日本人の「心の古典」5.  枕草子 

 1日 清少納言1.

執筆は1000年、長保2年頃まで。3百余の章段から成る。

内容は、@類聚―るいじゅうー連想を重ねる方法。「ものはづけ」の形式、主に自然を扱う。山は、虫は、人事は・・すまじきもの等A随想B日記・回想の宮仕え体験の描写。

 2日 996?から1025?、清原元輔―当時の代表歌人、の娘。清原家は学芸に秀でた家系。

橘則光と離婚し一条天皇の中宮定子―ていしーの女房として出仕。この経験が枕草子の母胎。晩年は零落し、孤独の生涯を閉じたとも言われるが定かでない。

 3日 にくきもの
(第二十八段)

にくきもの、急ぐことある折に来て長言―ながごとーする客人
―まろうど。あなづりやすき人ならば「後に」とてもやりつべけれど、さすがに心恥づかしき人、いとにくくむつかし。硯に髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。

不愉快なものは、急用の有る時にやってきて、長ばなしする客。軽く扱っていい人なら、「あとでゆっくり」などと言い返すこともできるが、こちらが気後れするような立派な人となると、そうもいかずひどく不快で困ってしまう。硯に髪が入っているのを、ついつい知らずに磨ってしまった時、又墨の中に石がはいりキシキシときしんだ音を立てたりする時などである。

 4日

にはかにわずらふ人のあるに、験者−げんざー求むるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ね歩−ありーくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、よろこびながら加持せさするに、このごろ物の怪にあづかりて、困−こうーじにけるや、居るままに眠−ねぶーり声なる、いとにくし。

急病人があるので、修験者を呼ぼうとした処、いつも居る所にはいなくて、あちこち探し歩く間は、本当に待ち遠しく長く感じるが、やっとの思いで迎えて喜びながら加持祈祷をさせると、最近は物の怪の調伏の祈祷を沢山受けて疲れているのか、座った途端に忽ち眠り声になるのは本当に気に食わない。
 5日

なでふことなき人の、笑−えーがちにてものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃―すびつーなどに手の裏うち返しうち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶のはたに足をさへもたげて、もの言ふままにおしすりなどはすらめ。

何ということもない人が、ニヤニヤして、しきりに喋る、火鉢の火や炭櫃に手のひらを何度もひっくり返し、さすったりしてあぶっている者、いつ若々しい人がそんなことをしただろうか。年寄りじみた者に限り火鉢のふちに足まで持ち上げて話しをするにつれて、足をこすったりもするようだ。

 6日

さやうのものは、人のもとにきて、いんとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎ散らして、塵はき捨て、居も定まらずひろめきて、狩衣のまへまき入れてもいるべし。かかることは、いふかひなき者の際にやと思へど、すこしよろしき者の式部の太夫などいひしがせしなり。

そんな人は、人の部屋にやってきて、自分が座ろうとする所を、始めに扇であっちこっち扇ぎ散らして塵を掃き捨てて、居ずまいもきちんとせず、ふらふらして狩衣の前の垂れを膝の下に巻き込んだりして座る。こんなことは言うに足りない身分のすることかと思っていたが、少しはましな式部太夫などと言った人がやったことなのである。
 7日

また、酒飲みてあめき、口をさぐり、髯ある者はそれをなで、盃こと人に取らすほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。また「飲め」と言ふなるべし。身ぶるひをし、頭―かしらーふり、口わきをさへ引き垂れて、童の「こふ殿に参りて」など謡ふやうにする、それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。

また酒を飲んでわめき、口の周りをなで回し、盃を他人に取らせている時の様子は実に憎たらしく見える。また「飲め」と言っているのであろう、体を震わせ、頭をふり、口元まで「への字」にひんまげて、子供が「こふ殿に参りて」などと童謡を歌うような仕草をする。そんなことを、身分の高い立派な人がなさったのを見るのは気に食わない。
 8日

ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、つゆちりのこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じ、そしり、また、わづかに聞きえたることをば、我もとより知りたることのやうに、こと人にも語りしらぶるもいとにくし。

他人のことは何でも羨ましがり、自分の身の上を嘆き、他人の噂をし、一寸したことを知りたがり聞きたがって、話してくれない人を恨んだり、悪く言ったり、また、ほんの少し聞きかじったことを、自分が前々から知っていたように、ほかの人に調子に乗って話すのも、実に不愉快だ。
 9日

物聞かむと思ふほどに泣く児−ちご。烏の集まりて飛びちがひ、さめき鳴きたる、

人の話を聞こうとする時に泣く赤ん坊。烏が集まって飛びちがい、ざわめいていて鳴いているのは不快である。
10日

しのびて来る人見知りて吠ゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また、しのび来る所に、長烏帽子して、そよろといはせたる。

