■1.国債入札のボイコット!?■
    「なんだ、これは!」 財務省理財局国債課の課長補佐・国広    は、自分のあげた声の大きさに驚いた。日銀ネットのモニター  画面に現れた数字を見て、国広は自分の目を疑うしかなかった。応募額の合計5082億円。今回の10年物利付国債の発行 総額1兆4千億円の6割にあたる競争入札による募集額8400億円に対して、わずか6割程度しか札が入っていない。今ま ではどんなに低調な時でも、入札は募集額の1.6倍はあった。 募集額に満たないことなど、考えたこともなかった。しかも、平均応募価格は92円07銭。直前は100円35銭だった。これじゃあ、まるで入札のボイコットじゃないか、と国広は叫んだ。「日本国債」という小説の一場面である。これを契機に、日本経済は大混乱に陥り、それはアメリカ経済にも飛び火していく。
■2.国の借金693兆円■
国債は国の借金である。平成14年度の一般会計歳出約81兆円に対して、税収などの歳入が約51兆円。30兆円の不足は、国債の積み上げで賄われる。平成14年度末の日本の長期債務の残高は、国債と地方債を合わせて693兆円に達すると予測されている。   これを家計に例えてみると、年収が510万円しかないのに、支出が810万円。これまでの借金総額が6930万円、実に年収の14年分だ。693兆円を人口1億2千万で割ると、一人あたり578万    円。今日おぎゃあと生まれたばかりの赤ちゃんも、生まれた瞬間に6百万円近い借金を背負わされているのである。どうしてこれだけの巨額の借金が積み上がったかについては[a]で紹介したが、今回はこの借金がどのように処理されてい るのか、その過程でどういうリスクが伴うのか、を見てみよう。
3.毎月9兆円もの国債発行■
30兆円の国債とは新規分のみで、この他に過去の国債が満期を迎えて償還される分が、また借り換えとして発行される。それを合わせると市場全体では105兆円もの国債が消化され なければならない。月額にして約9兆円。これが毎月10回程度の入札で処理される。平均で1兆円近く、多いときは2兆円規模という巨額の入札がほぼ3日に1回のペースで行われる。
国債の入札で特徴的なのは、シンジケート団、略してシ団の存在である。これは都市銀行、地方銀行、信託銀行、生命保険、損害保険、農林中央金庫など、日本の金融機関のほぼ全部、合 計2千社近くの金融機関からなり、国債の引き受けを行う。十年物の国債の場合は4割、今回の1兆4千億なら5600億円がシ団引き受けであり、各社に一定の比率で割り当てられる。言わば強制的に国債を買わされるわけである。残りの6割、8400億円が競争入札される。小説「日本国債」では、国債課課長補佐・国広が、部下6名を動員してシ団の大手30社ほどに電話で直前に応札予定額をヒアリングをし、どの業者がどれくらいの価格帯で、どれだけの額を応札するか を把握する。それをもとに表面利率(クーポン)を決める。今回も市場の動向を踏まえて1.8%に設定した。それぞれ の業者が掴んでいる顧客の注文量も決して少なくない。これな らいつもどうり、募集額8400億円の2倍は応募があるだろ う。手抜かりはない。国広は自信に満ちていた。朝8時半に発行額や利率の発表が財務省から発表される。入札の受け入れは10時半から行う。各業者は日銀ネットに応札価格と額を入力する。12時に締め切られ、12時15分には応札状態が集計結果が表示される。国広が「なんだ、これは」 と叫んだのはこの時だった。
■4.「日本が倒産するかもしれない」■
いつもは2時半に入札結果が公表されるのに、それが45分 も遅れ、しかも「今回は決定額なし」と詳しい理由の説明もな く発表されるので、市場は「入札額未達では」との憶測からパニック状態に陥った。まず国債の狼狽売りが殺到した。5百億、1千億という大口    の売りが殺到したが、買い手がいない。一瞬にしてストップ安の取引停止の状態となった。パニックは株式市場、為替市場にも瞬時に波及した。株価も、円もわずか15分ほどで、市場最悪の大暴落を記録した。株や円も暴落するかもしれない、という読みから、投資家たちが自衛のために、一斉に売り注文を出すことによって、実際に暴落が起こったのである。