美しい日本の歌 11月 万葉集A
平成17年11月
1日 | 香具山 |
ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも |
巻10−1812 柿本人麻呂 また、人麻呂だが、この歌の格調は引用の省略は出来ない。香具山への神性と畏敬と親愛敬慕の情がある。 |
2日 | 盤余の池 |
百伝ふ 盤余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや |
巻3−416 大津皇子 大津皇子が謀反で死刑に処せられる時、この池の堤で涙して詠んだこの歌、身に沁みるものがある。妃の山辺皇女は髪をふりみだし、はだしになって刑場に走り皇子の死に殉じたという。 |
3日 | 埴安の池 |
埴安の 池の堤の 隠沼の 行方を知らに 舎人 |
巻2−201 柿本人麻呂 武市皇子は天武天皇と胸形君徳善の娘、尼子娘との間の皇子、壬申の乱で総指揮を取るが死去、人麻呂は長歌で悼んだがその反歌である。憂愁の思いは「の」の連続リズムで更に深まる。 |
4日 | 哭沢の神社 |
哭沢の神社に神酒すえ 祈れども わが大君は |
巻2−202 檜隈女王 お神酒をすえて祈ったけど、とうとう高市皇子はお亡くなりになった。 |
5日 | 耳成の池 |
耳無の 池し恨めし 吾妹子が 来つつ潜かば |
巻16−3788 作者未詳 耳成山の池、鬘児伝説・妻争奪伝説に由来。 |
6日 | 藤原宮 |
藤原の 大宮仕え 生れつぐや 処女がともは |
巻1−53 作者未詳 持統天皇8年、浄御原宮から移り唐の長安の都に模した大都城藤原京が営まれた。宮仕えの若い采女たちの嬉々として立ち動くさまを羨ましがるのが見えるようだ。 |
7日 | 香具山 |
春過ぎて夏来るらし 白妙の衣乾したり 天の香具山 |
巻1−28 持統天皇 余りにも著名な歌、持統天皇の二年半を経て |
8日 | 真弓の岡 |
外に見し 真弓の岡も 君ませば 常つ御門と 侍宿するかも |
日並皇子の舎人ら 巻2-174 壬申の乱に父母と行を共にし、天武には皇太子、崩御後は摂政、天皇と並び治世の意が日並皇子、亡き皇子を舎人が偲ぶ。 |
9日 | 佐田の岡 |
朝日照る 佐田の岡辺に 群れ居つつ わが泣く涙 止む時もなし |
日並皇子の舎人ら 巻2-177 岡宮天皇と尊号があり岡宮天皇真弓稜、舎人たちの嘆きの声がする。 |
10日 | 斉明天皇稜 |
今城なる 小丘が上に 雲だにも 著くし立たば 何か嘆かむ |
斉明天皇 斉明紀 越智崗上稜、舒明天皇の皇后、皇極天皇であり、大化の改新で弟の軽皇子・孝徳天皇に譲り、崩御後は斉明天皇になったお方。 |
11日 | 墨坂 |
君が家に わが住坂の 家道をも 吾は忘れじ 命死なずは |
柿本人麻呂の妻 巻4-504 賊の八十梟帥が炭火を置いた伝承地の墨坂。ここを越えると隠口の初瀬、人麻呂と住む思いをかけている。 |
12日 | 真木の荒山道 |
軽皇子の安騎野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂作る歌 やすみしし わが大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京をおきて 隠口の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 石が根 禁樹おしなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎の大野に 旗薄 小竹をおしなべ 草枕 旅宿りせず いにしへ思ひて |
軽皇子 巻1-45 草壁皇子(日並皇子)の母は持統天皇、草壁の遺児、軽皇子(文武天皇)が宇陀に狩に行かれ供をして人麻呂の歌。父君追慕の旅である。 |
13日 | 安騎野 |
ま草刈る 荒野にはあれど 黄葉の 過ぎにし君が 形見とぞ来し |
柿本人麻呂 巻1−47 |
14日 | 安騎野 |
東の野に炎の立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ |
柿本人麻呂 巻1−48 名歌である。阿騎野の広場に石碑あり、とても明るい万葉調の丘となっている。「日並の 皇子の命の 馬並めて 御狩立たしし 時は来向ふ(巻1−49)」 |
15日 | 葛城・宇智 |
大坂を わが越え来れば 二上に 黄葉流る 時雨降りつつ |
柿本人麻呂 巻10−2185 宇智は葛城連峰の東、飛鳥藤原から河内。難波への通路は大坂越だが、竹内峠・岩屋峠・穴虫峠、関屋越えかは分からないという。 |
16日 | 二上山 |
大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時、大来皇女の哀しび傷む御作歌 うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世とわが見む |
大来皇女巻2−165 この山に登り手を合わせ悲劇の主の大津皇子を悼んだことがある。天武天皇の皇子、母は天智天皇の子、大田皇女で持統天皇。堂々たる体躯、弁舌に長じ、教養高く、文武に秀で、度量も大きく人望あり漢詩を良くし天智天皇から特に愛された皇子。壬申の乱には天武方だが、天武崩御の頃、新羅僧行心の骨相見立てに従い謀反を企て、親友の河島皇子(天智の子)の密告で翌日死罪となる。24才、姉の大伯皇女(大来と同じ)の嘆きの歌。 |
