日本歴史ーー徳永圀典の近・現代史8.平成16年1月1日--31日

1日

教育勅語の口語訳.

教育勅語のどこが悪いのか、これは人類社会の普遍的な原理だと言えるのではないか。そこで口語訳を披露する。
教育勅語の口語訳.
「私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は、教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

2日

国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合いそして、自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と、安全に奉仕しなければなりません。

3日

そして、これらのことは、善良な国民としてのつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることであります。このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

4日

戦後の経済

これは大変優秀な成績を残したので詳しくは語らない。然し、1.大変優秀な人材が軍隊消滅により民間に集中復帰したこと、2..国民一人残らず、食うために命懸けであったこと。3..公職追放により三井・三菱・住友・安田の四大財閥を初め財界首脳が追放により一掃され、人事の大幅の若返りがあった、即ち今日に見られる老害が抜本的に除去された事が発展の背景にある。現在のように豊かで小成に安んじたものでなく、意気盛んな人材が多かったのだ。

5日 農地解放

昭和20年占領軍総司令部の指令により21年2月から第一次農地改革が開始。改革不十分と命令されて自作農創設法を制定。22年から第二次農地大改革が始まり25年まで続いた。不在地主は平均一町歩を超える部分を政府が強制買い上げ、廉価で小作農ら売却となる。これは国民にとり有益であり敗戦しなくては不可能であっただろう。

6日 食糧危機

敗戦前後、これは食い盛りの青少年にとって実に大変な経験であった。米が無く、芋・南瓜・薩摩芋の蔓などを食べた経験を忘れない。農家に勤労動員で稲刈りに行きお昼に実に美味しい御握りの感動が忘れられない。特に空襲により焼け野原の東京・大阪など戦後の都市部の国民生活は壊滅的であった。闇市が公然とあった。鉱工業生産は三分の一以下、米の生産地の台湾・朝鮮を失い戦争末期から続いていた食糧不足は戦後に爆発的となった。失業者は街に溢れ物不足から悪性インフレへと進んだ。今から思えば、これらの経験は生きる上でどれ程の強さを身につけたかもしれない。現在の飽食と肥満は精神力の弱い人間を増やしている。

7日 ハイパーインフレ

忘れ難いのは、昭和21年2月突如として金融緊急措置令が発布され、新紙幣を発行し一週間を限り手持ち紙幣と交換させ旧円の流通を禁止したことだ。一定額以上の預金を封鎖した。両親がシールを旧円に貼り使用した記憶が鮮明である。国民の生活は当然窮迫し、モラルの低下、秩序の崩壊が見られた。現在、一部経済学者・評論家で現金・預金の金融資産に数パーセントの課税で国家の財政危機を救済するというが、国家とは国民で成り立つ、究極のツケは国民に来ることは当然である。

8日

冷戦と国際連合

昭和20年、1945年第二次世界大戦の戦勝国である51ヶ国が加盟国となり国際連合が発足した。米ソは戦後の国際秩序で対立した。米国は自由主義陣営の中核である。ソ連は1947年国際共産主義のコミンフォルムを結成し一部の欧州諸国と共産主義陣営として対立する。これが冷戦の端緒である。ここで忘れてはならないのは、この国連の拒否権を持つ米国、ロシア、中国、英国、フランスの五ヶ国が21世紀の今日まで依然として世界を支配的している事である。日本は米国に次いで国連拠出金は二番目であり、ロシア、中国は1パーセント台、英国、フランスは5-6パーセントという事実である。この摩訶不思議なことが60年間も支配し続けているのは容認できない。

9日 中国の国内事情

日本は米国の支援を受けた中華民国の蒋介石と戦争して敗北した。蒋介石は現中国共産党に敗北し台湾に撤退し中華民国として存続した。中国共産党はソ連と手を結び毛沢東は1949年中華人民共和国を建国した。ここに対中国問題の、ややこしさが根在する。二つの中国が厳然としてあった訳で、又その背後の米国が恰も侵略を受けた被害者のような顔をしてきている。日本は中国に進出し侵略したのは良くない、然し米国はアジア太平洋を侵略してきたのは歴史的事実てもあるのだ。ここに先の大戦の問題の複雑さがある。日本は勇気を持って、きちんとした歴史的立場に復元した態度を政府として対外的に示さなくてはいけないと信じる。

