日本人の「心の古典」4.  源氏物語@

平成17年2月

 1日 紫式部作 11世紀初頭、三部作、54帖の長編。

原文をゆっくり読んでこそ、味わいが分かる。

 2日 第一部

桐壺―藤裏葉の33

光源氏の誕生、様々な恋の遍歴を経て栄華への道を上りつめる青壮年期の物語。
 3日 光君の誕生

いづれの御時にか、女御・更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。・・・・(桐壺)

桐壺帝の後宮の様、思惑の渦巻く世界。然し、桐壺帝の寵愛した相手は確かな後見のいない更衣にすぎなかった。
 4日 もみじの賀

朱雀院の行幸は神無月の十日あまりなり。世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、御方方、物見たまはぬことを口惜しがりたまふ。・・
(紅葉賀)

源氏の青海波の舞は衆目を圧倒する美しさであった。源氏は葵と結婚。然し、源氏の心は亡き母と生き写しの、父帝の妃、藤壷への恋慕で占められていた。少女、紫の上が藤壷の面影あり迎えた。里で藤壺に迫り懐妊させる。藤壷を慰める試楽を催す。

 5日 野宮の秋1 はるけき野辺を分け入りたまふより、いともものあはれなり。秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。

前東宮の未亡人、六条御息所―気品と奥ゆかしさと優れた教養の人―と源氏とはこじれていた。葵の上の供人が御息所の車を侮辱、御息所は源氏との仲を清算しようと、伊勢の斎宮に赴く娘を同道しようとする直前、源氏は野宮に御息所を訪れる。

 6日 野宮の秋2.

睦まじき御前十余人ばかり、御随身ことごとしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる

すき者ども、所がらさへ身にしみて思へり。
ーー俗世を超越した野宮の雰囲気は、源氏に過去へのこだわりを捨てさせ、御息所へ共感と新たな執着心を更に呼び起こす。

 7日 野宮の秋3.

御心にも、などて今まで立ちならさざりつらむと,過ぎぬる方悔しう思さる。ものはかなげる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居どもは、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神官―かむづかさーの者ども、ここ

かしこにうちしはぶきて、おのがどちものうち言ひたるけはひなども、ほかにはさま変りて見ゆ。火焼屋かすかに光りて、人げ少なくしめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。
ーー離別を直前にした源氏と御息所の心と心のつながりが描かれている。この雰囲気と情緒の深さ。

 8日 野宮の秋4.

「源氏」、かやうの歩きも、今はつきなきほどになりてはべるを思ほし知らば、かう、注連の外にはもてなしたまはで。いぶせうはべることをもあきらめはべりにしがな。

「御息所」、いさや、ここの人目も見苦しう、かの思さむことも若々しう。出でいんが今さらにつつましきこと」

 9日 野宮の秋5.

「御息所」、神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れるさかきそ

「源氏」、少女子があたりと思へば榊葉の香をなつかしみとめてこそ折れ

源氏は御息所の生霊に戦慄しつつも執着する。

御息所は源氏との仲を諦めつつも愛着する歌のやりとり。

10日 野宮の秋6.

御息所は伊勢に去る。後年、帰京してまもなく発病、源氏に娘の後見を託して死去する。後に、彼女の怨霊はなお出没して紫の上や女三の宮に取り憑く。

人間の愛執の恐ろしさを体現しているのが六条御息所であったが、その人物像は多彩な性交渉を持つ源氏の多感な人生を根源的に問い直す視点ともなっている。
11日 野宮の秋7.

「はるけき野辺を・・・いと自然なり」あたりの嵯峨野の秋色濃い風景には、源氏と御息所の、別れて当然と思いながらも容易に諦め難い恋の気持が込められている。

このように風景が心のかたちとして、人間の心を象徴するのが、心象風景である。源氏物語には多くの心象風景が描かれる。

12日 六条院

35歳の源氏は、六条院という四季の町からなる広壮な邸宅を造る。そこに紫の上や、関わりある女君たち4人を集めて住まわせた。その新築の六条院に最初の春が訪れる。

東南の春の町には紫の上、西南の秋の町には秋好中宮(六条御息所の遺児、源氏の養女となって冷成帝に入内)、東北の夏の町には、花散里、西北の冬の町には明石の君を住まわせた。
13日

鶯の初音1.

