水五則と黒田如水の生き方

 1日 はじめに

政治家や各方面の指導層に親しまれてきた文献「水五則」の作者は不明と言われる。幻の作者名は、王陽明、中江藤樹、熊沢蕃山等であるが、最も有力視さ

れるのが、戦国時代の武将、黒田如水こと黒田孝高だと言われる。則は法と同じく、法則、手本、道理の意味で、手本として守り従うことである。水の性質をかりて深い人生論を表象し示唆に富んでいる。

 2日

みずから活動して、他を動かしむるは、水なり」

水は高い方から低い方へ流れる。進路通りに進みやすいように、働きやすいように、条件を整備することが必要である。
 3日

水は後から押されて進む。働きやすいように条件整備が必要。この機能を「ホメ、かつハゲマス」と捉えることが肝要。

「ヤッテミセテ、イッテ聞カセテ、サセテミテ、ホメテヤラネバ、人ハ動カジ」は人を動かす秘訣で今も生きている言葉である。
 4日 第一法則

そこで指導者は、第一法則を
「自ら進んで他の長所を見つけ、他を励ましむる水」のようになることではないかと捉える。

「生きることを励ますのが本当の教育である」
 5日

第二法則

「常におのれの進路を求めてやまざるは水なり」

不断の向上心を求め、褒め励ますには指導者自身が水のように常に自分自身をリードしなくてはなるまい。その為には、自分も不完全な人間だとの謙虚さが必要。
 6日

指導するとは自ら学ぶこと、これは真理である。

水は試行錯誤するように流れて行く、それを自分の姿とし投影して見る。
 7日

第三則

「障害にあって、激しくその勢力を百倍し得るは、水なり」

修羅場を潜り抜ける度に、人間は大きくなる。

 8日

艱難汝を玉にす、これは真理である。

真の宗教はオカルト的なものではない。こんな宗教知識では、本当の国際人として世界に対処は不能であろう。
 9日

一生の中で挫折・失意の時にふと読んだ宗教書の言葉が思いだされて、打ちのめされた私達を引き起こして励ましてくれる。

オカルト的、タタリとか、呪いとかいう迷信は人の心を惑わす邪教と言え知識人、国際人の取るものではない。
10日

お釈迦様

お釈迦様の仏教を一言で言えば、「死を問いとして、それに応えるに足る生き方を導く教え」だという。

避けることの出来ない、この死という厳然たる事実の下で、日々どのような生きたらいいのか、その生き方をテーマにするのが仏教である。

11日

「この世にあるものは、何一つとして、誰一人として、永久に変らぬものはない。故に、かけがえのない自分を豊かにする為に、常に良い教えを聞くが良い。今は、今しかないから、今を充実して生きるには、絶えず正しい教えに近づくがいい」

釈尊が弟子たちに精進を勧めた言葉である。
12日

精進

精進は、心身の力をこめてひたすらに進むことである。

仕事に、学習に研究に、自分の人間形成に、自分のなすべく全て誠実に励むのが精進である。
13日

第四則

「みずから潔−きよーうして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量あるは、水なり」

人を管理するには、まず自分自身が常に水のように公平、且つ清潔あれということである。

14日

公平を水の性質から表現すると、静かな水面のように平らかなるさまで、水平という。

指導者は心中に常に、水平衡―水盛りーを備えなくてはならぬ。

15日

非まじめ

不まじめとの対比。不まじめは、悪徳で説明不用。

非まじめとは。「選り好みせず、何れにも拘らず、より高い立場で、不まじめとまじめを統一するのを「非まじめ」というのである。

16日

第五則

「洋々として大海をみたし、発しては霧となり、雨雪と変じ霰―あられーと化す。凍っては玲瓏たる鏡となり、しかも、その性失わざるは、水なり」

「世のために田に出て濁る清水かな」

17日

無為自然

水の五則は、無為自然の道を説いている。

人為の押し付けがない、水の五則の人生訓である。

18日

黒田如水の生き方

黒田如水が信奉し実践し、座有銘とした、この水の五則、企業経営者とか指導者に示唆を与えると思われる。

黒田如水は豊臣秀吉の政治顧問である。秀吉の天下統一に黒田如水の功績は甚大であった。
19日

如水の経歴

秀吉に勝るとも劣らぬ智謀の主。秀吉も如水に一目も二目も置いていた。

如水は出家した道号であり秀吉に猜疑心を与えない為と言われる。

20日

如水は人間の真実性を体験的にきちんと把握していた。

老子の説く無為自然の道に従い,水の心から自分の心を把握し,神と仏の真理をきちんと踏まえて少しも乱れぬ自己を確立していた。
21日

秀吉と如水の問答

秀吉「いまは、すべての点において豊富だが,その中でも、もっともありあまる物は何か?」

如水「人でございます」と即座に答えた。

秀吉「おれもそう思う」

22日

晩年の秀吉

不遇となった秀吉が如水に問うた。
秀吉
「そろそろ物質的に不自由や不足が目立つようになったが、今一番足りない物は何か」

如水

「人でございます」と即答。

23日

如水の雅号

如水、まさに水の如しである。彼は、33才の時、播州御着の主君、小寺政職が突如、信長・秀吉を裏切った為に苦境に立たされた。進んで政職を説得する為に、摂津伊丹に赴く。

信長は疑心深く如水の子供を人質に取る。如水は政職により地下牢に幽閉された。如水は政職を恨まず1年の幽閉に耐え信長に節を守ることに身を尽した。牢の幽閉で歩行不自由となる。
24日

生き抜く牢屋の如水

作家吉川英治は次ぎのように描写する。
「やっ、あんな所へ藤のつるがからんできた」

「いつでも死ねる、もう少し待て・・。オオ、あの高窓の藤つせるもいつか茂り、しかも短い花の房する持って咲こうとしている。そうだ、白藤か淡紫か、あの花の咲くまで見ていよう」

25日 「やあ、今朝は咲いた、紫であったか、吉瑞だ。獄中に藤の花が咲くなどということは有り得ないことだ。死ぬなよ。待てば咲くぞという天の啓示だ」

常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり」「障害にあって、激しくその勢力を百倍し得るは、水なり」の心意気で耐えた。

26日

如水の言葉

如水は口癖のように、「人の善悪を好き嫌いするな、人の善し悪しは使い手による」と語っていたという。

如水の力は秀吉に警戒されるが疑念の権化みたいな信長すら、節度を守る如水の態度に、最後は信頼の念を持った。
27日 如水の気性

如水は豪放な気性の一面と同時に、細心綿密で、生活も質素。

如水は「濁りなき心の水」を心として生きた人だという。

28日

水に関する言葉

「清濁あわせいるる量あるは、水なり」

「流水、先を争わず」
29日

水は方円の器に随う。水の筋骨の力なきも、よく万石の船を転ず。

鴨長明の方丈記冒頭「淀みに浮ぶうたかたー水面に浮ぶ泡―は、かつ消え、かつ結びー生じーて、久しくとどまりたる。例−ためしーなし、.世中にある人と栖−すみかーとまたかくのごとし」

30日

水に関する歌

ひと葉づつ落ちるもみじ葉ひと葉づつふもとへおくる谷川の水

岩もあり木の根もあれどさらさらとたださらさらと水の流るる

31日 釈尊臨終の説法

「少水―しょうずいーの常によく流れて石に穴を穿つが如し。ゆえに汝らまさに勤めて精進すべし」

水は様々に変化しても、その本質は変らない。観音菩薩が三十三身に変身して衆生を救うという慈悲を思い起こす。