心・精神・魂・霊魂 徳永圀典 いつの頃であったか 人間は心の持ち方次第だなと気づき 「一切は心より発す」の自戒の言葉を創った。 後に仏家にも「一切は心より転ず」とあるを知る。 般若心経も心に障、さわりが無ければ一切の妄想から超越出来るとある。 華厳宗、唯心偈ゆいしんげにも 「心如巧画師こころは巧みなるえしのごとし」がある。 中・高校時代に傾注した聖書「求めよさらば与えられん」、 マタイ伝の山上の垂訓 「心の清き者、汝は神を見ん」を深く心に刻んだ。 神を見んとは含蓄が深い。人間を救う宗教の 本質は心にあると観る。 「その敬する、仰ぐ、参る、候さぶろふ、侍はべる、祭る、己をこれに打ち 込む、いわゆる献ずる自献する心、これを宗教と言う」 は我が師安岡正篤先生の言葉である。 心の場所 その心だが一体どこにあるのか、どんなものなのか。完全制御の難しい 一面も持つ心は 頭でも心臓辺りでもない、何となく胸のあたりに潜んでいるようである。 健康で平穏で冷静に頭脳が働く時、心は実に広々と豊かで奥行きも深く、 心の重心も下がって安定している。 周囲の人々にゆとりを以て臨むことができる。 だが、意、こころに沿わなかったり、肉体に不快な刺激が加えられると 途端に心は動き始めコロコロして自らも心の存在を忘れてしまう、時には 頭を通り抜けて昇華さえしてしまう。 心は気体? 心は気体かもしれない。頭脳と肉体と良心とが冷静に連動している時が最高の コンディションのようだ。 人により心の大きさ、奥行き、重さ、厚さ、要するに 器、うつわが 大層違うと思われる、重心の位置まで違うらしい。 スピリット 英語のspilitの訳語は心とか精神、霊、魂、霊魂などあるが亡霊と使う場合さえあり 日本語は表現が実に豊かである。 生存者の精神的実体こそ霊魂 生存中にご恩を受けたり、感動したとか心を触れ合う行為があった、或いは 自分を支えてくれて今日の自分があった その故人の生前の姿・言動を思い起こすたびに故人の生き様が強く己の心に甦り、 その方の風姿や心は涙無しには思い出されない、或いは語れない。 その時にこそ、故人の心と言うか 精神、スピリット 即ち霊魂を感じ、 故人が恰も生きているようにさえ思う。 この状態こそ、故人の精神、即ち霊であり魂なのだと私は思う。 故人がこの世に残した無形の精神的所産が霊であり魂として生存者に 恰も生きているように感じられるのではないか。 死者の生存時に受けた精神的実体こそ霊魂であり魂と言える。 だから 故人と無関係の人には霊魂は感じられない。 殺人者は被害者故人と実に深い関係にある、故人の霊魂は生きている殺人者の中に 強く生き続けているに違いない。 心の炎ほむらこの世に明かりのない古代、夜は墨汁を流したが如く 月明かりが無ければ文字通り一寸先も見えまい。 ススキの穂が揺れたり、草木の風になびく音や影に古人は怯おびえたであろう。 科学の無い時代の天変地異、死者への畏怖は現代人には想像を絶するものであったろう。 特に仕掛けをして殺した人達への 恐怖、恨みを抱いて死した人達への恐怖は夜には 一段と凄みを増したであろう。 考えてみれば、閻魔様や地獄という中世の尻尾はたかが半世紀前まで我々の中に残っていた。 自分の 心の影、良心の痛みに 怯おびえているのだと思うが死霊として祟たたりを 恐れていたのだ。 それに比べると現代人は悪くなった。無惨な殺され方をされた人達の話は枚挙にいとまが 無いが死霊なるものが殺人者に仇を打ったと言う話はついぞ聞かない。 然し乍ら神即ち天地自然の理・法は人間の心も支配しており生きている限り 必ず報復されるであろう事は確信できる。 霊魂とはこのようなものかと思った矢先、 忘れもしない、昭和43年に発掘された稲荷山古墳発掘の話を妻から聞いた。 被埋葬者は雄略天皇に近い方、実に素晴らしい金文字入りの刀剣を発見、 発掘した人が手にした瞬間、一天俄にわかにかき曇り雷鳴が轟いたと言う。 霊魂との関係でこれをどう考えるか、私の不遜な考えは これで振り出しに 戻った。 心の師 心について色々と考えてきた。 「心こそ こころ迷わす心なれ 心にこころ こころ許すな」の つたえがある。 日蓮上人自戒の言葉「六波羅蜜経」に「心の師となるも 心を師とせざれ」がある。 同感だ、洞・熟察がある。 自分の心を管理する師にならなければならぬが、決して 気ままに動く 自分の心の命令に 従ってはならぬ、 正に然り。漢字の心は 気ままに動き自分を惑わす心、 平仮名こころは気ままに動く 心を管理する本心の本尊と弁別しよう。 かくして気ままに動く心を本尊心でよく管理するのが最善の道と観た。 ドロドロした人間の心の炎ほむらに動かされて嫌な社会現象が 増えている。 人間の心と性、さがが織りなすこの現実、せめて自分の心だけでも良く耕して行こう、 良い種を心田に播いて行こう、良いことのみ思って暮らして行こうと切実に思ってきた。 さすればこの世で神を見ることができるかもと。 令和7年2月18日 徳永圀典