17日 | 馬酔木 |
磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに |
大来皇女(大伯皇女) 巻2−166 大津皇子の姉、伊勢の斎宮、弟の大津皇子とは2才違い、母の大田皇女は早く亡くなり姉弟の情は深い。事件の前に密かに姉に会う、二上山を弟と見ようとする諦め、諦め切れぬ悔しさがある。「神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに(巻2−163)」、「見まく欲り わがする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに」(巻2−164)、涙をそそる。 |
18日 | 大津皇子の墓 |
あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ちぬれぬ 山のしづくに |
大津皇子 巻2−107 石川郎女を恋して待ちあぐんだ時の歌。山のしづく、夜のせまる闇に深い清純な愛を感じさせる。「大船の 津守の占に 告らむとは 正しに知りて わが二人宿し (巻2−109)」 この女性は草壁皇子の愛人であったが堂々と打ち出す大器であらう。 |
19日 | 巨勢山 |
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を |
坂門人足 巻1−54 実にいい歌だと思う。巨勢は御所市の古瀬、浮き浮きした春の旅心を楽しむようである。 |
20日 | 宇智の大野 |
たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野 |
中皇命 巻1−4 舒明天皇の皇后の作、早朝猟の高まる気負いというか、生き生きとした臨場感があり素晴らしい。 |
21日 | 浮田の森 |
斯くしてや なほや守らむ 大荒木の 浮田の杜の 標にあらなくに |
作者未詳 巻11−2839 五条市今井町、式内荒木神社、祭神は天児屋根命、葛木襲津彦(武内宿禰の子)、神社の注連縄でもないのに女を見守り続けるやりきれなさらしい。 |
22日 | まつち山 |
あさもよし 紀人羨しも 亦打山 行き来と見らむ 紀人羨しも |
調首淡海 巻1−55 大和には海がないから、明るい紀伊の国の海に憧れたのであろう、微笑ましい、人間の素直な感情。 |
23日 | 六田の淀 |
音に聞き 目にはいまだ見ぬ 吉野川 六田の淀を 今日見つるかも |
作者未詳 巻7−1105 吉野川の北岸に沿い下市口を東に進むと六田、伊勢街道の旅人は、国境の高見山の峻峰を眺めたであろう。この山は富士山のようないい山である。 |
24日 | 吉野行 |
み吉野の 耳我の嶺に 時無くぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は降りける その雪の 時無きが如 その雨の 間なきが如 隈もおらず 思ひつつぞ来し その山道を |
天武天皇 巻1−25 隈もおらずとは道の曲がり角を一つも残さずの意。天武即位以前、大海人皇子時代、病床の兄・天智から譲位の話を固辞、僧となり近江大津宮から吉野への時、耳我の嶺に絶え間なく降る雪の中で来し方行く末を悩んだ。翌年、壬申の乱が起き、天武の治世となる。 |
25日 | 宮滝 |
山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも |
柿本人麻呂 巻1−39 宮滝は吉野離宮、左に象の中山、正面に御園の山緑、激流が奔流となる「たぎつ河内」で深い淵で泳いだ思い出がある。 |
26日 | 三船の山 |
滝の上の 三船の山に 居る雲の 常にあらむと わが思はなくに |
弓削皇子 巻3−242 宮滝の岩場の南の上方にあるのが三船山。弓削皇子は天武天皇の皇子、母親は天智天皇の娘の大江皇女、病弱。人生の無常の感慨。都の額田王に送った歌「いにしへに 恋ふる鳥かも 弓鉉葉の 御井の上より 鳴き渡りゆく (巻2−111)」 |
27日 | 象山 |
み吉野の 象山の際の 木末には ここだもさわぐ 鳥の声かも |
山部赤人 巻6−924 高市黒人も「大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象の中山 呼びぞ越ゆなる(巻1−70)」もあり渡り鳥の通路であろう。 |
28日 | 象の小川 |
昔見し 象の小川を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも |
大伴旅人 巻3−316 象山と御船山の間の喜佐谷を流れて吉野川に注ぐ、清冽な谷。いよよ清けく、いい響きであり幽林に木霊するようである。 |
29日 | 夢のわだ |
わが行きは 久にはあらじ 夢のわだ 瀬にはならずて 淵にあらぬかも |
大伴旅人 巻3−335 「夢のわだ」はどうやら私の泳いだ巨岩に囲まれた「淵」のようであり格別に印象深い。 |
30日 | 滝の河内 |
山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は 見れど飽かぬかも |
笠金村 巻6−909 たぎ(滝)は激湍であり「たぎつ」、悠久の昔からの大奔湍(激奔)であったのであろう。白木綿花のように飛沫が飛び散る。 |