日本海新聞潮流寄稿 平成17年 3月 1日
世界遺産「熊野那智原生林」
二の滝があれば一の滝がある。一の滝とは熊野は那智大滝のこと、その上流にあるのが二の滝。烏帽子山という那智山源流部最高峰の一つに友と登った私は、原始林の渓谷を探索しつつ下って行く、鬱蒼たる渓谷は昼なお暗く、谷の巨石・奇岩・大古木には苔が繁茂し不気味である。眼下の谷に樹林を通して滝が垣間見えた、三の滝と地図で確認。見事な滝、青く美しい!圧倒されてしまう渓谷美 !
やがて、ここより神域と墨書のある立札、那智大滝の直上に近いのであろう。苔むした石を一つ一つ古木に掴まりながら谷に下る、河原に降りて、ふと右を見る、あっ、私はひれ伏した、心がである。森厳にして峻厳な雰囲気の中、まるで仏様を思わす姿の御滝である。滝壺は広く、蒼い水を深沈と静かに湛えている。荘厳な戦慄が走る!
私はかって、このように衝撃を受けた滝はなく、思わず合掌した。霊威を受けて自ずから厳粛となり身が引き締まる。
西行法師の「山家集」、「那智に籠りて滝に入堂し侍りけるに、この上に一二(いち・に)の滝おはします。それへまいるなりと申す常住の僧の侍りけるに、具してまいりけり。花や咲きぬらんとたづねまほしかりける折節にて、たよりある心地して分けまいりたり。二の滝のもとへまいりつきたる。如意輪の滝となん申すと聞きて、拝みければ、まことに少しうち傾(かたぶ)きたるふうに流れ下りて、尊く覚えけり」。
西行さんはこの滝を「如意輪観音の滝」と申している。高さ23米幅7米だが、中ほどに、ふくらみがあり、優しい滝である。柔和さの上に、威厳と気品ある風格を備えた神秘そのもの。悠久の昔から静寂の中にひそと鎮まる。
いかなる経典・言語より宗教的感動を得られるのは、大自然の神秘に神仏の現前的実在を覚えるからだ。
那智の滝を見て、アマテラスを見た!と叫んだのはフランス人作家アンドレー・マルロー、大滝はいつも圧倒的に迫る。最高峰の大雲取山から流れ出る本流に、いくつもの流れが重なり合い、ついには原生林を切り裂いて落下。水柱は直下133m、銚子口幅13m、滝壺深さ10mの日本一の名瀑、背後には南方熊楠が粘菌採取を行った那智原始林(世界遺産)が広がり48の滝がある。
我々は、一・二・三の滝、文覚の滝・陰陽の滝等を拝した。
私は友人と、1月8日から5日間、熊野古道の中辺路(なかへち)道を滝尻王子から完全踏破して熊野大社に参拝した。那智原始林の中を通るのが古道最大の難所、幽玄な大雲取山越えで、これも2月11日から4日かけて終えた。千年の古人を偲ぶ感動の心の山路であった。
残るは、高野山から4泊を必要とする果無山脈越え。最高峰の冷水山は昨年12月に登頂したが、この古道は小辺路と言い72キロ、千米以上の峠を四つ越す難路だが近々には果したい。
私は山にとり憑かれてしまっている。昨年は岩手山を始め全国の著名な山々73山を踏破した。
至難の大峰奥駆けは、玉置山から五大尊山を経て本宮まではすませた。玉置山は、神武天皇東征の折、熊野に上陸後、八咫烏(やたがらす)に先導されて、この山頂の宮にて兵を休めたとの伝承がある。神社の杉林は本州ではここだけの神代杉・縄文杉といわれる驚異的なものばかり。
紀伊山地はこの那智原生林初め、大峰山系、大台ケ原・大杉谷等、住友山岳会の幻の名著「近畿の山と谷」によるとわが国に残された数少ない原生林の宝庫である。私は、あと10山程度登山すれば、紀伊半島の著名な山々は登ったことにはなるが、魅力的ながら峻険な山々ばかりが待ち受けている。
紀伊半島は植生の実に豊かな地域であり生命力溢れた森林を形成している。自然崇拝の中から熊野三山信仰が始ったのであろう。根源は自然を敬う感情にほかならない。北上川、熊野川、あの大らかに流れる美しい清流は敬虔な心を育む。吉野からの大峰奥駆け、高野山からの小辺路、紀伊路の中辺路・大辺路、新宮の伊勢路、私は大自然の神々に同化と化生を祈っているのかも知れない。 徳永圀典