逆に金利は暴騰した。資金の貸し手が用心して引っ込んでしまったのである。翌日物の金利は20%を超えた。ちょうど10年前に大量に社債を発行して、運悪く今日3千億円もの資金の返済を迫られていた大手商社・極東物産は、メインバンクの極東邦和銀行が約束していたつなぎ融資を突然キャンセルさ れて、倒産の危機に陥った。極東物産の危機は、関連企業、取引先、関連金融機関を巻き込んだ大規模な連鎖倒産へと発展する気配を見せ始めた。しかし、以前のように公的資金で助けるわけにもいかない。政府自身が国債入札の失敗で、資金調達不能の状態に陥っているのだ。「日本が倒産するかもしれない」という不安が市場を駆けめぐった。
■5.アメリカ大統領からの直通電話■
「総理、お電話です。」 ここ30時間あまり執務室から一歩も出ずに対応に追われて、ついウトウトしていた総理を秘書官が起こした。「アメリカ大統領からの直通電話です。」
総理は飛び起きた。今頃、ワシントンは日曜日の深夜だ。向こうも相当慌てているようだ。急いで通訳を呼び、「大統領、お待たせして申し訳ありませんでした」と答えた。その言葉が終わる前に、大統領の大声がスピーカーから響いた。今回の失態、いや失礼、あなたの国のデット・クライシス(借金の危機)は、早急に原因を把握し、その対策をたてないと、全世界が迷惑を蒙る性質のものです。そのことを、どこまで認識しておられるのか・・・
総理は、原因はいまだ調査中だが、おそらく国債発行の事務処理における何らかの偶発的な事故が原因であって、日本経済の基礎はしっかりしている、と答えた。それなら、なおさら我々としても、貴国の金融システム全体に強い懸念と、不安を抱かざるを得なくなります。経済の基礎的条件はしっかりしていても、市場のクラッシュが引き金になって、突然の恐慌を招くことはあり得ますのでね。先進国経済の担い手として、大いなる責任と自覚を持って、早急に対処願いたい。まず今回、倒産を余儀なくされた企業や銀行の早急な後処理を、、、大統領は引き継いで、米国財務省証券の保有について問い始めた。日本が大量に保有しているアメリカの国債が処分売りに出されると、そちらも暴落し、米国金利が暴騰する。パニック はアメリカに飛び火する恐れがあるのだ。この心配が大統領の本音だった。
■6.日本人は我慢ばかり強いられている■
国債発行での「偶発的な事故」とは何だったのか? それは事故ではなく、数人の国債トレーダーが意図的に仕掛けたものだった。その思いつきは彼らの間のこんな会話から始まった。日本国債は、市場のサイズだけなら、世界第2の債券市場です。でもほかの国の国債と日本国債を見較べて見たらどうですか。いまだにシンジケート団なんていう強制引き受けグループが存在するなんて、石器時代みたいじゃないですか。シ団となると、どんな無理難題を押しつけられても、文句を言うどころか、財務省のやつらの顔を見て、言われるとおりにせっせと入札しなければならない。為替のマーケットなんかにくらべると、派手さがないどころか、われわれには自由という最低限の武器もない。政府が垂れ流しで借用証書を乱発するもんだから、われわれにはその無茶な借金の工面をするために、滅私奉公で奔走させられているただの肉体労働者だ。・・・そもそも日本の投資家こそ、10年債でたかだか1.7 %だか、1.8%にしかならないような国債を、毎回懲りずにせっせと買わされている。無邪気に落札して、財務省国債の大量発行に協力しているだけなのが分からないのかな。ほかに食べ物はないからと言われて、まずいもので も我慢し、黙って食べさせられている家畜みたいなもんだ。たしかに日本人は我慢ばかり強いられている。なけなしの百万円を1年の定期預金に預けていても、電車賃ほどの金利しかつかない国なんて、ほかにありますやろか?この国の国債市場は化け物だ。発行量から言えば、これだけの供給過多ですからね。もうとっくに暴落して、8%くらいになっていてもおかしくはないんだ。ここから、各人が一斉に入札をボイコットしたらどうか、と いう話に発展した。そうだ。日本の国の将来のために、ここいらで一発目を覚まさせてやることが必要ですよ。
■7.「国民一人ひとりのお金」■