10日

朝鮮戦争

米国は1950年1月韓国と相互防衛協定を結ぶ、2月中国とソ連は直ちに相互援助協定を結び緊張する。6月、北朝鮮軍は突如として38度線を越えて韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まる。北朝鮮が先に侵攻したもので日本は全く関係がない。
11日

米国の目覚め1.-半島情勢の理解

在日米国占領軍総司令部は、朝鮮戦争の勃発で初めて日本が明治維新前後に安全保障問題で半島に進出せざるを得なかった事情を肌で知った。米軍が半島に出動する為、日本に軍事的空白が生まれ、治安上、遂に日本に警察予備隊(現自衛隊)の設置を命令した。これは占領方針の大転換である。当然の事に遅まきながら米国は気づいたのだ。

12日 米国の目覚め2.共産主義者追放

朝鮮戦争勃発の直前、総司令部命令で、日本共産党幹部全員が公職から追放され、官公庁などで所謂、レッドパージで共産主義者を追放した。一方戦犯容疑者の釈放や公職追放者の解除を進めた。これは国際共産主義の脅威が現実のものとなり日本への政策を大転換したものだ。米国は実に現実的に対処するし間違えたら方向転換も早いが、やり方に粗雑なものがある。転換も早い、中国とか共産主義国はこうはいかない。共産党、元首の独裁に起因する。

13日

米国の目覚め3-占領政策転換

朝鮮半島情勢の変化により、共産主義陣営に対峙させ日本を自由陣営の一翼とし、強化させる方針に転換した。日本弱体化の方針を替えたのである。日本の指導者はこの機を逸してしまった。

14日 米国の目覚め4.-経済安定九原則

経済の自律を求めた米国は、インフレ抑制の為に、経済安定九原則を指示した。税制の大改革が断行されインフレは沈静化した。倒産や失業者が増加し労働争議が激化した。官公庁は公務員法改正により争議権を失い内部分裂もあるがこれも次第に沈静化した。わが国は、このように外圧がなくては断固とした政策が打てないという欠陥がある。戦後から累積した諸問題は分かっておりながら抜本的改革が今日まで出来ないでいる。

15日

占領政策の功罪

このように敗戦後は占領当局の指示により改革が急激に進められた。従来の価値観が覆され、日本の伝統文化や国民道徳を否定する社会風潮が発生し今日まで尾をひいている。これは日本人の自覚の欠如、講和以降の日本人自身の問題である。然し、経済は東西冷戦という環境が日本に大きく幸いして大成功を収めることとなる。これが伝統文化を見直す機会を失う基となる。

16日 講和条約-日本の独立1

講和条約が成立したのは昭和27年で、ここに日本は占領から開放されて一応独立を果たした。独立が名目的であるのは日本人の精神的独立が欠けるからだ。。然し東西冷戦中であり、自由陣営に属する日本は共産国ソ連・中国・北朝鮮の脅威に自力で対抗不能であり日米安全保障条約を米国と締結しアメリカの核の傘で経済繁栄のみ追及することとなった。

17日

講和条約-日本の独立2

日米安保によりアメリカ軍に基地を提供する事を約束した。この頃朝鮮戦争があり日本は米軍の特需景気で経済は急速に上向いていた。昭和26年から30年にかけて国民総生産や個人消費が戦前の最高水準に達し神武景気と云われた。食料は戦後アメリカのガリオア資金で確保されていたが、昭和30年以降米の豊作が続き食糧難も克服した。昭和31年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言した。

18日

講和条約-日本の独立3

冷戦の最中であり国家の安全保障は米国に依存した。ここで、日本の指導者は、この講和締結を機に、敗戦により打ちのめされていた日本人の独立心を刺激すべきであった。敗戦を終戦と言うような曖昧な捉え方が象徴するように、又経済繁栄に現を抜かしていた為に国家・民族の未来に対する精神的な施策をすべきであったがしなかった。これは実に重大な禍根と言える。ここで伝来のものの復活を堂々としなくてはならなかった。大いに悔やまれる。
19日 講和後の国内情勢 講和条約はソ連とは結ばなかった。勢力の強い労働組合は全面講和を求めた。昭和27年講和条約発効直後のメーデーで警察と衝突した。目に余る労働組合に政府は、破壊活動をした団体を公安調査庁に取り締まらせる破壊活動防止法を制定した。同年、教育二法を公布し公職者が政治活動へ偏向した政治教育を不可能にした。然し、わが国は実に原理原則を確立しない国である。社会党・日教組など平気で教員を公務中に活動させてきた。それを見ぬ振りして今日までに至りその弊害は巨大なものとなっている。これは体を張って阻止しなかった校長やら、教育長、教育委員会など司、司の有責である。
20日

