関西百名山 登山記録 38 三輪山
平成14113日 快晴
参加者 森川 清水 繁益 安東 高橋 長戸 池村 徳永

昨年は内外とも多難な年であった。米国テロ事件を機に世界は一瞬にして別の世界へ移行した。今年は、わが国経済の剣が峰と言われ、特にこの1月から3月に危機到来かと言われ正念場を迎えている。そのような緊迫した、まだ松の内の13日、大和盆地の一角、三輪山麓は大寒を前にして穏やかな小春日和が広がっていた。

古代史フアンには興味津々たる箸墓古墳の西、ここ石塚古墳の枯野に独りの大学教授らしき老紳士を囲み7-8人のハイカーらしい男女が熱心に講義を聞いている。情操豊かに溢れ気品高き風貌ながら凛とした姿に精神生活の高さと学究の徒を感じる。

ここは勝山古墳とともに日本の曙の地であり、三輪山、伊勢の斎宮跡、神島、西は淡路島と日の神のライン上にある。先ほど登った神なび三輪山の神坐日向神社がそれらしい。日の昇るまでに勤務したから朝廷という、古代人の太陽運行の正確さを知る能力に感動する。古代の大和盆地は海であった、気温の変動により南方民族の渡来と稲作の伝播の由来を知る。卑弥呼は日の御子でプロヘッサ-は邪馬台国は大和説らしい。古代ロマンに夢はつきないが聴講を終えて帰途、垂仁天皇の珠城の宮に立ち寄りコーヒーを沸かす。

それより前、午前11時頃、我々は新装なった大神神社の拝殿で参拝し狭井神社からかんなびの三輪山登頂した。下山して檜原神社近くの公園で昼食。豚汁は会長に申し訳ないが大変おいしかった。それから、会長指示通り古事記に沿い石碑と神武天皇にかかわる項を学んだ。それも披露しておく。

古事記中つ巻 神武天皇 皇后選定より。

  葦原の しけしき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し

伊須気余里比売、

患ひ苦しみて歌をもちてその御子に知らしめたまひき。

 狭井河よ 雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす

 畝火山 昼は雲とゐ 夕されば 風吹かむとぞ 木の葉騒げる

それから、巻向を越えて日本最古の山之辺の道を楽しみつつ、ミカンや八朔を食べたりしつつ会長と約束の巻向駅に220分到着した。会長の叔父上様の93歳のご葬儀の日でありました。謹んでお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。又、かかる時にお出ましの事、恐縮致します。

ここで安東氏のメールがあるので一部で申し訳ないがご披露しておく。---------
箸墓古墳は「夜しか訪れてこない夫に、昼間に来てほしいと頼んだところ、夫はくれぐれも姿を見て驚かない様にと念をおした。翌朝、小さな櫛箱に入ったヘビを見つけて、それが夫である事に気づき、姫はショックのあまり、尻餅を付き、箸で女の急所を突き死んでしまった。」と言う伝説等あり。

このコースは道端に100円均一で蜜柑、八朔、金柑、柚子、あるいは三輪素麺、野菜等の農作物があちらこちらに無人で売られており、私も幾つか蜜柑を物色した。結構美味く、ささやかなお土産になった。大変長閑な夢追う、大和の古道紀行でもありました。 そのままJR巻向駅まで歩き、道中、桜井駅での乗り替え時、チョット一杯をやり家路に着きました。----------ここまで安東氏のメール。
さて、平成14年最初の登山は素晴らしい快晴でした。連絡事項
@2月は三峰山ですが、210日日曜日の集合場所 午前750分 近鉄難波駅
A29日土曜 午後3時 ほろにが会 梅田新道 大同ビル地下 B美貌の新人女性 池村啓子氏もほろにが会出席予定。
備考 今回も打ち上げは賑やかでありました。今年も大いに元気で和気藹々と楽しい一年にしましょう。温泉のある所は温泉、無ければ打ち上げとそして、森川教授の古代史の片鱗を是非とも今後とも続けて頂きたいと切望します。(文責 徳永圀典)