以上は、一種のシミュレーションだが、著者の幸田真音(まいん)氏は、別の著書において、次のように警告している。(国債の)主な所有者は、郵貯、生命保険会社、年金、銀行などだ。だが忘れてははならないのは、そうした日本の機関投資家たちが日本国債を買っている原資は、われわれが預けている郵便貯金であり、毎月支払っている保険の掛け金であり、給料から天引きされている年金の掛け金や、銀行預金つまりは国民一人ひとりのお金だということである。その「国民一人ひとりのお金」が、株もダメ、土地もダメ、と行き場を失い、「安全な」国債を買うしかない、というのが、 国債が買い続けられる理由なのである。日本には1400兆円にのぼる個人の金融資産があるから、国債は大丈夫と公言していた政治家がいたが、国民の財産で国家の借金の穴埋めしようとしたら、増税などで強制的に財産を差し出させなければならない。これほど国民の財産権を無視し た話はないのである。
■8.不思議な町■膨大な政府の借金の一方で、日本の一人当たりの所得税は、 欧米諸国と比べると、きわめて低い。親子4人で年収7百万円 の家庭の所得税、住民税は、日本の11.5万円に対し、アメ リカは78.8万円、イギリスは150.7万円、ドイツは101.4万円、フランスが17.6万円というデータがある。
[3]これらのデータを合わせて考えると、国債の情況は、次のよ うな例えがふさわしいだろう。比較的裕福な家庭が多い町があ るとする。町民は一人当たり12百万近くもの郵便貯金を貯めこんでいる。しかし町民税は41万円ほどしか払わない。しかし、その一方で、町長は立派な道路や公民館、町役場などを作り続けており、町役場の支出は一人当たり67万円。不足の26万円は町内の郵便貯金から借りている。毎年毎年の借金が積み重なって578万円。実は町民の貯金の半分ほどは町役場に貸し出されているのである。町民のほとんどが、この町に生まれ育ち、町を信頼している からこそ、この不思議な情況が続いている。しかし、早晩、危険に気がついた町民の一部が、自分の貯金を引き出して、別の町に逃げ始めるかもしれない。その瞬間にクラッシュが起きる可能性がある。

■9.問われる日本政府の信用■
アメリカの格付け機関ムーディーズが、日本国債の評価をか つての最高クラスから5段階も下げ、2002年5月にはA2とした。これは中級の上で、イスラエルやポーランドと同じクラスである。一つ上にはチェコ、チリ、ボツワナがある。「ボツワナより下はないだろう!」と多くの日本人を怒らせた。こうした格付け機関はアメリカ政府の政策的意図に影響され ているという声もあり、また評価の妥当性にも疑問が寄せられ ている。財務省は格下げの根拠を問いただし、「(格下げで) 政府や企業が不当にダメージを受けたときは損害賠償の対象に なる」とまで脅した。しかし民間会社へのこのような過敏な対応には、財務省が痛いところをつかれてムキになっているよう に感じられる。国債の格付けは、一国の経済力の評価ではない。それは国債の信用を裏付ける政府の財政能力の評価である。とすれば、危 機から目をそむけ、抜本的な改革に取り組めない日本政府の姿 勢が問われているわけである。小説「日本国債」の中で、入札ボイコットを起こしたトレー ダーのリーダー格は、財務省国債課の国広課長補佐にインター ネット上で次のように語りかけた。国債は国の借金です。その借金をわれわれ国民が担わな くて、誰に担わすんです。この国を一番心配しているのは、この国に住んでいて、これからもずっと住み続けていかなければならない国民でしょう。その国民が、この国の借金 に協力できないとしたら、そこにこそ問題があるとはお考えになりませんか。そして、その現状こそ打開すべきだと思われませんか。
                                          (文責:伊勢雅臣)
■リンク■幸田真音、「日本国債 上下」★★、講談社、
2. 幸田真音他、「幸田真音 緊急対論 日本国債」、角川書店、H14
3. 財務省、「所得税の国際比較」
   http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/11-12.pdf