高野山 町石道 A 和歌山県 高野町・天野村
宿坊の早朝、温泉に入り朝食をすませて直ちに出発。二つ鳥居を目指す。そして天野村らおり高野山の地主神・丹生都比売神社に参拝してから、笠松峠超えて妙寺へ向かう。 高野山 町石道の由来ー下記に。
平成17年3月21日 快晴
宿坊 | am7:55 | 宿坊の前の通りをすすむ。 | 冷える。今日は歩行19.7.キロである。 |
金剛峰寺 | am8:00 | 参拝、清々しい。 | 快晴で精神の高揚感。 |
1町石 根本大塔 |
am8:20 | 壇上伽藍、周囲の撮影。 | 大門までの町石を探したが結局道路沿いにあった。 |
7町石 大門 |
am8:40-45 | 大門裏に6町石を確認したが7町石が確認不能。 | 大門前の反対側に町石道あり。 |
20町石 | am9:12 | 杉林の中を下る。冷える。 | 気温4度。 |
鏡石 | am9:25 | 苔蒸した石であった。 | |
40町石 | am9:40ー45 | 暑くなり着替える。 | 展望台あり。 |
50町石 | am10:18 | ここまでに押上石、袈裟掛石あり。 | 弘法大師由来にかかわる話。 |
60町石 矢立 |
am10:27-40 | 茶屋ありトイレ休憩。 | 間食する。バス停あり。ここから登りである。 |
70町石 | am11:00 | 続いて3里石、am11:04 | |
80町石 | am11:20 | 登り坂である。 | |
86町石 笠木峠 |
am11:30 | ここから上小沢に抜けられる・ | |
100の町石 | am11:57 | 平坦な道である。 | |
子安地蔵 | pm12:18 | 明るい陽だまりの平和な雰囲気、ゴルフ場もあり絶好の昼食場所。 |
快晴で、のどかな山村風景。おおらかな時が流れていた。 |
二つ鳥居 | pm13:00 | ここから天野村へ下山。 | 鳥居が二つ並んでいる。 |
丹生都比売神社 | pm13:30 | 朱色の欄干橋、神社の朱のタタキは珍しい。 | 高野山の地主神。ここから笠松峠越えだが、親友が丁寧な地図を持参しててくれていたが、里山は本当に登山の取り付け口の発見に難渋する。今回もそうであった。 |
笠松峠 | pm14:27 | 峠は見えていたのだが、ここからが大変、杉の舗装 | 林道の長くて急な傾斜が延々と続いた。つんのめるので足指の上部が数箇所擦り剥けた・ |
丹生酒殿神社 | pm15:20 | 裏側に「鎌八幡神社」あり。 | ご神体である大木に鎌が何本もの突き刺さっていた。 |
妙寺駅 | pm15:53 | 乗車pm16:17、橋本から南海に乗り換えした大阪 | 大阪着pm17.50.。餃子とビールで乾杯しpm19.53発はくと号で鳥取へ、鳥取着am22:18 |
高野山 町石道の由来
平安時代、空海が真言密教の根本道場として開設、以来、高野山は現世浄土として広く信仰を集めている。古くからこの聖地へ向かう道は幾本もあったが、山に近付くにつれて合流、七つの道に集約され山内に入って行く。その七つのうち、九度山の慈尊院(空海の御母堂が住せられた院)から山上西口の大門へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道標とした道である。
鎌倉時代、安達泰盛の指揮のもと、後嵯峨上皇、北条時宗、正村等の援助を得、朽ちた木にかわり石造り五輪塔形の町石が1町(約109M)ごとに建てられ、36町ごとに里石(4本)が建てられ、20年の歳月をかけて1285年に完成した。町石は空海の生地、讃岐産の花崗岩で高さ3.3Mを使用している。
山上の根本大塔を基点に慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院まで36町石を建て、金剛界37尊とした。天皇、上皇から庶民まで、1町ごとに合掌しながら登山したこの道は、まさに祈りの道、信仰の道です。
町石は完成後700年間に数度の補修で50基程が再建された以外は創建当時のままで、国の史跡に指定されている。