年たちかへる朝−あしたーの空のけしき、なごりなく曇らぬうららけさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきはじめ、いつしかとけしきだつ霞に、木―こーの芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。

六条院の新春の光景である。壮麗、華麗なる様子は「生ける仏の御国」の様であったとされる。
鶯の初音2.

ましていとど玉を敷ける御前―おまへーは、庭よりはじめ見どころ多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。

玉を敷ける御前とは、宮中に相応しい言葉。六条院は摂関家を超えて帝王の実父源氏に相応しい居所であった。
14日

紫の上の発病

源氏49歳、朱雀院の最愛の内親王、女三の宮を正室に迎えた。これにより心を痛めた紫の上、後年もろもろの心労が積もり発病する。源氏51歳、紫の上は遂に発病、回復することもなく死期の迫るのを知る。

夏の暑さに病状が篤く、漸く秋となる。紫の上が母代わりとなり育て、今は中宮となった明石の姫君も、見舞いのために宮中から退下していた。
萩のうは露1.

風すごく吹き出でたる夕暮れに、(紫の上が)前栽を見たまふとて、脇息―けふそくーに寄りいたまへるを、院渡りて、(紫の上を)見たてまつりたまひて、
(源氏)「今日は、いとよく起きいたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。

かばかりのひまあるをも、いとうれしと思ひきこえたまへる(源氏の)御けしきを、(紫の上は)見たまふも心苦しく、つひにいかに(源氏が)思し騒がむ、と思ふに、あはれなれば、

15日 萩のうは露2.

紫の上
「おくと見るほどぞはかなきともすれば風に乱るる萩のうは露」。げにぞ、折れかへり、とまるべうもあらぬ、よそへられたる、をりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、

源氏「ややもせば消えをあらそふ露の世に後れ先だつほど経ずもがな」とて、御涙を払ひあへたまはず。
16日 萩のうは露3.

宮、明石の中宮「秋風にしばしとまらぬ露の世をたれか草葉のうへとのみ見む」と聞こえかはしたまふ御容貌―かたちーどもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年―ちとせーを過ぐすわざもがな、(源氏は)と思されるれど、心にかなはぬことなれば、(紫真上の命を)かけとめむ方なきぞ悲しかりける。

紫の上「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。言ふかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、」いかに思さるるにか」とて、

17日 萩のうは露4.

宮は御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騒ぎたり。

さきざきも、かくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物の怪−おもののけーと疑ひたまひて、夜一夜―よひとよー、さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに(紫の上は)消えはてたまひぬ。

18日 あはれ

紫の上の束の間の小康を喜ぶ源氏を、夫を見つめる妻の目を越えて、死の淵から人間を凝視する眼であろう。微小で孤独な人間の存在を「あはれ」と思う。

萩、露という自然景物を人間の心の象徴として使い、「露の世」「消えゆく露」「消えはて」と連なり紫の上の死を告げる。この繊細にして優美な表現は日本語ならではである。
19日 浮船1..

源氏の正妻、女三の宮と青年、柏木との不義により生れた薫は、身にまつわる暗い運命を感じとり、心の先達として宇治に住む八の宮と親交していた。八の宮は源氏の異母弟であるが、仏道に精進していた。

薫は八の宮の大君に心を惹かれる。大君は薫を敬愛しつつも彼の思いを拒んだまま病死。妹の中の君は匂宮に迎えられた。匂宮は、明石の中宮を母とする皇子で色好みの人である。

20日 浮舟2. 中の君は、亡き大君の面影を求め慕いよる薫に、異腹の妹浮舟との仲を取り持つ。薫は大君の形代として彼女を宇治に住まわせる。浮舟の存在を匂宮が知り、宮はありかを探り当てて浮舟と契った。

薫は、浮舟が匂宮と通じているとは知らず、京に迎え取る準備をする。対抗して匂宮も、浮舟を宇治から連れ出そうとする。浮舟の母中将の君が久しぶりに訪ねてきた。

21日 浮舟3.

暮れて月いと明かし。有明の空を(浮舟は)思ひ出づる、涙のいとどとめがたきは、いとけしからぬ心かな、と思ふ。母君、昔物語などして、あなたの尼君呼び出でて、故姫君の御ありさま、心深くおはして、さるべきこと

も思し入れたりしほどに、目に見す見す消え入りたまひにことなど語る。

尼君「
(大君が)おはしまさましかば、宮の上などのやうに、聞こえ通ひたまひて、心細かりし御ありさまどもの、いとこよなき御幸ひにぞはべらましかし」

22日 浮舟4.