人目をはばかって訪ねて来る恋人を見つけて吠える犬。無理な所に隠して寝かせたおいた人が、いびきをかいたの。また、こっそりやって来る所へ長烏帽子をかぶってきて、そうはいっても他人に見られないように慌てて入る時に、何かに突き当たって、ガサッと音を立てたの・、
11日

伊予簾などかけたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。帽額―もこうーの簾―すーは、まして、こはじのうちおかるる音いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸をあらくたくて開くるもいとあやし。すこしもたぐるやうにして開くるは、鳴りやはする。あしう開くれば、障子―さうじーなどもごほめかしうほとめくこそしるけれ。

伊予簾などがかけてあるのを潜って入る時、サラサラと音を立てたのも、実に腹が立つ。帽額の簾だとまして、こはじが下におかれる音が際立つ。それだって、そっと引き上げて入れば、決した鳴りはしないのだ。引き戸を荒っぽく閉めたり開けたりするのも大変ケシカラン。少し持ち上げるようにして開けるなら、鳴ることがあろうか。下手に開けたてをすると、ふすまなどでも、ゴトゴト音を立ててはっきり耳につくのである。

12日

眠たしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛び歩−ありーく。羽風さへその身のほどにふるこそいとにくけれ。

眠たいなと思い横になった時に、蚊が細い声でいかにも力なさそうに名のって、顔のあたりを飛び回る。羽風までがその体相応にあるのが、ほんとに憎らしい。
13日

きしめく車に乗りて歩く者。耳も聞かぬにやあらんといとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。また、物語するに、さし出でして我ひとりさいまくる者。すべてさしいでは、童も大人もいとにくし。

ギシギシ鳴る車を乗り回す者。その音が耳に聞こえないのであろうかと、全く嫌になる。自分がそんな車に乗った場合は、その車の持ち主のことまで嫌になる。また、世間話をしている時、出しゃばって、自分一人先走って喋りまくる者。全て出しゃばりは、子供でも大人でも、実に不愉快だ。
14日

あからさまに来たる子ども、童を、見入れらうたがりて、をかしきもの取らせなどするに、ならひて常に来つつ、い入りて調度うち散らしぬる、いとにくし。

ちょっとやってきた子供たちを、気をつけて見て、かわいがり、喜びそうな物をやったりなどすると、慣れっこになって、いつでもやって来ては、座りこんで手まわりの道具を散らかしてしまうのは、本当に不愉快だ。
15日

家にても宮づかへ所にても、会はでありなんと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に引きゆるがしたる、いとにくし。今参りのさしこえて、もの知り顔に教へやうなること言ひうしろみたる、いとにくし。

自分の家でも出仕している所でも、会わないですませたいと思う人が来た時に、狸寝入りをしているのに、自分の所に仕えている女房が起こしにそばに来て、寝坊だと言わんばかりの顔でゆすぶり起そうとするのは、実に腹立たしい。新参者が、古参の人をさしおいて、物知り顔で指図がましい口を開いて世話をやいているのは、ほんとに不愉快だ。
16日

わが知る人にてある人の、はやう見し女のことほめ言ひ出でなどするも、ほど経たることなれど、なほにくし。まして、さしあたりたらんこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。

自分の恋人であるが以前に恋人であった女のことをほめて話したりなどするのも、時がたっていることだが、矢張り不愉快なものだ。まして現在の恋人のことだつたら、その不快さがどんなものか思いやられる。そういうものの、場合により、かえってそうでないこともあるのだ。
17日

はなひて誦文−ずもんーする。おほかた、人の家の男主―おとこしゅうーならでは、高くはなひたる、いとにくし、蚤もいとにくし。衣―きぬーの下に踊り歩きてもたぐるやうにする。犬のもろ声に長々と鳴きあげたる、まがまがしくさへにくし。開けて出で入る所たてぬ人、いとにくし。

クシャミをして呪いの文句を唱えるの。大体、一家の男主人以外、大声でくしゃみするのは、ほんとに不愉快だ。蚤もまったくしゃくにさわる。着物の下ではねまわって、着物を持ち上げるようにする。犬が声を揃えて、長々と吠え立てているのは、不吉な感じまでして、いやなものだ。開けて出入りする所を閉めぬ人は、ほんとに腹が立つ。
18日

殿などのおはしまさで後

事前説明
珍しく暗い内容。中の関白家の悲運の真相、自分が道長と内通しているとする周囲の中傷に対する苦悩を直視しない。定子とのやり取りを通じて、慈愛に満ちた定子の態度、感動を分かち合う喜びを語っている。

後宮集団の共同の感動とした物語。中宮定子を頂点とする文化と質の高さの回想である。

19日

殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、騒がしうなりて、宮も参らせたまはず、小二条殿といふ所におはしますに、何ともなくうたてありしかば、久しう里にいたり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほえ絶えてあるまじかりける。

