民主主義国家として正常に機能してこなかったといえるからだ。日本の政党はここ数年以内に起きるであろう憲法問題を契機とした政党再編成を経て普通の国家として蘇えるのを期待するばかりだ。

12月31日

教育勅語の排除命令

昭和236月占領軍命令により、日本人の教育の原点であるこの勅語の失効排除決議が行われた。そして全国の学校から勅語の謄本が回収された今日まで、この占領軍の命令を受けたまま推移しているこんな馬鹿な国があるのであろうか。戦後の政治指導者の見識が疑われる。国民もエコノミックアニマルとなり金儲けオンリーに現を抜かしていたのだ。だから今日のような青少年や壮年のモラル無き国民となったと云える。勅語の内容のどこが悪いのか、これに反対する政党・団体・国民は頭がどうかしている

ご愛読ありがとうございました。皆様、良いお正月をお迎え下さい。徳永圀典