高野山 町石道 @ 和歌山県九度山町

我々は、4月に小辺地道をたどり5泊6日の熊野本宮を目指している。それに先立ち、今回の高野石道の往還をすることとした。弘法大師の昔からの信仰の道であり、歴史の道である。   高野山 町石道の由来は下記に。 
私が鳥取であり時間の関係で二日に分けて歩行した。最初は九度山慈尊院から古峠まで、古峠から上小沢に下り、高野山に一泊、翌日は金剛峰寺から根本大塔伽藍、朱の大門からスタートした。
平成17年3月20日

鳥取 バスam6:00 千里桃山台am9:05−難波am9:40−難波発快急am10:00ー九度山am11:03 高野山行特急あり、am9:50、九度山停車せず。
真田庵 am11:10 慈尊院への途中にある。 真田幸村ゆかりの庵
慈尊院 am11:3 紀ノ川沿いにある。 女人高野、空海の現場事務所。弥勒菩薩は国宝。
丹生官省符神社 pm12:10発 180町石が鳥居脇にある。 境内で昼食。
170町石 pm12:33 舗装林道で歩き難い。 山麓に一旦入り込む。それから右の丘陵へと迂回
160町石 pm12:56 依然として舗装、柿畑の中。 展望所あり眼下の紀ノ川が見える。
150町石 pm13:15 急な登りとなる。 雨引山が見える。
1里石 pm13:32 自尊院からの距離であろう。 平坦な道である。風が冷たくきつい。
136町石
六本杉
pm13:50 杉林の中の広場、暗い。天の辻とも言う。 小さい雨がパラパラするも大事に到らなかった。
124町石
古峠
pm14:15 本日の当初目的地、時間の余裕もあり二つ鳥居まで行くこととした。 これは結果的に大成功となった。発案者の友人に感謝する。
二つ鳥居 pm14:23ー4:30 ユニークな鳥居。ここから明日は天野村へ下山予定。 ヌカルミの道もあり難渋した。
古峠 pm14;35
pm14:43
ここから上小沢駅ー目指す。谷で靴を洗う。 中々急で迂回しつつ下山。眼下に部落、その向うの高台に駅が見えた。これは一旦下山してまたあがらねじならない。間に合うか?
上小沢駅 am15:33 電車pm15:38に間に合う。 部落から走るように登る。よく5分でこれたと我々は自分に感心。
極楽橋 pm15:59 pm16:04発。
高野山駅 pm16:09 ここからバスで宿坊へ。 明日のルート、小辺地の時の宿など確認した。寒い、冷える。

高野山 町石道の由来 
平安時代、空海が真言密教の根本道場として開設、以来、高野山は現世浄土として広く信仰を集めている。古くからこの聖地へ向かう道は幾本もあったが、山に近付くにつれて合流、七つの道に集約され山内に入って行く。その七つのうち、九度山の慈尊院(空海の御母堂が住せられた院)から山上西口の大門へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした道である。
鎌倉時代、安達泰盛の指揮のもと、後嵯峨上皇、北条時宗、正村等の援助を得、朽ちた木にかわり石造り五輪塔形の町石が1町(約109M)ごとに建てられ、36町ごとに里石(4本)が建てられ、20年の歳月をかけて1285年に完成した。町石は空海の生地、讃岐産の花崗岩で高さ3.3Mを使用している。
山上の根本大塔を基点に慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院まで36町石を建て、金剛界37尊とした。天皇、上皇から庶民まで、1町ごとに合掌しながら登山したこの道は、まさに祈りの道、信仰の道です。
町石は完成後700年間に数度の補修で50基程が再建された以外は創建当時のままで、国の史跡に指定されている。