関白殿がお亡くなりになるなどしてのち、世の中に事件が起こって騒然となり、中宮様も宮中にお入りにならず、小二条殿という所にいらっしゃる頃、私は、なんということもなく不愉快な気分だつたので、長いこと里にじっとしていた。しかし、中宮様のご身辺が気がかりなものだから、やはり没交渉のまま我慢してはいられそうもなかったのだった。
20日

右中将おはして、物語したまふ。「今日宮に参りたりつれば、いみじうものこそあはれなりつれ。女房の装束、裳・唐衣折にあひ、たゆまでさぶらふかな。御簾のそばの開きたりつるより見入れつれば、八九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑・萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいとしげきを、「などか、かきはらはせでこそ」と言ひつれば、「ことさら露置かせて御覧ずとて。「御里居いと心憂し。かかる所に住ませたまはんほどは、いみじきことありとも、かならずさぶらふべきものに思しめされたるに、かひなき」と、あまた言ひつる、語り聞かせたてまつれとなめりかし。

右中将がおいでになって、お話をなさる。「今日、中宮様に参上したところ、たいそうしんみりとした趣がございました。女房の装束も、裳や唐衣が時節の情趣にあい、気のゆるむこともなくお仕えしていますね。御簾の横の開いているところから中をのぞきこんだところ、八、九人ほどが、朽葉襲−くちばがさねーの唐衣、薄紫色の裳に、紫苑襲や萩襲など、美しく装い並んで座っておりましたよ。御殿の前の草がまことに深く茂っているのを「どうして手入れもせずにおかれるのですか」と言いましたところ、「わさわざ露を置かせてご覧になるということで」と宰相の君の声が答えたのが、おもしろく感じられたことでした。「清少納言がお里にいらっしゃるのは、実に情けない。中宮様がこんな所にお住まいになるような折には、たとえどんなことがあろうとも、必ずおそばに仕候すべきものと中宮様は思っていらっしゃるのに、その効−かいーもなく」と何人もの女房が言いました。それを私のほうからあなたにお聞かせ申せというつもりなのでしょう。

21日

参りて見たまへ。あはれなりつる所のさまかな。台の前に植えられたりける牡丹などのをかしきこと」などのたまふ。「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえはべりしかば」と答−いらーへきこゆ。「おいらかにも」とて笑ひたまふ。

参上して御殿の様子をごらんになって下さい。風情あるお住まいぶりでしたよ。露台の前に植えられていた牡丹なとせの美しいこと」などとおっしゃる。「さあどうしたものでしょう。誰かが私を憎らしいと思っていたのが、こちらもまた憎らしく思いましたものですから」とご返答申し上げる。「おっとり構えていらっしゃい」と言ってお笑いになる。

22日

げにいかならんと思ひまいらする御けしきにはあらで、さぶらふ人たちなどの、「左の大殿方の人、知る筋にてあり」とて、さし集ひものなど言ふも、下より参る見ては、ふと言ひやみ、放と出でたるけしきなるが、見ならはずにくければ、「参れ」など、たびたびある仰せ言をも過ぐして、げに久しくなりにけるを、また宮の辺には、ただあなたがたに言ひなして、そら言なども出で来べし。

右中将が案じておられるとおり、中宮様が私をどう思いなのか、それを心配申し上げるほどのご様子でもなく、お仕えしている女房たちなどが、「あの人は左大臣側の人と知り合いになっている」と言って、みんなで集まって話などしていても、私が下局から参上して来るのを見ては、急に話をやめ、私をのけもの扱いしている様子であるのが、これまでにはなかったことで憎らしいので「参上せよ」などと度々ある中宮様のお言葉をもそのままにして、なるほど長い里居になってしまっていたが、また中宮様の周辺では、私をひたすら敵方の者と言い立てて、ありもしない作り話なども出来―しゅったいーしているに違いない。

23日

例ならず仰せ言などもなくて日ごろになれば、心細くてうちながむるほどに、長女−をさめー文を持て来たり。「御前より宰相の君して、忍びて賜はせたりつる」と言ひて、ここにてさへひき忍ぶるもあまりなり。人伝―づーての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれて、とく開けたれば、紙にはものも書かせたまはず、山吹の花びらただ一重をつつつませたまへり。

いつもとは違って中宮様からのお言葉などもないまま何日かが過ぎているので、心細くぼんやりしている時に、長女が手紙を持って来た。「中宮様から、宰相の君を通して、こっそりと下されましたものです」と言って、里にいてまでも人目を憚るのも、あまりというものだ。お言葉を女房に代筆させたお手紙ではないようだ、とどきどきしながら急いで開けたところ、紙には何もお書きにならず、山吹の花びらただ一枚だけをお包みになっていらっしゃる。