55年体制なるもの

昭和29年、鳩山一郎内閣が誕生した。吉田茂内閣の経済第一主義に代わり、自主憲法制定、自主外交による領土回復、自衛軍の創設など自主路線を基本とした政策を掲げた。然し、翌年の総選挙で、革新勢力が三分の一の議席を占めた。為に憲法改正は事実上不可能となる。憲法擁護、再軍備反対を唱えた左右社会党が統一し絶対多数を占める自民党と対立する構図が出来た。政権党は今日まで憲法の枠内で経済発展に専念する事となる。国民の意識が成熟していなかったとは言え、ここで突き進んで行くべき保守であったと悔やまれる。社会党などは裏で金銭の授受を政権党とやっていた事を考えると実に腹が立つ思いである。

21日 岸信介

昭和32年、岸内閣は第一次防衛力整備計画を策定し自衛力強化に努めた。その上で日米安保条約の改定をはかった。自主国家として正しい方向を希求した。当時警察官職務執行妨害の強化、学校教員の勤務評定という当然の問題に世論、特に社会党・日教組が反発していた。同時の安保改定であった為に、国会の批准で与野党が激突し、政府は野党欠席のまま強行採決をした。その為,議院外の安保改定反対の闘争となり、全学連を中心として国会議事堂を囲むデモ隊が警官と衝突した。新安保条約は参議院で承認のないまま自然成立した。直後岸内閣は総辞職した。所信を貫いた岸氏に全面的敬意を表する。この安保改定が冷戦から今日まで実に国益に貢献している。当時反対した社会党・共産党・日教組の連中はどんな思いであるのか実に腹立たしい彼らの戦後の日本破壊的活動である。

22日

北方領土

この領土がソ連に略奪された経緯は述べた。国後、択捉、歯舞、色丹の島々である。返還要求に応じない為にソ連とは現在でも平和条約は締結されていない。国後、択捉は安政元年、1854年の日ロ和親条約で日本領土と確認され、昭和20年1945年ソ連に占領されるまで他国の領土になったことはない。まさに道義もない無頼的なソ連である。沖縄はアメリカから返還されている。韓国は竹島を自国領とするなど、黙って道義を求めても日本的道義心の無い近隣諸国であることを自覚しておく必要がある。韓国は竹島を自国の切手としようとしている。断固とした抗議を一切しないとは不思議な国である。国民も声をあげないから彼等が頭に乗るのだ。声をあげなくてはならない黙っていては認めたこととなる。これが国際社会である。

23日

高度成長

昭和30年代から日本は凄まじい高度成長を遂げて世界第二の経済大国となる。バングラデシュの大統領は日本をこの世の極楽とまで言った。国民の生活を強烈に変貌させた。工業国家として進んだため、地方農村の次男、三男のみならず一家あげて都市に進出した。このため地方の過疎化が今や深刻化してきた。地方でも現在65歳以上の農家の子供たちはサラリーマンとして生活し農業の跡継ぎが無くなろうとしている。

24日

高度成長の後遺症

農業のみならず、林業も後継者は更になくなりつつある。後10年もすれば農林業は壊滅してしまうと思われる。人口の減少は2004年をピークとして減少する。日本は衰退期に入ると思われる。一方都市では、人口の集中により騒音、大気汚染、交通渋滞、住宅不足と極めてアンバランスなものが深刻化しつつある。高度成長の歪みは海水、河川水の汚染、大気汚染の公害として深刻である。山紫水明の日本は、米国の自動車販売用に道路建設を唆されて、国土はズタズタとなってしまった。米国の原理はこうして日本を伝統的にも自然的風景をも激変させるものとなった。

