大懐古と展望

考えて見れば徳永圀典は昭和6年生まれ
数え年96才、満は95才と3ケ月、

まあ〜元気で痛む処は無い。

毎日、毎朝、通勤の如く定刻8時過ぎには出かけて
鳥取駅構内のスターバックスにいる。

よく生きて来たものだ!

中学では肋膜炎で1年休学でも、社会に出てから
風邪一つ引かなかった。

壮年時代から始めた登山が健康に良かったのか足腰健全。

住友銀行では住友銀行行友会の山岳会長もし、全国各地の名山に登り82才の時
北アルプス槍ヶ岳を最後に家内の看病に専念した。

コロナ最中の
家内の入院時には面会はガラス越し一日として欠かさず
病院通い、別れに窓から手を振る家内を見て 
看護師等からロメオとジュリエットだと言われた! 

家内を見送って5年、
95才、
明日どうなるか分からぬ大古老だろう。

母は51才で亡くなった、15才と時だ、今日まで一日として忘れた事が無い
その自分だが
子供の時から今日まで自堕落でなく
日々真面目に理性的に生活してきた
と本当に思う。

他人から見ても 面白くない人間であったと思う。
満60才で退職
鳥取木鶏会を創立し毎月例会開催1時間講話
日本を憂い70才に憂国放論を初出版し現在出版物は25冊、
知らぬ間に鳥取県立図書館の郷土人物棚に
徳永圀典コーナーができていた。

生地用瀬の裏山を用瀬アルプスと提案し遂に用瀬アルプスの呼称が定着し中堅登山コースとなつた。

私は欲望が少ない人間だったのだろう!

明日、何が起きても不思議でない95の高齢となった、

今でも規則正し生活に努め自立心を督励し心を叱咤激励し暮らしてる。

八時過ぎには鳥取駅構内スターバックスへ出かけ友人と懇談し暇あれば
読書、パソコン、携帯を駆使し
日本の伝統文化に矜持をと叫び、国史を忘れた
戦後教育の民族的危機を叫び、指摘し自費出版の著作は遂に22冊ともなった!

理性的融通は有るが
悪を憎み日本覚醒を叫び続けてる。

高市創立出現で戦後の国家悪の左翼が一掃され
着々と健全な国家の柱を立て直しつつあり安堵している。

日本文化の
素晴らしさを唱え、
偏向したメディアや戦後教育の偏向を指弾して来た!

何時、何が起こっても
不思議でない年齢を生きてる!

国家体制も健全化されつつある!
日本人の若者も
戦後左翼の本質を見抜いておりき健康的であり後顧の憂いもまず消失した!

焼け野原日本から80年、あらゆる面から見て日本は平和で
世界一の素晴らしい国家民族になった。
世界一の
科学立国の要素は確立しておる。
令和8年7月20日
      午前3時50分
    徳永圀典