松山城ー愛媛県松山市


松山市の中心部、勝山(標高132m)にそびえ立つ松山城は松山市のシンボル、本丸広場は桜の名所で市民の憩いの場。
松山城の築城者は、賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の一人、加藤嘉明(かとうよしあき)である。嘉明が25年(1602〜1627)の歳月をかけて築いた松山城は、勝山山頂に本丸・中腹に二ノ丸・山麓に三ノ丸を整備した広大な規模の城郭。
また、門櫓(もんやぐら)・塀を多数備え、狭間(さま)「鉄砲・弓」や石落とし、高石垣(たかいしがき)などを巧に配した攻守の機能に優れた日本一の連立式平山城と言われている


友とは童心に返りリフトに乗り天守閣に上って市内を一望した。道後温泉の
坊ちゃんの湯にも入りまた銘菓タルトも食べて登山後の安らぎを得た。それから帰途は、面河渓谷沿いに今一度石鎚山を眺めそして、あの美しい笹の原を持つ瓶ヵ森の山々や伊予富士やら素晴らしく明るい四国の山々の山麓沿いの道路を通り瀬戸大橋へと向かった。実に素晴らしい四国登山周遊であった。松山から面河渓谷に抜ける難しい林道の、あの九十九道やらを見事に通り抜け、疲れたであろう運転の友に心からなる感謝を捧げたい。
平成15年10月23日