25日

日本株式会社の倒産

それでも、経済は製造業の飛躍を通じて世界第二の大国となったが、冷戦後の世界的大変化への対応に遅れた。冷戦終結により、アメリカと欧州は、先ず日本の金融資本に目をつけて日本弱体化の方法を考案していた。それは、冷戦前に支配していた経済尺度の変更である。これがこのバブル崩壊前後に物の見事に日本を弱体化させてしまつた。よってたかって冷戦成功者の日本弱体化させる策謀は成功した。その過程で、日本株式会社は壊滅させられた。そして、今や、アメリカ株式会社として着々と成果をあげつつある。日本は倒産したまま、経世済民の思想を放棄しアメリカの弱肉強食経済に転換させられた。アメリカ式経済へのシフトは日本人をして米国のような貧富の差のある社会へと進ませるであろう。

26日

激動する世界情勢
ー冷戦の終結

1980年代半ばから米ソ間の緊張は緩和を始めた。東欧諸国も民主化と非共産化を掲げて立ち上がった。1989年ベルリンの壁が取り払われ東西ドイツが統一した。1991年ソビエト共産党が解体しソ連邦は消滅した。70年のソ連共産党の社会主義大実験は破綻したのだ。これはソ連国民初め国際共産主義そのものの破綻であり、壮大なる社会主義実験も人間を幸福にしなかった事を意味する。これは極めて重大な事実である。この時に、為政者の確りした歴史洞察があれば、日本国のその後の舵取りは、この歴史的大変化にマッチしたものとなり、その後の10年も失われたものとならなかったのではないか。

27日 ー冷戦の終結2 残念ながら、日本国は史上最高の経済的繁栄に浮かされており、世界情勢に対応する見識もなく、成り行きまかせで、気がついたら欧米諸国の冷厳な歴史修正の大波にもまれて経済的主導権を奪われ、政治経済的に巨大な国益を喪失したと言えるのではないか。
28日 ー冷戦の終結3 世界金融資産の三分の一を保有し、円中心の世界を作れる実力を持ちながら成しえなかったのは、一にして国民あげての対米依存、独立心の欠如が根底にある。それは敗戦後の占領教育の結果であり、米国の日本弱体化占領政策の成功を意味する。これが原点である。一日も早い自尊独立精神の復元が日本人には絶対必要である。
29日 55年体制の崩壊

東西冷戦の終結は国内的にも所謂55年体制の崩壊を招いた。自民党は分裂し野党に転落した。細川内閣は自民党を除く八党派の連立内閣を作ったが、いかんせん付け刃の政権であり短命に終わる。その後実にレベルの低い総理の連続で日本は世界的な大変革期の舵取りに遅れてしまった。又細川、村山は日本国として踏み込んではならぬ問題で近隣諸国へ妥協してしまい今日的問題として尾を引いてしまった。失われた10年は経済だけではない、根本には総理となってはならぬ人物が日本国のリーダーとなった事に全て起因する。

30日

第二の敗戦ーマネー敗戦

冷戦終結直後から、日本の金融資産の巨大さに脅威を感じた欧米資本の秘密結託があったのであろう。日本の大銀行は薄資でありそのバックに日本銀行の融資があると喝破した彼等は、世界の資本市場の再構築を始めた。BIS基準による邦銀の締め出しであり、それは大成功であった。製造業で世界を制覇し蓄積した日本の金は吸血魔に吸い取られてしまう。それはマネーという虚業に長けたアングロサクソンである。マネーという虚業は欧米資本の情報操作もあり完膚無きまでに日本はやられて巨大な国民資産を喪失した。赤子の手を捻るように日本株式会社は倒産し、日本のマネーは廻り回って外資となり日本の企業は買収され倒産して今日に至る。

31日

アメリカの大衆

米国は元来、難民から成立している。階層の二分化が激しい、大衆はレベルが低い、ワスプと呼ばれる支配層は知的レベルが高い、彼等は巨大資本を操縦し富を欲しい儘にしている。日本人のレベルは大変高く均一である。力を結集すればアメリカなど外国に負けないと国民の一人一人の自負が必要だ。それなのに敗戦による日本のアイデンティティ喪失で自負まで失っている処に大きい問題がある。2千年の国史と伝統文化の矜持こそこれからの日本人に必要な原点である。