と言ふにも、わがむすめは他人―ことひとーかは、思ふようなる宿世のおはしはてば(大君・中ノ君に)劣らじを、など(母君は)思ひつづけて、母君「世とともに、この君につけては、ものをのみ思ひ乱れしけしきの、

すこしうちゆるびて、かくて渡りたまひぬべかめれば、(母君が)ここに参り来ること、必ずしもことさらには、え思ひ立ちはべらじ。(母君との)かかる対面のをりをりに、昔のことも心のどかに聞こえ、承らまほしけれ」など語らふ。
23日

浮舟―閑話休題

母君と弁の尼の対話、二人の微妙な呼吸が窺える。浮舟と薫の仲を取り持った事を恩着せがましく言う尼に対して、母君は、浮舟を大君や中の君と同等に扱って貰えぬ不満から意地悪く応答する。

その対話を聞く浮舟の立場は深刻、母は薫との結縁で有頂天になり、不都合でも出来たら母娘の縁を切るとまで言う。絶望する浮舟、生きながらえて恥をさらすよりはと死を決意する。宇治の川音が入水を暗示する。
24日 浮舟5.

尼君「ゆゆしき身とのみ思うたまへしみにしかば、こまやかに見えたてまつりきこえさせむも、何かは、とつつましくて過ぐしはべりつるを、うち捨てて(京に)渡らせたまひなば、いと心細くなむはべるべけれど、かかる

御住まひは、心もとなくのみ見たてまつるを、うれしくもはべるべかなるかな。世に知らず重々しくおはしますべかめる殿の御ありさまにて、(浮舟を) かく尋ねきこえさせたまひしも、おぼろけならじ、と(母君に)聞こえおきはべりにし、浮きたることにやははべりける」など言う。
25日 浮舟6.

母君「後は知らねど、ただ今は、かく(浮舟を)思し離れぬさまに(薫が)のたまふにつけても、ただ御しるべをなむ思ひ出できこゆる。宮(中ノ君)の上の、かたじけなくあはれに(浮舟を)思したりしも、つつましきことなどのおのづからはべりしかば、中空にところせき御身なり、と思ひ嘆きはべりて」と言う。

尼君うち笑ひて、「この宮の(匂宮を)、いと騒がしきまで色におはしますなれば、心ばせあらむ若き人、さぶらひにくげになむ。おほかたは、いとめでたき(匂宮の)御ありさまなれど、さる筋のことにて、上のなめしと思さむなむわりなき、と大輔−たいふーがむすめの語りはべりし」と言ふにも、さりや、まして、と君は聞き臥したまへり。
26日 浮舟7.

よからぬことを母君「あな、むくつけや。帝の御むすめをもちたてまつりたまへる人なれど、よそよそにて、あしくもよくもあらむは、いかがはせむ、とおほけなく思ひなしはべる。(浮舟が)引き出でたまへらましかば、

すべて、身には悲しくいみじと思ひきこゆとも、又(浮舟を)見たてまつらざらまし」など言ひ(尼君と)かはすことどもに、(浮舟は)いとど心肝もつぶれぬ。なほ、わが身を失ひてばや、つひに聞きにくきことは出で来なむ、と思ひつづくるに、この水の音の恐ろしげに響きて行くを、
27日 浮舟8.

母君「かからぬ流れもありかし。世に似ず荒―すさーましき所に、年月を(浮舟が)過ぐしたまふを、あはれと(薫が)思しぬべきわざになむ」など、母君はしたり顔に言ひたり。

昔よりこの川の速く恐ろしきことを言ひて、女房「先−さいーつころ、渡守が孫―むまごーの童―わらはー、棹さしはずして落ち入りはべりにける。すべていたづらになる人多かる水にはべり」と、人々も言ひあへり。

28日 浮舟9.

君は「さてもわが身行く方も知らずなりなば、誰も誰も、あへなくいみじ、としばしこそ思うたまはめ、ながらへて人笑へに憂きこともあらむは、いつかそのもの思ひの絶えむとする」

と思ひかくるには、障りどころもあるまじく、さはやかによろづ思ひなさるれど、うち返しいと悲し。親のよろづに思ひ言ふありさまを、寝たるやうにてつくづくと思ひ乱る。