24日

それに、「言はで思ふぞ」と書かせたまへる。いみじう、日ころの絶え間嘆かれつる、みな慰めてうれしきに、長女もうちまもりて、「御前には、いかが、ものの折ごとに、思し出できこえさせたまふなるものを。誰もあやしき御長居とこそはべるめれ。などかはまいらせたまはぬ」と言ひて「ここなる所に、あからさまにまかりて、参らむ」と言ひて往ぬる後、御返りごと書きてまいらせんとするに、この歌の本さらに忘れたり。

それに「言はで思ふぞ」とお書きになっているのが素晴らしく、この何日間ものご消息の途絶えを嘆かずにはいられなかったのに、それがすっかり慰められてうれしくなるにつけても、長女もじっとこちらを見つめて「中宮様は、どんなにか、機会あるごとにお思いい出し申していらっしゃるそうですが。誰もみな、妙な長居でいらっしゃると言っているようでございます。どうして参上なさらないのですか」と言い「近所に、ちょっと寄らせていただいてから、うかがうことにいたしましょう」と言って長女が出かけてしまったあと、中宮様にご返事を書いてさしあげようとすると、この歌の上句をさつぱりと忘れてしまっていた。

25日

五月ばかりなどに

五月ばかりなどに山里に歩−ありーく。いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、長々と縦―たたーざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに走りあがりたる、いとをかし。

五月ごろなどに、山里に出かけるのは、とても面白い。草の葉も、水も、まことに一面青々と見えて、上は、水があるようでもなく草が生い茂っている所を、ずんずん真っ直ぐに進んで行くと、下は、なんともいえない美しい水が、深くはないけれど、車副いの男が歩くと、水のしぶきをはねあげたのは、たいそうおもしろい。

26日

五月ばかりなどに山里に歩−ありーく。いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、長々と縦―たたーざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに走りあがりたる、いとをかし。

五月ごろなどに、山里に出かけるのは、とても面白い。草の葉も、水も、まことに一面青々と見えて、上は、水があるようでもなく草が生い茂っている所を、ずんずん真っ直ぐに進んで行くと、下は、なんともいえない美しい水が、深くはないけれど、車副いの男が歩くと、水のしぶきをはねあげたのは、たいそうおもしろい。

27日

左右にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、急ぎてとらへて折らんとするほどに、ふと過ぎてはずれたるこそ、いと口惜しけれ。蓬の車に押しひとがれたりけるが、輪のまはりたるに、近ううちかかりたるもをかし。(223段)

道の左右の生垣にある、何かの木の枝などが、牛車の屋形などに入り込んでくるのを、急いでつかまえて折ろうとするうちに、ふいと過ぎて手からはずれたのは、とてもくやしい。
蓬の車に押し潰されたしまつたのが、車輪のまわるのにつれて、その香りが顔近く香ってきたのも趣がある。

28日

九月二十日あまりのほど

九月二十日あまりのほど、長谷に詣でて、いとはかなき家にとまりたりしに、いと苦しくて、ただ寝入りぬ。夜ふけて、月の窓より漏りたりしに、人の臥したりしどもが衣の上に、白うてうつりなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人歌詠むかし。(二百二十八段)

九月二十日過ぎのころ、長谷寺に参詣して、その道中、実に小さな家に泊まっていたのだが、旅の疲れでほんとに苦しくて、すぐにぐっすりと寝入ってしまった。夜がふけて、月の光が窓から漏れていたのだが、人々が寝ている、その引きかぶつている衣の上に、白く映えたりしていた様子には、たいそう身にしみて情趣をおぼえた。こうした折にこそ、人は歌を詠むもの。
29日

清少納言と紫式部

枕草子と源氏物語は共に平安朝文学の双璧である。ほぼ同時代に生きながら二人の個性は顕著に異なる。

紫式部日記の消息文から清少納言の評があるが明日掲載。
30日

紫式部の清少納言評

清少納言こそ、したり顔(高慢チキナ顔)にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち(利口ぶって)、真名(漢字)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣

りし、行く末うたてのみはべれば艶になりぬる人(風流ぶっている人)は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづから、さるまじくあだなるさま(浮薄な態度)にもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ。
31日

秋のけはひ「紫式部日記」

秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。池のわたりのこずえども、遣水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたりつつ、おほかたの空もえんなるに、もてしやされて、不断の御読経の声々、あしれまさりけり。やうやう涼しき風のけはひに、例の絶えせぬ水のおと

なひ夜もすがら聞きまがはさる。御前にも、近うさぶらふ人々、はかなき物語りするを、聞こしめしつつ、なやましうおはしますべかめるを、さりげなくもてかくさせたまへる御ありさまなどの、いとさらなることなれど、うき世の慰めには、かかる御前をこそたづねまいるべかりけれど、うつし心をばひきたがへ、たとしへなくよろつづ忘らるるも、かつはあやし、